私たちはどれほどイエス様に感謝しているでしょうか

7月20日

「イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。」ルカ17:16

 皮膚病を患っていた10人が、イエス様のことばに従って祭司に見せに行く途中ですっかり癒されました。そのうちの一人で異邦人であった者がイエス様のもとに戻って来て、心から感謝しました。彼は当時の社会で差別され、イエス様からこのような恵みをいただく値打ちはないと思っていたから、望外の喜びです。私たちはどれほどイエス様に感謝しているでしょうか。日々の生活を振り返ると、どんなに感謝してもしすぎることはありません。(KE)

艱難によって良い結果が得られるとはかぎりません

7月19日

「人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。」哀歌3:27-28

  世間でも“鉄は熱いうちに打て”と言います。確かに若いときの苦労は有益ですが、しかし、艱難によって良い結果が得られるとはかぎりません。人生に禍根を残すことになることもあります。ただ、艱難試練を神様から与えられたものとして受けるなら、必ず良い結果になります。神様が報いて下さるからです。そのためには、あなた自身がそのことを信じることです。(KE)

隠れた自分を含めて、根こそぎ神様に知られているならば、これほど安心なことはありません

7月18日

「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。」詩篇139:23

   自分のことは自分がよく知っていると思いがちです。しかし、冷静に考えると、どれほど知っているだろうかと疑問に思います。思いがけない弱さや頑固さ、冷酷さ、感情的な脆弱さなどなど、試練や苦しみ、困難など、様々な事にぶつかって自分を発見します。隠れた自分を含めて、根こそぎ神様に知られているならば、これほど安心なことはありません。神様に遠慮しなくてよいのですから。(KE)

神様の御旨によるものと信じ、感謝して喜び行うとき、信仰に応えて恵み豊かな道に導いて下さいます

7月17日

「あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもって、わたしを平らかな道に導いてください。」詩篇143:10

 人が創造者なる神様の御旨を知り、それを行うのは人としての本分です。日々の生活でなす業を自分の思いのままでなく、神様の御旨によるものと信じ、感謝して喜び行うとき、神様はその信仰に応えて恵み豊かな道に導いて下さいます。大切なのは神様に心と思いを向けて、みことばのように祈り求めることです。神様は必ずその祈りに応答して、結果を出して下さいます。(KE)

人生設計が予期しない道へ進むと、失敗者のように思われますが、それは間違いです。

7月16日

「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23

 人生設計を自分で計画し、それを完成しようと願いつつも、思いがけない事態や状況に妨げられ、予期しない道へ進んでしまいます。そうなると、なんだか自分が落伍者、失敗者のように思われますが、しかし、それは間違いです。人が生まれることすら自分の目論見によるのではありあせん。ましてや、それからの人生のすべては神様のご計画による導きによって今があるのです。(KE)

私たちは父なる神様の意思に従い、その手のなさるわざにまかせることが全てです

7月15日

「されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」イザヤ64:8

 神様と私たちとの関係をきちっと整えておくことは重要なことです。神様は「父」であり、「陶器師」です。一方、私たちは被造物なる「み手のわざ」です。私たちは父の意思に従い、その手のなさるわざにまかせることが全てです。私たちを神様の作品とし、それを通してご自分の技量を誇示するのです。私たちには誇るところが何もありません。ただ、父なる神様の栄光があるのみです。(KE)

そもそも私たちを養っているのは神様です

7月14日

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」マタイ6:26

 人は自分の力や知恵によって生きていると思っています。その結果、自分の力の及ばない事態になると不安や心配になります。自分でなんとかしようと思うからです。しかし、そもそも私たちを養っているのは神様です。「空の鳥を見よ」とは神様に目を向けよとのこと。あなたは鳥よりもすぐれているはずです。(KE)

人は身勝手に“よい”“悪い”を決めて、それに縛られてしまいます

7月13日

「すると、声が二度目にかかってきた、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。」使徒10:15

 創世の時、神様は万物をみ心のままに造られました。その結果を見て、「よし」とされたのです。しかし、人は身勝手に“よい”“悪い”を決めて、それに縛られてしまいます。使徒ペテロもそのような律法に囚われていましたが、不思議な幻を通して、どんなものも神様がきよめておられることを悟りました。これによって福音が当時の異邦人社会に伝えられることになったのです。あなたも自分の思いに捕われていませんか。(KE)

“主の言葉”を軽んじることは、神様ご自身を軽んじることです

7月12日

「どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。」サムエル下12:9a

 ダビデ王はバテシバにしたことを神の人ナタンに指摘されました。神様が問題にされたのはその行為ではなく、背後にあるダビデの心を咎めたのです。“主の言葉”を軽んじることは、神様ご自身を軽んじることです。確かに彼女の夫ウリヤにしたことも罪ですが、それを生み出したのは神様に対するダビデの高慢な心でした。人は現れた行為を問題にしますが、神様の求められることはあなたが主をどこに置いているかです。(KE)

神様の定められた手続きに従うとき、具体的な結果を得ます

7月11日

「すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。」民数21:9b

 エジプトから救い出された神の民は荒野の旅路に堪えがたくなり、神様とモーセにつぶやきました。神様は火のへびを送って彼らを懲らしめたのです。民は悔い改めてモーセに取り成しを願い、その結果、神様は青銅でへびを造り、竿にかけるよう命じました。仰ぎ見たものは死を免れました。ばかげたことに思われようと、神様の定められた手続きに従うとき、具体的な結果を得ます。主の十字架もまた同様です。仰ぎ見る者は生きるのです。(KE)