神様に喜ばれる歩みを常に努めるならば、すべてを良きことにしてくださいます。

9月6日

「人の道が主を喜ばせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。」箴言16:7

  すべての人のわざを見ておられる主は、それぞれについて必ず報われます。あなたが主に喜ばれるならば、あなたに敵対する者をも和らがせて、平和を与えて下さるのです。これは神様の祝福です。ですから、神様に喜ばれる歩みを常に努めるならば、私たちがあくせくしなくても、神様のほうが働いてくださって、すべてを良きことにしてくださいます。今、問題となることで悩んでいるなら、まず、主を喜ばせる道を歩んでください。(KE)

あなた自身と神様との契約であり、約束の成就だからです

9月5日

「それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。」使徒2:33

 イエス様は十字架にかかられる前、聖霊を送ると約束されました。やがて、ペンテコステの日に御霊が注がれました。今の時代は、聖霊の時代であって、御霊が与えられているのです。わたしにも聖霊が宿っていますと信じることが大切です。それを第三者が判定することはできません。あなた自身と神様との契約であり、約束の成就だからです。与えられたと信じて、御霊の声に聴き従おうではありませんか。(KE)

神様の御旨に従おうとするとき必ず戦いや困難が伴います。それは私たちの内にある力です

9月4日

「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天井にいる悪の霊に対する戦いである。」エペソ6:12

 神様の御旨に従おうとするとき、必ず戦いや困難が伴います。それは私たちの外部にある力ではなく、内にある力です。生まれながらの自我性、肉性ともいうべき霊力が神様に従うことを妨げようと激しく襲ってきます。私たちには力がないので、神様の力、聖霊の働きを求めなければ負けてしまいます。勝利者イエス様に縋って、この戦いを勝利してください。(KE)

主の恵みを拾い集めて感謝することこそ神様の栄光です

9月3日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

 どんなことも、神様は私たちの益となるように備えて下さったことです。“数えてみよ、主のめぐみ”という聖歌がありますが、主の恵みを拾い集めて感謝することこそ神様の栄光です。人がどんなわざをしようと神様の栄光を現すことはできません。あふれる感謝、これに勝るものはありません。自分の思いや考えに固執せず、主のご愛に目をとめて、感謝しようではありませんか。(KE)

神様に喜ばれる者となる道は信仰に生きる以外にないのです

9月2日

「わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない。」ヘブル10:38

  人は品行方正、善行功徳をもって義人であろうとしますが、どんなことをしても神様に認められる者になれません。神様に喜ばれる者となる道は信仰に生きる以外にないのです。人は見えるもの、聞くところによって生きようとします。しかし、見えない神様の居ますこと、信頼し、呼び求める者に答えて下さることを信じる信仰に生きるとき、魂はいのちに輝き、喜びがあふれます。(KE)

神様の存在がはるか遠く、小さなものになっていませんか

9月1日

「それで、あなたがたは神をだれとくらべ、どんな像と比較しようとするのか。」イザヤ40:18

 神様は目に見えず、耳に聞こえず、手で触ることもできません。そのため、神様の存在がはるか遠く、小さなものになっていませんか。その結果、神様を信頼できず、その絶大な力や知恵をわすれて、偶像の神々と同じものと思ってしまう。これでは神様を知ることは不可能です。神様はどのような方なのか、原点に戻って姿勢を整え、神を神として畏れ(恐れ)、敬い、尊ぶ者となろうではありませんか。(KE)

弱さ、不足、欠けたところなど、隠すことは要りません。神様はすべてご存じです

8月31日

「もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。」第二コリント11:30

 世間は弱肉強食の競走場です。少しでも弱みをみせるとつぶされますから、張子の虎のごとく虚勢を張っていますが、自分の弱さを知っているのは自分自身です。だから、人知れない不安を感じているのが私たちの姿です。しかし、イエス様の力は弱いところに完全にあらわれると言われます。弱さ、不足、欠けたところなど、隠すことは要りません。神様はすべてご存じで、求める者に答えて、必要なものをすべて満たすことができます。(KE)

神様を信じて、待っているなら、必ず、事態や事柄が動き出すときがきます

8月30日

「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。」ハバクク2:3

 すべての事に「時」があると聖書は語っています。それは人の計画する「時」と違って、神様の定めた「時」です。人は神様の時を待つことができずに焦りますが、神様は決して忘れているのではありません。神様を信じて、待っているなら、必ず、事態や事柄が動き出すときがきます。焦ったり、あわてたりせず、じっくりと腰を据えて、主の時を待ちましょう。(KE)

病を与えられるのは神様であって、また癒されるのも神様です

8月29日

「わたしは主であって、あなたをいやすものである。」出エジプト15:26b

 病気になると早く良くなろうとして、医者や薬を求めて奔走します。原因や治療法を調べて最善な処置を願いますが、なかなか思うようにいきません。その結果、医者の悪口を言ったり、薬に不信感を抱いたりします。しかし、それはお門違い、病を与えられるのは神様であって、また癒されるのも神様です。医者も薬も神様の手に握られた道具にすぎません。主の許しがなければ病気にならないし、また癒しもありません。(KE)

しかし、苦しみのない人生などはありません

8月28日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

 だれも苦しみに遭うことを好む人はいません。なんとか避けようとします。しかし、苦しみのない人生などはありません。それもまた神様の備えられた恵みだからです。順境にあるときより、逆境にあるときのほうが人生をより深く味わうことができます。殊に、神様のご愛、力、慰めなど、苦しみを通らなければ知り得ない宝に出会います。苦しみを恐れず、大胆に受けて立とうではありませんか。(KE)