神様はあなたを心に刻んだと言われます

3月10日

「見よ、わたしは、たなごころにあなたの名を彫り刻んだ」イザヤ49:16a

 「たなごころ」とは掌のことです。言うならば、「手のこころ」とのこと。神様はあなたを忘れないように、心に刻んだと言われます。あなたを忘れないとの決意です。そんなにまで愛して下さる方に何をもって報いることができましょうか。何もありません。ただ、私たちもまた神様を忘れず、心の中心に座していただき、神様の御言葉の命を汲み、御心に従うこと以外にありません。(KE)

今日の通読箇所

雅歌5章

ルカによる福音書1章

身の丈に合う結果では神様には通じません

3月9日

「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ」。イザヤ54:2
 
 日本人が美徳と思うことの一つは、慎ましく、控え目である事です。人に頼みごとをするときも、身の丈に合う結果で満足しようとします。しかし、神様にはそれは通じません。神様は最大限の求めを喜ばれます。神様は全能者、出来ない事のない方です。あなたの願いは神様をどのように見ているかをあらすことです。思いっきり神様への期待を大きくしましょう。(KE)

今日の通読箇所

雅歌4章

マルコによる福音書16章

私たちを神の家族としてくださいました

3月8日

「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る」。ミカ5:2a

 ベツレヘムの馬小屋で生まれるイエス様を予言した言葉と言われます。確かに主は神の御子でありながら、貧しく、「見るべき姿なく、威厳もなく、慕うべき美しさもない」とイザヤは語ります。しかし、十字架に贖いを成し遂げて、甦られた主は、私たちに天国の扉を開き、御国の王となり、私たちを神の家族としてくださいました。救いは成就したのです。感謝。(KE)

今日の通読箇所

雅歌3章

マルコによる福音書15章

病人を運んだ人たちの信仰を見たのです

3月7日

「イエスは彼らの信仰を見て、『人よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた」。ルカ5:20

 ある日のことです。イエス様が教えておられると、そこへ体が不自由な病人が床に寝せたまま癒してもらおうと連れてきました。人が多くて主に近づけず、屋上から主の前に彼を吊り下ろしました。イエス様は病人を運んだ人たちの信仰を見たのです。たとえ本人に信仰がなくても、あなたが主を信じるなら、その祝福は広く周囲の人にも及ぶのです。(KE)

今日の通読箇所

雅歌2章

マルコによる福音書14章

神様は賛美するところにおられるのです

3月6日

「しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです」。詩篇22:3

 私たちの信じる神様は人の目で見ること、耳で声を聞くこともできません。何もないかのように思われますが、神様のいますことを知る方法があります。神様はイエス様の救いを信じる私たちが賛美するところにおられることを悟らせてくださるのです。神様の存在が薄くなってきたならば、大いに主を褒めたたえ、賛美しましょう。あなたの心に神様の力が注がれます。(KE)

今日の通読箇所

雅歌1章

マルコによる福音書13章

神様のみ心を行わなければなりません

3月5日

「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。マタイ12:50

 イエス様は失われていた私たちを見いだして、血をもって清め、神の家族としてくださいました。だから、わたしたちは兄弟姉妹であり、父母でもあります。ただ、条件が一つあります。父なる神様のみ心を行う者とならなければなりません。しかし、それは難しいことではなく、楽しみであり、喜びとなります。(KE)

今日の通読箇所

伝道の書12章

マルコによる福音書12章

良い木には良い実しか実らないからです

3月4日

「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである」。マタイ12:33

 良い実を得ようとするなら、良い木を選ばなければなりません。良い木には良い実しか実らないからです。そのように、人も良い木である主につながっていなければ良い実となりません。逆に、悪い木につながると、悪い実になります。あなたが悪い実なら、それはあなたの故ではなく、つながっている木の問題です。自ら吟味して、良い木につながることを努めましょう。(KE)

今日の通読箇所

伝道の書11章

マルコによる福音書11章

神様の許し無しに、雀一羽も地に落ちない

3月3日

「それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」。マタイ10:31

 この言葉に先だって父なる神様の許しがなければ、すずめ一羽も地に落ちないと語られています。小さなありふれた生き物すら、神様の支配の中にある事を思えば、何を恐れることがあるでしょうか。ひとり子を惜しまず、罪人の身代りとしてまで私たちを愛する方が、どんな時でも御手をもって支え守ってくださいます。(KE)

今日の通読箇所

伝道の書10章

マルコによる福音書10章

自分が思わなければ、結果を得れません

3月2日

「み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである」。マタイ9:21

 長年の病に苦しんできた女の人がイエス様の衣にでも触れば癒されると信じました。これが信仰です。他人が信じても、自分が「心の中で」思うのでなければ、結果を得ることができません。神様は全能者で、力あるお方です。その力を引き出すのは、誰でもない、あなた自身が何を心の中で思うかによります。(KE)

今日の通読箇所

伝道の書9章

マルコによる福音書9章

神様の愛なら、失望をも希望へと変えます

3月1日

「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」ローマ5:5

 これまでの経験から、失望に終わらない希望があるとは思われません。しかし、私たち罪人のために、ひとり子を犠牲にするほどの神様の愛に満たされるなら、どのような失望をも希望へと変えられます。常に、どんなことも主の愛を通して見ることを訓練しましょう。(KE)

今日の通読箇所

伝道の書8章

マルコによる福音書8章