ひたすら神様の「みこころ」を求め、それに従ったのです

1月17日

「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」ヨハネ6:38

 キリストにならう、イエス様を模範にして、などと言われることがあります。そう言われると、「そうなのか」と分かった気になりますが、では具体的に何をすることでしょうか。その答えがこの言葉です。イエス様は父なる神様に徹底して従いました。自分の損得、利害、命をかえりみず、ひたすら神様の「みこころ」を求め、それに従ったのです。ここをならう者になりましょう。(KE)

時間空間を超えて、神様の義が徹底して貫かれることを覚えておきましょう

1月16日

「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。」第一ペテロ5:5c

 最近の中東アラブ世界での出来事を見ていると、長期期間、政権の座にあって唯我独尊と言わんばかりの指導者が崩れていく様子に、神様の厳粛な御業を思います。これは国家的な規模の話ですが、私たちの小さな世界(家庭)でも起こっていることです。神様の前に高ぶる、己を神とする姿はかの為政者たちと同じです。時間空間を超えて、神様の義が徹底して貫かれることを覚えておきましょう。神様は侮るべきものではありません。(KE)

心に責めを感じるなら、誤魔化さないで素直に神様の許しをいただきましょう

1月15日

「愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。」第一ヨハネ3:21

 日々の生活を送るうえで、もっとも幸いなことは心に平安があり、穏やかであることです。常に心が騒ぎ、苛立ち、失望の闇に閉ざされるなら、外的条件が恵まれていようと、その生活は悲惨です。そうならないように、しっかりと心を動かないものにしておきたい。ことに、心に責めを感じるなら、誤魔化さないで素直に神様の許しをいただいて、躓きの石を取り除けましょう。(KE)

試練をしのぶにしても先に対する希望がなければ耐えられません

1月14日

「試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」ヤコブ1:12

 人生には思いがけないことや嫌なことがたくさんあります。それらは神様の備えられたことであって、試練を通してしか味わえない恵みを与えるためです。そのために、試練にあるとき、忍耐しなければなりませんが、忍(しの)ぶにしても先に対する希望がなければ耐えられません。忍耐する支えとなるのは、いのちの冠、天国への望みです。永遠のいのちこそ、目指すべきものです。(KE)

神様の前にはなにも隠せないのです

1月13日

「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。」詩篇139:1

 神様はどんなことでも知っておられる全知なる方です。もちろん、あるかないか分からない私たちをも、ことごとくつぶさに知っておられます。考えると怖い話ですが、一方、だからこそ安心でもあります。神様の前にはなにも隠せないのです。それなのに隠せると思うところに神様を侮る罪があります。都合の悪いところは隠しておきたいと人は思いますが、神様には通用しませんから、こちらも裸になって、神様にすべてを打ち明けましょう。(KE)

大切なのは、私たちが神様を知りたいと切に願うことです

1月12日

「わたしはわたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と。」イザヤ65:1

 まことの神様は私たちを造られた方でありますから、被造物である私たちが神様を求め、知ってほしいと願っています。ですから、いろんな時に、様々な方法で神様がいますことを表しておられます。大切なのは、私たちが神様を知りたいと切に願うことです。求めるなら、身近なところで神様に会うことができます。(KE)

死んで生きる人生こそ、新しく生まれることです

1月11日

「もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。」ローマ6:8

 「キリストと共に死ぬ」、これが十字架の奥義です。その意味はイエス様のためにと信じて、自分の一切を顧みない、捨てることです。そうすると、言い表せない生きる喜びを味わいます。まさによみがえりのいのちに生かされることを確信します。死んで生きる人生こそ、新しく生まれることです。死ぬことが不徹底ですと、生きる喜びも得られません。今日も一つ一つのわざにあって、よみがえりの主と共に生きようではありませんか。(KE)

しかし、彼には神様からの知恵があったのです

1月10日

「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。」使徒27:11

パウロがローマへ護送されていく途中、暴風の季節になり、しばらく時を待たねばなりませんでした。しかし、少しでも先に進みたい思いがあり、百卒長は思案しました。パウロは危険があるから、今の港で過ごそうと勧めましたが、百卒長は経験があり、知識のある人を信頼しました。パウロは航海術に優れた人ではありません。しかし、彼には神様からの知恵があったのです。神様のみ心を知ることをまず求めようではありませんか。(KE)

親兄弟など肉親関係とも違って「信仰」という一点でつながったものです

1月9日

「神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。」マルコ3:35

 イエス様に救われて信仰生活をするようになると、教会で出会う同信の人々と新しい人間関係が出来てきます。学校や職場が同じという関係や親兄弟など肉親関係とも違って「信仰」という一点でつながったものです。しかも、その関係は、50年60年と、生涯続きますから、家族以上の親密さが生じます。また、信仰を失うと消えてしまう関係でもあります。まさに神の家族となるのです。不思議な交わりです。(KE)

恵みとして感謝することこそ「神の栄光」になるのです

1月8日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

 「神の栄光」とは超人的なわざ、天然自然の特異現象や異変などのようなものではありません。人生に起きるどんなことも、「益」であることを認め、恵みとして感謝することこそ「神の栄光」になるのです。つぶやいたり、嘆いたり、悲しんだり、怒っているなどは、逆に栄光を汚すことにほかなりません。あなたが喜び、感謝して、輝いていることを神様は願っています。(KE)