単純に信じるとき、その結果を体験することができます

2月18日

「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである。」ヨハネ20:29

 人は自分の五感を通して事の真偽を確かめ、信じようとしますが、それによって全てを知ることは出来ません。神様を見ることも、触ることも、聞くこともできません。ただ聖書に書かれていることを、見ないけれども、触ったわけではないけれども、単純に信じるとき、その結果を体験することができます。疑い続ける限り、幸いな結果を得ることができません。(KE)

みことばを聞き流さないで悟る者となってください

2月17日

「だれでも御国の言(ことば)を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。」マタイ13:19a

 「御国の言」とは聖書の言葉です。みことばを聞くだけなら何の役にもたちません。まるで播かれた種が鳥に食べられてしまうようなものです。聖書の言葉を聞いて、心に信じて、みことばの命をくみ取るならば、あなたの思考・行動・感情など、すべてに新しい体験をすることができます。みことばを聞き流さないで悟る者となってください。必ず、神様の力に溢れます。(KE)

二つのことを同時に同じようにすることは不可能です

2月16日

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。」マタイ6:24ab

 人は自分が思っているほど器用なものではありません。二つのことを同時に同じようにすることは不可能です。どうしても一方がおろそかになります。神様を信頼しつつ、お金や人を頼りにしては神様の祝福と恵みを受けることができません。どちらか一つを主にしなければ、“あぶはちとらず″になります。神様だけと心一つになるなら、まことに幸いです。(KE)

なたが受けているものの価値にふさわしい行動をしてください

2月15日

「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたにかみついてくるであろう。」マタイ7:6

 事や物の値打ちや価値を正当に評価できない者の愚かさを指摘したものでしょう。大切なものや貴重なものが分からず、つまらないものに熱中しているなら、それだけの人でしかありません。今日、あなたが受けているものの価値をきちんと悟って、それにふさわしい行動をしてください。物事の軽重を計って、第一にすべきものを後回しにしないように。(KE)

かなえられないことを恐れて、どこかであきらめているからです

2月14日

「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。」ヨハネ16:24bc

 求めること、願うことがあっても、素直にそれを現すことが苦手です。かなえられないことを恐れて、どこかであきらめているからです。神様はあなたを喜びで満たしたいと願っておられるのです。また神様はどんなことでもできる方です。しかも、独り子を与えて下さったほどに私たちを愛しておられます。あきらめないで、信じて求めようではありませんか。神様はあなたを喜ばせてくださいます。(KE)

何をもってしても真に頼りとなるものはありません

2月13日

「主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。主に寄り頼むはもろもろの君にたよるよりも良い。」詩篇118:8-9

 人は弱く孤独ですから、何かを頼りとし、縋るものが必要です。そのため、まるで朝顔のように、人や物など、どんなものにでも寄り頼もうとしますが、何をもってしても真に頼りとなるものはありません。造られたもののうち、人は全てに勝ったものとして造られたのであって、人を越えるものは神様しかおられません。自分より低いものを頼るほど愚かなことはありません。(KE)

しかし、その時がいつであるか分からないのです

2月12日

「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4

 この世にあって生きる命はいつまでも続くわけではありません。必ず、終わる時がきます。しかし、その時がいつであるか分からないのです。そのために、人はいつまでも世にあるかのように思い、油断します。いつ、その時が来ようとも、心穏やかに、望みを持ちつつ、主のみ許に帰れるように、日々、備えようではありませんか。(KE)

神様を求める人は自分の罪を知り、弱さを認める人です

2月11日

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」マタイ9:12

 確かに、医者を必要とするのは病気の人です。自分が病んでいることを自覚し、治りたいと願う人が医者のところへ行きます。その自覚がない人はいくら病んでいても医者を求めません。同様に、神様を求める人は自分の罪を知り、弱さを認める人です。自分を省みて、不安や恐れ、怒りやつぶやきなどに満たされているなら、それは罪の結果であることを認めて、イエス様を求めて、平安と望み、愛と喜びを取り戻そうではありませんか。(KE)

心に指差しを受けるようなことがあるなら、神様に祈って告白し、主の十字架の赦しを信じてください

2月10日

「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表してこれを離れる者は、あわれみをうける。」箴言28:13

 心ひそかにやましい思いを持つ限り、その人には安心がなく、満足もありません。恐れによって心が弱ります。たとえ誰にもわからないと思っても、心に指差しを受けるようなことがあるなら、神様に祈って告白し、主の十字架の赦しを信じてください。そうするとき、神様からの憐みを受け、心は平安と喜び、感謝に溢れ、心が軽やかになります。また、主はあなたの手のわざを祝福して、豊かに恵んでくださいます。(KE)

神様への捧げものとして生きることです

2月9日

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。」コロサイ3:23

 今日一日のあなたのわざは誰のためにあるのでしょうか。自分のためだと言うでしょう。あるいは家族でしょうか。しかし、人の生き甲斐は自分や誰彼のために生きることではありません。事の大小を問わず、神様への捧げものとして生きることです。仕事にしろ、遊びにしろ、家事であっても、主のみこころを信じて、主のためにするのです。神様はその労苦に報いてくださいます。(KE)