7月23日
「見よ、わたしはまことに卑しいものです、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです」。ヨブ40:4
自分の不幸を嘆いて、「どうして」とつぶやくヨブに、神様は立て続けに問いかけられますが、何も答えられません。神様は変幻自在、どんなことでもなし得る方です。人は神様のなさる事をすべて知りつくすことはできません。あなたが「どうして」と問うとき、自分が神様になっているときです。(KE)
今日の通読箇所
7月23日
「見よ、わたしはまことに卑しいものです、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです」。ヨブ40:4
自分の不幸を嘆いて、「どうして」とつぶやくヨブに、神様は立て続けに問いかけられますが、何も答えられません。神様は変幻自在、どんなことでもなし得る方です。人は神様のなさる事をすべて知りつくすことはできません。あなたが「どうして」と問うとき、自分が神様になっているときです。(KE)
今日の通読箇所
7月22日
「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる」。ヨブ36:15
自分の思い通りに事が進むことを願います。そのため、他者の忠告や意見を素直に聞くことができません。その結果、しばしば不本意な事態の推移を受けいれられず、失望します。しかし、神様は、あなたの願いがとん挫することによって、目を開き、耳を開いて、新しい世界を体験させてくださるのです。何一つ無駄なことはありません。(KE)
今日の通読箇所
7月21日
「もしあなたの手に不義があるなら、それを遠く去れ、あなたの天幕に悪を住まわせてはならない」。ヨブ11:14
人は心になにか自分を責め、咎める思いがあるとき、弱くなり、力をなくし、闇が覆います。天地神明にかけて、清廉潔白、罪なしと言えるなら、どんなに幸いなことでしょうか。そうなる道は唯一つ、主の十字架にすがることです。主の死によってあなたの罪科すべてを消し去って下さったのです。(KE)
今日の通読箇所
7月20日
「そして言った、『わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな』」。ヨブ1:21
ヨブは神を畏れ、尊ぶ人でした。主は試みを与え、財産、家族、健康をすべて失います。しかし、これらの試練につぶやかず、神様を呪うこともしません。ゼロから始まった私たちの人生がゼロに終わるのも当然です。どのような状況に置かれようと、主の為さる業を信じて受けて立とうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
7月19日
「そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない」。ヤコブ1:22
救いは行いではなく、恵みによって与えられるものです。その一方で聖書は、御言を行うように、戒めを守るようにとも繰り返します。矛盾しているようですが、そうではありません。信仰と実践は車の両輪のようなものです。そして御言に従った時、その歩みを全うなさったイエス様の生き様に、触れることができるのです。(MK)
今日の通読箇所
7月18日
「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ」。詩篇42:1
野生の鹿が耳をそばだて、鼻を利かせ、何とか水にありつこうとする懸命な姿が頭に浮かびます。暑い夏になり、肉体の渇きを満たすための水分摂取は、しきりに推奨されますが、私達の心を満たす、霊の水なるイエス様についてはどうでしょう。今日も共に居てくださるイエス様に心を向け、この方の言葉を味わい、渇いた心に潤いを得ましょう。(MK)
今日の通読箇所
7月17日
「あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか」。Ⅰコリント4:7bc
私達が持っているものは、神様からの賜物であり、預かり物です。ある牧師が少年時代、買い与えられた鉛筆が嬉しくて、『〇〇所有』と自分の名前を書きました。しかしイエス様を信じ、全ては神様のものと知って、即座に『〇〇使用』と書き替えたそうです。この身軽さにあやかりたいものです。(MK)
今日の通読箇所
7月16日
「わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである」。ヨハネ8:42b
イエス様は大工ヨセフとマリアの子として、世に遣わされました。人の子であるイエス様は、また神様ご自身であると信じることが信仰の出発点です。主は人の受ける悩みも、失望も、不安も、恐れも、どんなことも体験された。だから、誰よりも私たちの思いのすべてを共感することができるのです。(KE)
今日の通読箇所
7月15日
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」。ミカ6:8b
神様が私たちに求めておられることは、わずかなことです。公義とは神様の義、正しさを行う事、また慈愛の心を育て、神様の前に身を低くして、御旨にしたがうことです。しかし、人にとってこれが実行するには難しいのです。それ故、イエス様は不言実行、御足の跡を残して、神様と共に歩ませてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
7月14日
「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた」。エレミヤ31:3
神様はご自分を知って欲しいと願っておられます。ですから、主はあなたが切に求めるとき、思いがけないところ、思いもしないことを通して、ご自身を現わしてくださいます。その主は私たちを無限の愛で愛していると語っています。しかも、口先だけでなく、嘘偽りでなく、どこまでも真実にあなたを愛していると。今日も主のご愛の御手に信頼して、主を知る者となってください。(KE)
今日の通読箇所