11月25日
「『見よ、これは新しいものだ』と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである」。伝道1:10
人は何か珍しいものを見つけると、新発見、新発明と有頂天になって喜びます。しかし、科学のどんな新しい原理や法則も、神様の造られた不変の法則に従っているだけのことで、何ひとつ目新しいものはありません。すべては神様の作品である自然を模倣したものにすぎません。(KE)
今日の通読箇所
11月25日
「『見よ、これは新しいものだ』と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである」。伝道1:10
人は何か珍しいものを見つけると、新発見、新発明と有頂天になって喜びます。しかし、科学のどんな新しい原理や法則も、神様の造られた不変の法則に従っているだけのことで、何ひとつ目新しいものはありません。すべては神様の作品である自然を模倣したものにすぎません。(KE)
今日の通読箇所
11月24日
「もしあなたのあだが飢えているならば、パンを与えて食べさせ、もしかわいているならば水を与えて飲ませよ。こうするのは、火を彼のこうべに
積むのである、主はあなたに報いられる」。箴言25:21-22
「復讐するは我にあり」と、主は言われます。敵に善意を施すとき、それは主に対するあなたの信頼が試されているときです。自分で決着を付け
ようとすれば、事は簡単に終わりそうですが、主のときを待つには、忍耐が必要です。(KE)
今日の通読箇所
11月23日
「銀から、かなくそを除け、そうすれば、銀細工人が器を造る材料となる」。箴言25:4
「かなくそ」とは不純物のことです。繊細な工芸品を造るとき、職人を選ぶのは当然ですが、どんなに腕利きの職人であっても、素材が欠けだらけでは十分に力を発揮できません。同様に、神様は私たちをご自身の栄光を現す器に仕立て上げるため、様々な苦難や試練を通して、不純物を除かれます。今日も神様の最高の器にしようと、作業を進めておられます。主のみ手に委ねましょう。(KE)
今日の通読箇所
11月22日
「こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された」。創世記19:29
神様は二人のみ使いを送り、ソドムの町の様子を探らせます。しかし町の人々は、み使いにさえ乱暴を働こうとします。神様は遂にこの町を滅ぼす事を決断しますが、先のアブラハムの決死の談判を覚え、ロトを救い出されます。神様は昔も今も、御自身の発した約束に真実なお方です。(MK)
今日の通読箇所
11月21日
「アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。創世記18:32
堕落の一途をたどるソドムの民に、制裁を加えようとされる神様。しかしその地に住む甥のロト一家を心配し、アブラハムは決死の談判をします。五十人、四十五人…と続く交渉に神様は忍耐強く付き合い、計画変更を約束して下さいました。(MK)
今日の通読箇所
11月20日
「アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」。創世記17:1
全き者とはどのような人でしょうか。一つの罪も過ちもない、完璧な人間のことでしょうか。いいえ、神様は御自身こそが全能と仰いました。その全能の神様の前から、逃げ隠れすることなく歩むようにと願っておれられるのです。何時如何なる時も、主と共に生きる私達であって欲しいのです。(MK)
今日の通読箇所
11月19日
「また彼らは自分の神以外の神に仕え、拝むよりも、むしろ王の命令を無視し、自分の身をも捨てようとしたのだ」。ダニエル3:28c
バビロン帝国の捕囚となったユダヤの三青年は、ネブカデネザル王の命じた偶像を拝みませんでした。そのため、火の燃える炉に投げ込まれましたが、神様は彼等を守って救い出してくださいました。彼らが真実に神様を畏れ、ただ神様だけに心を尽くして信頼した結果です。このような信仰の勇者を主は待っておられます。(KE)
今日の通読箇所
11月18日
「神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。神は深妙、秘密の事をあらわし、暗黒にあるものを知り、光をご自身のうちに宿す」。ダニエル2:21-22
ここで神様がどのような方であるか、紹介されています。この世を見ると、ことごとく人のわざであるかのように思われますが、そうではありません。万物を創造される方は、今も人の世のすべての事をみ心に従って導かれます。あなたの今日の一日も、神様の創造によることを覚えておいてください。(KE)
11月17日
「彼はまたわたしに言われた、『これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聴け』」。エゼキエル37:4
預言者エゼキエルは神様に導かれて、枯れた骨に満ちた谷に来ました。そこで主が命じられたのがこの言葉です。すでに命を失い、骨の山にむかって、何をすることができるでしょうか。しかし、神様の言葉が発せられると、骨に命が吹きこまれ、生きる者となりました。神様の言葉は枯れた骨すら生き返らせるのです。今日も主の命に満たされて生きてください。(KE)
今日の通読箇所
11月16日
「あなたがたはわが羊、わが牧場の羊である。わたしはあなたがたの神であると、主なる神は言われる」。エゼキエル34:31
羊は飼う者が居なければ命を守ることができません。私たちも養う方が居なければ生きることができないのです。弱くて無防備な私たちを知っておられる神様は、あなたを「わが牧場の羊」と呼んでおられます。愛に満ちた牧者である主のもとに帰ろうではありません。滅びへの結末が差し迫っているからです。(KE)
今日の通読箇所