ただ、一方的な恵みに感謝するほかないのです

8月20日

「彼は拝して言った、『あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか』。」サムエル下9:8

 ダビデ王は親友ヨナタンの遺族を恵もうと、彼の子メピボセテを探して王宮に住まわせ、王の食卓で食事をさせました。彼は自分を「死んだ犬」と譬えていますが、足が不自由で歩けませんでした。ダビデ王の破格の厚遇に彼は何も応える術がありません。ただ、一方的な恵みに感謝するほかないのです。神様の恵みもまたしかりです。神の子とされた私たちはどれほど感謝しているでしょうか。(KE)

神様を抜きにして生きる人生は真に楽しむことができません

8月19日

「だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。」伝道2:25

 人がこの世に生を受けたことすら、自分の計画やわざによるものではありません。神様なくしてあり得ない事です。しかし、人はそれを忘れて、自分の計画と力、知恵で生きているかのように思い違いをしています。神様を抜きにして生きる人生は真に楽しむことができません。食べることに代表される生活全般のために、艱難辛苦を耐え、重き荷を負うがごとく生きなければならないのです。あなたは心軽やかに今日の一日を生きていますか。(KE)

私たちが神様の怒りをうけるような態度をとっているのです

8月18日

「あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。」ローマ2:5

 神様は人を裁く冷血漢のごとく思われがちです。勿論、義なる方ですから、罪をいい加減になさいません。しかし、決して滅ぼそうというのではなく、私たちが神様の怒りをうけるような態度をとっているのです。“自業自得”とはこのことです。どんな小さな罪をも悔い改め、柔らかい心になってへりくだりましょう。主は豊かな赦しを与えてくださいます。(KE)

あばら家に住もうと、心が満ち足りて燃えているなら、天国の生活です

「たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。」伝道6:3

 人の幸・不幸は物の豊かさや、恵まれた境遇などによるものではありません。山海の珍味を食べ、豪華絢爛たる豪邸に住もうと、心に満足がなければ地獄も同然です。また、その日暮らしで寒風吹き抜けるあばら家に住もうと、心が満ち足りて燃えているなら、天国の生活です。与えられた状況・境遇に満足する心は神様の愛に満たされるときです。(KE)

謙遜になり、御心にしたがったとき、「恵まれた女」となったのです

8月16日

「御使がマリヤのところにきて言った、『恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます』。」ルカ1:28

 神様の御子であったイエス様が世に降り、人となった目的は、私たちの罪を清め、神様と共に生きる者とするためです。マリヤさんはとんでもない事態に引き込まれましたが、主が共におられることの恵みを体験させられました。マリヤさんが共におられる神様は「なんでもできないことはない」全能者であることを認めて、謙遜になり、御心にしたがったとき、「恵まれた女」となったのです。あなたもこの恵みを得て下さい。(KE)

怒りや憤り、失望や落胆を繰り返すのは神様への怒りです。

8月15日

「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」ヨブ22:21

 人が不安になり、苛立ち、わけのわからない焦燥感に悩み、怒りや憤り、失望や落胆を繰り返すのは、心の奥にある闇がなせるわざです。根本の原因は造物主なる神様への怒りです。周囲の事情・境遇を変えてみても、そこから逃れることができません。自分を義なる者とする自我が底岩のように頑強に神様を押しのけているからです。神様の前にへりくだって、罪を悔い改め、主の十字架による和解を信じるとき、全き平安が得られます。(KE)

私たちの日々の生活も神様の御手によるものですから、不思議があって当然です

8月14日

「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」イザヤ43:19

 人のすることはどんなに新しいといっても、どこかに古いものを引きずっています。しかし、神様のわざは破天荒なものです。「荒野に道」、「さばくに川」というように、人知を越えた事態です。私たちの日々の生活も神様の御手によるものですから、不思議があって当然です。後ろを振り返らず、備えられた未知の領域へ踏み出しましょう。そこに祝福と恵みがあります。(KE)

それはイエス様の十字架の死を自分の死であると信じた結果です

8月13日

「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。」第二コリント4:8-9

 使徒パウロはよみがえったイエス様を信じることで、それまでの自分と違う新しい命に生きる者となりました。それはイエス様の十字架の死を自分の死であると信じた結果です。だから、生きているのはオマケの人生であり、イエス様の命に生かされていると信じました。それがこの言葉のようにどんなことにも動じない、タフな生きざまとなったのです。あなたはいかがですか。(KE)

望みも、喜びも、平安もなく、つぶやきと苛立ち、憤りと不安や焦りに囲まれています

8月12日

「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」ヨハネ1:9

 かつてギリシャの哲学者が輝く太陽のもと、提灯を灯して「暗い、暗い」と言いながら街中を歩いたとの故事があります。彼は人の心の闇を指摘したのでしょう。現代も闇に覆われた時代ではないでしょうか。物質的な豊かさを誇り、きらびやかな光に満ち、どこにも暗闇などないように見えますが、望みも、喜びも、平安もなく、つぶやきと苛立ち、憤りと不安や焦りに囲まれています。この闇を取り除くには「光」が必要です。イエス様こそ、この光です。(KE)

心が頑なになったとき、出来るだけ早く素直に忠告を聞き入れ、すぐに心をかえることが大切です

8月11日

「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブル3:13

 心が頑なになるとき、そのきっかけは実にたわいもない、面子やプライドなど、小さなことではじまります。そこから争いや対立、憎しみ合うことになってとんでもない結果を招きます。それはまさに罪のしわざです。そうならないために、心が頑なになったとき、出来るだけ早く素直に忠告を聞き入れ、すぐに心をかえることが大切です。遅くなると厄介です。(KE)