8月16日
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない」。マタイ5:14
かつては罪という闇に囚われていた私達を、イエス様は十字架の死をもって解放してくださいました。そればかりか、御自身の属性である光の中に私達を招き入れてくださったのです。地上の生涯に、悩みや困難は尽きませんが、救われた私達には御国に対する望みがあります。この希望を抱いて生きることこそ、世の光としての私達の使命です。(MK)
今日の通読箇所
8月12日
「主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、そのおられる所から地に住むすべての人をながめられる」。詩篇33:13-14
神様の眼差しを自覚することは、自分の歩みを整える物差しとなります。主は昼夜分かたず、四六時中私たちを見ておられます。ただに見ているだけでなく、必ずその歩みに応答して下さるのです。常に見られているのは息苦しく感じますが、そのことを自覚して生活するなら、安心が得られます。今日も主はあなたを見ておられますよ。(KE)
今日の通読箇所
8月11日
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである」詩篇32:1-2
人は何をもって幸いというでしょうか。金品の豊かさ、願いや欲望が満たされると幸いだと思う。そのような幸いは失われ、消えゆくものにすぎません。なによりも、心にある咎、罪、不義などがきれいさっぱり消されるなら、これに勝る幸いはありません。そのための主の十字架です。(KE)
今日の通読箇所
8月10日
「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」。マタイ7:24
どんなことでも、基礎、土台と言うべきものがあります。確かに見栄え良くできたものでも、基礎がなければすぐに壊れてしまいます。人生の基礎はどこにあるでしょうか。持ち物が沢山あっても、知識が豊かであっても、人生の困難に会うと、脆くも壊れてしまいます。イエス様は神の言葉こそ堅固な土台だと言われます。今日もみ言葉を土台として生きてください。(KE)
今日の通読箇所
8月9日
「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」。ローマ8:34
とかく人は他人の失敗に対して不寛容です。しかし翻って見れば、自分自身が誰かを批判できるような者ではないことに気付きます。イエス様はこのような不完全な者のために死んでくださったばかりか、今なお私達の側に立って、擁護し続けてくださいます。感謝以外にありません。(MK)
今日の通読箇所
8月7日
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」。ローマ8:28
幼い頃、祈って寝て、起きたら問題全てが解決していれば良いのに、と考えたものです。しかし神様は、御利益放出の自動販売機ではありません。私達が与えられた使命に務めていく時、『共に働いて』くださるのです。そうでなければ私達が、主の業の証人になることが出来ないからです。(MK)
8月6日
「強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。ヨシュア1:9bc
モーセの後継者であるヨシュアに語られた主の言葉。これはまた今日を生きるあなたへのメッセージです。どこに目を留めて生きるか、見える状況、聞こえてくる情報、様々な周囲の様子に心悩ますとき、ただ一つ、「神、主が共におられる」ことを決して忘れてはなりません。(KE)
今日の通読箇所