それでもなお神様にすがり、敵に当たる力を得ました

6月9日

「しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。」サムエル記上30:6c

 ダビデは次の王になる信認を神様から受けましたが、在位中のサウル王は彼をなきものにしようとしました。ダビデは自分の身だけでなく、国が敵から攻められることにも対処しなければならない極めて困難な状況にありました。そのような時、アマレクびとによって、同胞や自分の身内も捕虜になったのです。彼は失望し、力を失いましたが、それでもなお神様にすがり、敵に当たる力を得ました。困難に遭うときこそ、力の源である神様に頼りましょう。(KE)

絶対的な不動の岩である神様に心を掴んでいただくとき

6月8日

「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」エレミヤ17:9

 人の心ほど頼りないものはありません。自分の心でありながら、ころころと変わり、定まりません。それは心の拠り所が無く、浮き草のように感情や情動に流されているからです。絶対的な不動の岩である神様に心を掴んでいただくとき、どんなことにも動かされず安定します。また、神様に心を委ねると、それを清め整えて命を注いでくださいます。(KE)

感謝することが神様の栄光なのです

6月7日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

 「神の栄光」といわれると、なにかとてつもない事象のように思いますが、実はもっと身近なありふれたことです。「感謝が満ちあふれて」とあるように、感謝することが神様の栄光なのです。神様の作品である私たちが暗く、沈んで、不安げで、喜びも感謝もなければ、神様の名を汚すことになります。今日も、あなたは神様の栄光をあらわすものと期待されています。(KE)

私たちを訓練するために試練を与えられますが、それは愛によるものです

6月6日

「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。」イザヤ49:15

 昨今のニュースによると、親が自分の子を虐待する事件が頻発しています。親が子を愛するのは自然なことではなくなりつつありますが、神様は子である私たちを決して忘れません。また、酷い虐待をするような方でもありません。私たちを訓練するために試練を与えられますが、それは愛によるものです。怒りや憎しみによるのではありません。(KE)

ただ、神様が彼に目をとめてくださったから、王となったのです

6月5日

「主はダビデにすべてその行く所で勝利を与えられた。」 サムエル記下8:6c

 「向かうところ敵なし」と言うほどの勢いを持って、ダビデは国を治めました。それはかれが知略に長けた有能な王であったからではありません。ダビデは平凡な羊飼いの末息子です。ただ、神様が彼に目をとめてくださったから、王となったのです。神様の恵みのゆえであることを決して忘れず、神様の御心を求め、従い、心から信頼しました。その真実な心に応えて、神様は彼に大いなる勝利を与えてくださいました。あなたも主の報いを求めませんか。(KE)

私たちの罪は完全にゆるされ、神様のものとされました

6月4日

「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」マタイ26:28

 最後の晩餐の席での記事です。この言葉の前に、「この杯から飲め」とあります。十字架に流されたイエス様の血によって、私たちの罪は完全にゆるされ、神様のものとされました。同時に、血は無罪放免の証書に刻印された血判でもあります。天地万物の創造者、全能の神様が私たちにこれほどの犠牲を払ってくださった事実を決して忘れてはなりません。神様は真実な方ですから、結ばれた約束は取り消されません。(KE)

神様は常に私たちと共にいて、働いて下さっています

6月3日

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」ローマ8:28

 「召された者たち」とは私たちのことです。神様は常に私たちと共にいて、働いて下さっています。願いを起こさせ、思いを与え、みこころを行っています。それによって私たちに感謝、讃美させ、喜びを与えるためです。神様はご自分の命で贖った私たちを悲しませ、苦しめ、失望させる方ではありません。(KE)

良いことも悪いことも、すべて神様の恵みである

6月2日

「わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。」詩篇116:12

 神様の恵みと言うとき、「棚からぼた餅」式の幸運な出来事を想像しますが、神様の恵みは私たちの人生全般にわたることです。ミクロな日常茶飯事から、マクロの大宇宙にいたるまで、神様の恵みでないものはありません。残念なことに、日常生活にあって、感覚が鈍り、恵みと感じられなくて不平不満、つぶやいています。良いことも悪いことも、すべて神様の恵みであると謙遜に認めて、全てを感謝しましょう。(KE)

信じるあなた自身の生き方です

6月1日

「しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである。」テトス3:9

 食卓での話題に宗教と政治は禁物といわれます。それは人を感情的に激高させるものだからです。宗教戦争や宗派間の争いは古くから続いています。しかし、信仰は議論して優劣をつける種類のものではありません。信じるあなた自身の生き方です。しかも、言葉遊びや、観念の世界ではなく、具体的な現実の生活、行動に直結した力とわざが信仰です。(KE)

その苦難は私たちの魂を救い、喜びを与えてくれます

5月31日

「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。」ピリピ1:29

 信心は自分に安心立命を与え、幸せになる道だと思われています。たしかにそのとおりですが、しかし、それはまだ半分です。イエス様を信じる信仰は自分のために生きるのではなく、キリストのために生きることにあります。その結果、キリストのために苦難にも遭います。ただし、その苦難は私たちの魂を救い、喜びを与えてくれます。(KE)