11月2日
「しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。」創世記4:5
アダムとエバは楽園追放後、カインとアベルを産みました。彼らは成長してそれぞれの収穫物をもって神様を礼拝しました。地の産物を奉げたカインは顧みられず、神様に憤って顔を伏せ、アベルを殺しますが、アベルはカインになにもしていません。神様への憤りが殺人となったのです。私たちもカインと同様に神様への怒りの結果として、人と争い、罪なき人の血を流すことになるのです。(KE)
11月2日
「しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。」創世記4:5
アダムとエバは楽園追放後、カインとアベルを産みました。彼らは成長してそれぞれの収穫物をもって神様を礼拝しました。地の産物を奉げたカインは顧みられず、神様に憤って顔を伏せ、アベルを殺しますが、アベルはカインになにもしていません。神様への憤りが殺人となったのです。私たちもカインと同様に神様への怒りの結果として、人と争い、罪なき人の血を流すことになるのです。(KE)
11月1日
「有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。」第一コリント 1:28
神様が選ばれるのは有能で立派な人ではありません。神様は弱い者、無力な者、無きに等しい者をあえて選んで、彼らを通して神様の栄光と力を明らかにし、自分の力や身分、才能を誇る者たちの誇りを打ち砕かれるのです。弱く、欠けたところにこそ神様の力が注がれ、ただ神様のみが崇められるようになさるのです。(KE)
10月31日
「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」エペソ5:10
人は何かしようとするとき、それがどんな効果を産むかを想定します。家族や友達に喜ばれるかどうか、そのようなことが基準になります。時には損か、得かによります。また、自分にとって役立つかどうか、自分の利益を求めます。しかし、イエス様の救いを受けた私たちの行動基準は、それが主に喜ばれるかどうかです。人を喜ばせたり、自分の喜びや楽しみのためではなく、主に喜ばれる日々を送るとき、命に溢れる生涯となります。(KE)
10月30日
「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。」詩篇32:3
神様は光のような方であるといわれます。私たちの心が光に照らされると汚れたところや陰になるものが明示されます。光を避けようとするものが罪です。神様に恥じない、陰の無い心を持つことこそ、私たちの力です。神様に知られたくないものを抱くとき、サムソン同様に無力な者となります。罪を取り除くには神様に罪を認めて、十字架の赦しを堅く信じる以外にありません。必ず、心が軽くなります。(KE)
10月29日
「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。」マタイ10:26
人から誤解や曲解を受けると、なんとしても正そうと躍起になりますが、どんなことをしても隠された真実はでてきません。そのようなときすべきことは神様が働かれるのを待つことです。隠されたことは必ず現れてきます。神様がすべての事をご存じで、時を定めて真実を明らかにされるからです。暗闇で語ることも、耳にささやかれたことも、白昼のもとにさらされます。(KE)
10月28日
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」ガラテヤ6:7
手をかけ、労苦して世話をすると必ず収穫の時にむくわれることを農家の人は知っています。怠ければそれなりの結果しか得られません。作物が報いるのではなく、背後にある神様が労苦した人に報われるからです。あなたの何気ない行為や言葉は流れ去ってしまうように見えますが、神様は細大漏らさず見て、知っておられ、時を経て結果を得ることになります。(KE)
10月27日
「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15
神様は人の目には見えません。居ないかのごとく思われますが、けっしてそうではありません。見えなくても、神様は私たちのすべてを知りつくしています。そればかりか、どんなことをしても神様から隠れることはできません。なにもかもお見通しです。むしろ、神様に見られ、知られても恥じない生き方をする方が、心安らかで幸いではないでしょうか。(KE)
10月25日
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」第二コリント4:16
私たちの家庭も仕事も健康も時と共に変わって、失われます。ですから、そのような外側の境遇を拠り所にしている限り、私たち自身が崩れてしまいます。外部の状態が失われても、“内なる人”は神様から命が与えられ、力に溢れます。その命はキリストの言葉を通して日々新しく満たされるのです。内なる人が弱ると致命傷ですから、常にチェックしておきましょう。(KE)
10月24日
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」第二コリント4:16
私たちの家庭も仕事も健康も時と共に変わって、失われます。ですから、そのような外側の境遇を拠り所にしている限り、私たち自身が崩れてしまいます。外部の状態が失われても、“内なる人”は神様から命が与えられ、力に溢れます。その命はキリストの言葉を通して日々新しく満たされるのです。内なる人が弱ると致命傷ですから、常にチェックしておきましょう。(KE)
10月23日
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4
神様が私たちを心に留め顧みられるなど、考えると驚天動地の事態です。神様にとってどれほど役に立ち、値打ちがあると言うのでしょうか。しかも愛のまなざしとみわざをもって目を注いでくださるのですから。自分を省みるならどんな取扱いを受けようと当然です。ダビデは羊飼いから王になった人物ですが、神様の圧倒的な恵みのもとに自分を置いていました。これが人生勝利の秘訣です。(KE)