12月17日
「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。」レビ19:9
画家ミレーの名画「落穂拾い」を思い出させる言葉ですが、旧約時代の律法の一つです。現代風に言うならば、いただく収入のすべてを残さず自分のために使い尽くしてはならない、と言うことです。収入の幾分かを弱い人、貧しい人などのために取り分けることを神様は願っているのです。それはまた私たちが神様に養われていることを証しする行為でもあります。(KE)
12月17日
「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。」レビ19:9
画家ミレーの名画「落穂拾い」を思い出させる言葉ですが、旧約時代の律法の一つです。現代風に言うならば、いただく収入のすべてを残さず自分のために使い尽くしてはならない、と言うことです。収入の幾分かを弱い人、貧しい人などのために取り分けることを神様は願っているのです。それはまた私たちが神様に養われていることを証しする行為でもあります。(KE)
12月16日
「あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。」ローマ6:16b
人は何かに縋らなければ生きることができません。なぜなら、人は神様に頼って生きるように造られたものだからです。人それ自身は単なる器にすぎません。しかし、罪の力に握られると、人を傷つける凶器になります。神様の手に握られるとき、有益な器となり、世の光、地の塩となるのです。今日、あなたは誰の僕ですか。(KE)
12月15日
「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24
近くの公園を散歩すると、春には鬱蒼とした木々に薄緑の若葉が芽生え、春の日差しを受けて命に輝いています。一年でこの時期ほど躍動感にあふれたときはないでしょう。まさに神様の創造のわざが進行中であると思わされます。山川草木は言うに及ばず、生きとし生けるものすべて神様のみ手によるものです。私たちもまた神様のみわざであることを覚えておいてください。(KE)
12月14日
「すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。」出エジプト35:5b
神様が求められるのは、どんなことであっても、自発の行為です。強いられたり、嫌々ながらであったり、惰性や習慣ではなく、神様のために“心から喜んで”することを願っています。信仰に生きるとは物や行為ではなく、それらの背後にある心の状態です。自由意思により喜びと感謝をもってなされるなら、それらは清いもので神様が受けてくださいます。今日の一日を心から神様のものとして奉げ、主に仕える喜びを体験してください。(KE)
12月13日
「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」ローマ8:31b
“もし”と言われていますが、ここでは決して仮定の話ではなく、“その通りなのだ”と強調する表現です。神様はひとり子すら惜しまずに私たちを救ってくださった方です。どんなことがあっても、見捨てないどころか、私たちの側に立って味方してくださると言われるのですから、「鬼に金棒」どころではない、強力な後ろ盾です。だから、幼子のように、素直な心になって見えない神様のみ手を信じてゆだねましょう。(KE)
12月12日
「信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。」ヘブル11:27
モーセはエジプト王の娘の子として育ちました。しかし、自分の出自を知り、神の民として生きる道を選びました。エジプトに居れば不自由のない生活は保障されたでしょう。しかし、彼は目には見えない神様を見上げて、困難をもものともしないで、神様の祝福を受ける決断をしたのです。そのことが彼をして神の民の指導者として用いられたきっかけです。あなたはどの道を選びますか。(KE)
12月11日
「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。」ヤコブ2:14
信仰は神様の言葉を信じて得られるものですが、ただ言葉だけに終わるなら、信仰が形骸化してしまいます。神様の言葉を信じて、それに自分の生活を賭けること、すなわち“信仰の行い”が伴ってこそ、信仰の結果を喜び味わうことができます。折に触れ、時に応じて与えられるみ言葉を受け流さず、そこで具体的な生活に結び付けようではありませんか。(KE)
12月10日
「そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、『あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい』。」列王紀上18:21
人はずるいところがあって、旗色を鮮明にせず、なにごとも曖昧にしようとします。形勢を見ながら、うまい具合に立ちまわろうとするからです。それではいつまでも宙ぶらりんで、地に足のつかない人生を生きるほかありません。殊に信仰に生きようとするとき、心一つにして一途に貫くことが大切です。(KE)
12月9日
「この民の前に出入りすることのできるように今わたしに知恵と知識とを与えてください。」歴代志下1:10a
ソロモンが王となった時、神様は「あなたに何を与えようか、求めなさい」と言われました。彼は正しく国を治める英知を求めました。国王として強力な軍隊や豊かな産物など求めたいものはたくさんあるでしょうが、彼は自分にとって何が最も必要なものであるかを知っていました。このことは神様のみ心に適って喜ばれたのです。主は何を与えようか、求めなさいと言われます。あなたは今なにを求めますか。(KE)
12月8日
「彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し、住むべき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた。」詩篇107:6-7
悩み苦しみなど、試練にあうとき、パニックに陥り、常軌を失い、迷い出てしまいます。そのようなとき、先ずすべきことは神様に祈り求めることです。主は真実な方ですから、必ず応答してくさいます。そればかりか、なすすべもなく、途方に暮れる者を、懇ろに導いて、目的の地に案内する者のごとく、最後まで守り導いて下さいます。遠慮なく、大胆に主を呼び求めましょう。(KE)