どんな人の心でも、神様によれば一瞬に変えられてしまいま す

6月22日
「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ。主はみこころのままにこれを導かれる。」箴言21:1  
人の心ほど扱いにくく、厄介なものはありません。ましてや「王の心」となれば、暴君・専制君主ですから、誰も逆らうことも、翻意を促すこともできません。しかし、そのようなどうにも手がつかない心すら、神様の手に握られると、自由自在に操られるのです。ですから、どんな人の心でも(自分の心すら)、神様によれば一瞬に変えられてしまいます。神様に全能の力を発動していただくカギはただ一つ、あなたの祈りです。(KE)

神様は祈りを聞かなければならない責任も義務もありません

6月21日

「あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。」ヨハネ16:23c

 私たちはしばしば祈りますが、聞いてくださる方は「父」と呼ばれる神様です。父は子の求めになんとか答えようとします。神様も同じく子なるイエス様の取り成しを聞かずにおられません。私たちは十字架によって罪をあがなわれた者ですが、神様は祈りを聞かなければならない責任も義務もありません。ただ、御子イエス様の取り成しのゆえに聞き給うのです。それゆえ、御名によって祈るのです。(KE)

聖霊は私たちの祈りを御旨にかなうようにとりなしてくださるのです

6月20日

「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」ローマ8:26

 わたしたちはどんな祈りが神様に受け入れられるか知ることができません。自分勝手で、わがままな祈りばかりですが、神様からの霊(聖霊、御霊)は私たちの祈りを御旨にかなうようにとりなしてくださるのです。御霊の助けを信じて、祈り続けましょう。(KE)

誰の神でもない、まさに“あなた”の神様です

6月19日

「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13bc

 聖書に語られている神様は、誰の神でもない、まさに“あなた”の神様です。ですから、当然神様に帰るべきですが、どうしても素直になって悔い改め、神様に帰ることができずに惨めな人生になっています。しかし、神様は愛に満ちた方、否、愛そのものです。私たちが受けるべき呪いと刑罰すら、御子に負わせなさった方です。明日と言わず、今日、主に帰りましょう。(KE)

私たちも神様の存在が目障りな時、目を閉じているのではないでしょうか

6月18日

「主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。」エレミヤ23:24

 “頭隠して尻隠さず”と言う言葉がありますが、まさに神様に対する私たちはそのようなものです。隠したつもりでも、すべて見られているのです。子供は怖いとき目を閉じます。見えないと、怖いもの自体が無いと思い込むためです。私たちも神様の存在が目障りな時、目を閉じているのではないでしょうか。(KE)

災いも幸いも神様から出るからです

6月17日

「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」詩篇62:8

 “苦しいときの神頼み”と言われますが、逆境のときばかりでなく、順境の時も神様に信頼するのです。なぜなら、災いも幸いも神様から出るからです。すべてのことの根源である神様に信頼し、避け所とするなら、恐れるものはなくなります。しかも、神様は私たちの祈りを聞いてくださるのです。心にある様々な思いを、すべて神様の手に渡してしまいましょう。安心が来ます。(KE)

ある瞬間、突然のごとく動き始め、何事かと見ているうちに思いがけない結末に至ることがあります

6月16日

「かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。」出エジプト14:13b

 神様のなさる救いのわざは一気呵成に進みます。それまでは一向に動きません。私たちが問題に直面して、なんとか逃れようと七転八倒あがいてみても、微動だにしない事態や状況が、ある瞬間、突然のごとく動き始め、何事かと見ているうちに思いがけない結末に至ることがあります。まさにこれこそ神様の救いのみわざです。私たちのこれまでの人生はこのような神業(カミワザ)によって導かれてきたのではないでしょうか。(KE)

神様に期待し、待ち望むのはまさに忍耐そのものです。

6月15日

「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」ヘブル10:36

 人は待つことが苦手です。“打てば響く”敏速さが好まれますが、神様に期待し、待ち望むのはまさに忍耐そのものです。それは神様の時間と私たちの時間が違うからです。神様を待ち望むとは自分中心の時間軸から、神様の時間軸へ移ることです。そこは24時間、365日で区切られたものではなく、一日は千年のごとく、また千年は一日のように異次元の世界です。焦らず、いらだたず、じっくりと神様のわざを待ちましょう。(KE)

人生の様々な局面で人が絶妙なタイミングを知ることは困難です

6月14日

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」伝道3:11a

 物事にはそれぞれに最適な時期があります。早すぎず、遅すぎず、その時を探ることはなかなか困難です。農家の方は作物の植え付けから収穫まで時に応じて作業を進めます。漁業の方もまた漁の潮時を計ります。絶妙なタイミングに合うと最高の結果が得られます。しかし、人生の様々な局面で人がそれを知ることは困難です。なぜなら、全ての時は神様の手に握られているからです。私たちは神様のなさるわざに一切を委ねることがベストな選択です。(KE)

闇を取り除く道は光に照らされることです。

6月13日

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」ヨハネ1:5

 聖書では光とやみについて語られています。それを私たちに当てはめると、ひかりに輝いている心とやみが覆っている心となります。闇の世界は不安や心配、怒りや憤り、失望や絶望などに支配された心です。一方、光り輝く心は平安、希望、喜び、感謝などにあふれています。闇を取り除く道は光に照らされることです。イエス様はご自分のことを「まことの光」と言っています。あなたの心がイエス様に支配されるとき、闇はなくなります。(KE)