揺るがない信仰に立つように必要な試練を与えられるのです

5月1日

「主よ、わたしをためし、わたしを試み、わたしの心と思いとを練りきよめてください。」詩篇26:2

 “あるようでないのが信仰”と冗談で言われますが、まさに信仰があるかないか、自分ですらもはっきりしません。どれほどの信仰があるか、それを知るために試みられます。学校で定期試験があるのも自分の学習度がどの程度であるかを計るのと同様です。神様は私たちが揺るがない信仰に立つようになることを願っています。そのために必要な試練を与えられるのです。大いに練り清められ、キリストに似るものとなりたいものです。(KE)

親鳥がその雛を羽でおおうように神様は私たちを守り、生かし、持ち運んでくださるのです。

4月30日

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。」詩篇91:4

 神様は私たちの創造者です。この世にある限り、神様は私たちを守り、生かし、持ち運んでくださるのです。まるで親鳥がその雛を羽でおおうように。しかし、現実にはどこにもそれらしきものが見えません。そのために神様を疑うようになりますが、それは間違いです。神様は“まこと”であり、真実・誠実に造り主としての製造者責任を果たされます。そこに私たちの安心と望みがあるのです。(KE)

神様は暗い事態や状況に財宝や宝物を隠しておられます

4月29日

「あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。」イザヤ45:3

 人生には願わない事態、嫌悪すべきことなどに遭遇することがしばしばあります。それは“暗い所”であり、“ひそかな所”です。そんなところに宝と言えるものは無いように見えます。しかし、神様はそのような事態や状況に財宝や宝物を隠しておられて、私たちに神様を感歎賛美させ、涙を喜びに、憂いを笑いに変えて下さるのです。(KE)

命をいとわないで神様に信頼した結果、神様は真実に答えて下さったのです

4月28日

「これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。」ダニエル6:23b

 ダリヨス王がペルシャの王となったとき、有能なダニエルを信頼しました。そのことに反感を抱いた者たちが彼を貶める法律を作ったのです。それは王様に願い事をすることでした。神に祈るなら、ししの穴に投げ込むと。ダニエルはいつものように神に祈ったので、捕らえられてししの穴に投げ入れられましたが、なにも害を受けませんでした。その理由がこのみ言葉です。命をいとわないで神様に信頼した結果、神様は真実に答えて下さったのです。あなたも神様に賭けてみませんか。(KE)

最善の基準は「主の御旨」に従う事です

4月27日

「だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。」エペソ5:17

 日々の生活にあって、私たちは「選択と決断」が常に求められます。右か左か、前か後ろか、間違いのない選択を願います。多くの場合、自分にとって「損か得か」、あるいは「費用対効果」などの基準に沿って決断しますが、悔やむ結果になります。最善の基準は「主の御旨」に従う事です。そのために祈らなければ知り得ません。事に取り掛かるとき、まず祈って主のみ思いを求めてください。そうすれば満足する結果を得ることができます。(KE)

感謝してありのままにすべてを「よし」としようではありませんか

4月26日

「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4

  森羅万象、すべてのものは神様の創造によるものです。私たちもまた造られたものであり、神様の作品です。しかも、造り主なる神様は完全なる方であって、失敗作などありません。すべてが傑作・自信作です。人は神様の思いを知りつくせないゆえに、身勝手な評価を下して、「良い」「悪い」をあげつらいます。まず、感謝してありのままにすべてを「よし」としようではありませんか。(KE)

神様のわざ、み思いを知り尽くすことができません

4月25日

「わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。わたしはこれを語り述べようとしても多くて数えることはできない。」詩篇40:5

  神様のわざ、み思いを知り尽くすことができません。だからこそ神様です。私たちの知るところはほんのわずかです。知らない事の方がはるかに多いのです。だから、知らない、分からないことを悩むことはいりません。むしろ、神様のわざに信頼して、み手に持ち運ばれていることを感謝し、喜ぶべきです。今日はどんな一日でしょうか。(KE)

順境の時も、逆境のときも神様がみこころをなそうとする道具立てにすぎません

4月24日

「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる。」ヨブ36:15

 人は苦しみや悲しみに遭うと、人生の貴重な時間を無駄に過ごしてしまうかのように思います。しかし、私たちの人生は神様によって造られているものですから、無駄なもの、無意味なものなど決してありません。そのような仕分けをするのは人の身勝手です。人生には順境の時も、逆境のときもあります。そのどちらも神様がみこころをなそうとする道具立てにすぎません。どんなことにも、神様の思いを悟ってください。(KE)

足るを知ること、すべてのことを感謝することができれば全てです

4月23日

「うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。」箴言30:8

 人の大きな罪は「貪欲」です。必要以上に求め、蓄えようとするために、「うそ、偽り」どころか、強盗殺人など、さまざまな犯罪が横行することになります。足るを知ること、すべてのことを感謝することができれば全てです。神様に養っていただくなら、空の鳥のごとく、野の花のように生活のことは心配いりません。自分で養おうとするから、思い煩いや不安・恐れが伴うのです。(KE)

主にたより、頼みとするとは、命の源なる神様につながることです

4月22日

「おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。」エレミヤ17:7

 私たちの生きるいのちは自分の中から湧きません。車にガソリンが給油されて力をえるように、私たち人間の“ガソリン”は神様から注がれるのです。主にたより、頼みとするとは、命の源なる神様につながることです。神様以外のものにつながると命が途絶えてしまいます。主につながるならば、そこから命の水が豊かに注がれ、日照りの時も、猛暑の中もしおれることなく、枯れることもありません。あなたは何を拠り所としているでしょうか。(KE)