9月23日
「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」ヤコブ4:14
私達の存在は実にはかないものです。しかし、いつもそれを忘れて生活しているのではないでしょうか。私達のいのちは神様の手に握られて、自分のものではありません。主が許して下さる間だけ生きるのです。だから、明日のこと、将来のことはわかりませんから、今、今日、この瞬間を力一杯生きて下さい。(KE)
9月23日
「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」ヤコブ4:14
私達の存在は実にはかないものです。しかし、いつもそれを忘れて生活しているのではないでしょうか。私達のいのちは神様の手に握られて、自分のものではありません。主が許して下さる間だけ生きるのです。だから、明日のこと、将来のことはわかりませんから、今、今日、この瞬間を力一杯生きて下さい。(KE)
9月22日
「あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。」第一ペテロ3:9b
イエス様の救いに入れて頂いたのは私達が神様の祝福を受け継ぐためです。それはただ自分が祝福を受けて喜ぶだけではなく、祝福を多くの人々へ持ち運ぶためです。言うならば、あなたが祝福のはじめとなり、周囲の人々にあなたを通して神様の祝福がそそがれるためです。常にそのことを自覚して生活することが大切です。感情や情念に振り回されず、たとえ悪口や批判を受けても、罵り返さず、祝福を祈ってあげましょう。それがあなたの使命です。(KE)
9月21日
「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」第二ペテロ3:9
神様は滅ぼす権威と力を持ち給う方です。しかし、神様の本意はすべての人が救われることです。そのためにひとり子イエス様を世に遣わして、贖いの犠牲とまでされたのです。だから、どうしても滅ぼすことができないのです。神様の深い御思いをないがしろにすることができるでしょうか。(KE)
9月20日
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。」エレミヤ15:16ab
食べることによって、人は身体的なエネルギーを得て、活動します。そのとき、食べたものは消化吸収され、もはや原型を留めていません。み言葉は魂(霊魂)に力を与える天からのマナ、命のパンです。それを食べなければ生きる命を得ることが出来ません。では、み言葉を食べるとは? み言葉を信じて、具体的な生活の場でみ言葉に従うことです。そのとき、喜びが与えられ、生きる楽しみを味わいます。(KE)
9月19日
「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」イザヤ43:19
神様のなさるわざは人の考え、想像を超えたものです。もっとも、人が考える程度のことしか出来ないのなら、あえて神様と呼ぶこともないでしょう。神業と呼ばれる事態に遭うと、人は恐れをなし、うろたえてしまいます。しかし、それこそが神様の本領です。神様は私達の人生に絶えず介入して来られますから、しっかりと受け止められるように心を備えましょう。(KE)
9月18日
「わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、あなたのみ手のわざを思います。」詩篇143:5
“数えてみよ主のめぐみ”と歌う聖歌がありますが、失望落胆したとき、苦しみや悩みにあうとき、これまでのことを思い返してみることは大いに役立ちます。艱難のなかにあると、すべてがそれ一色に塗りつぶされ、望みを持てなくなります。しかし、考えてみたら、人生は苦しいときばかりではなく、むしろ平穏無事なときのほうが多いのです。神様は愛なる方です。振り返ると沢山の恵みが満ちています。(KE)
9月17日
「なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」ローマ8:27b
私達は父なる神様が何を望んでおられるか、何が御旨であるか知ることができません。だから、御心にかなう祈りをすることも出来ませんが、幸いなことに御霊(聖霊)は常に私達と共にいて私達の祈りを取り次いでくださるのです。身勝手な祈りばかりですが、神様は決して拒むことなく、聞いてくださいます。それはひとえに御霊の働きによるのです。このような仲保者が居て下さるから祈り続けましょう。(KE)
9月16日
「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25
生まれつき目の見えない人がイエス様によって癒されました。彼はイエス様を体験したのです。それによって不動の確信となりました。誰がなんと言おうと、イエス様によって目が見えるようになった事実は彼にとって消し去ることは出来ないのです。私達もイエス様をそのようなかたちで体験しようではありませんか。(KE)
9月15日
「そこでイエスは言われた、『あなたも行って同じようにしなさい』。」ルカ10:37b
「良きサマリヤ人」と言われるたとえ話をとおして、イエス様は隣人になれと言われます。強盗に襲われ瀕死の人を助けたサマリヤ人は時間も財も犠牲にして、窮地にある人とかかわることになりました。「隣人」とは位置関係が隣同士というのではなく、関わり合う関係になることです。しかも、そのために少なからぬ犠牲が伴います。損をしないで、隣人になることは出来ません。またギブアンドテイクでもありません。(KE)
9月14日
「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」マタイ28:20
イエス様が与えて下さった最大の恵みは私達がいつも主と共におることです。そのために、十字架に死んで罪を贖い、よみがえってくださったのです。昼も夜も、どこにいても主はあなたと共におられます。これほど幸いなことはありません。主は栄光の富に満ちた方であり、全能の神様でもあります。今日も、あなたと共におられる主を仰ぎつつ生きて下さい。(KE)