5月10日
「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ。」イザヤ51:1
私たちはどのような状態から今に至ったか、その始まりを忘れやすいものです。思いが今のことに囚われて、不平や不満をいだきますが、始まりを考えるなら、望外の恵みと言うほかありません。殊に、神様もイエス様も知らずに、罪と愆とに死んでいた者がイエス様を信じる者とされ、主の恵みに生かされていることを思うとき、ただ感謝です。(KE)
5月10日
「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ。」イザヤ51:1
私たちはどのような状態から今に至ったか、その始まりを忘れやすいものです。思いが今のことに囚われて、不平や不満をいだきますが、始まりを考えるなら、望外の恵みと言うほかありません。殊に、神様もイエス様も知らずに、罪と愆とに死んでいた者がイエス様を信じる者とされ、主の恵みに生かされていることを思うとき、ただ感謝です。(KE)
5月9日
「だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。」ローマ8:33
神様の救は一方的なものです。私達の同意や承認を得てなされるものではありません。すでに、私たちが生れるはるか昔にイエス様の十字架によって救は完成しました。これは完全無欠、完璧なものです。ただ、必要なのはこの救が「私のものだ」と、あなたが受け入れるかどうかにかかっています。たとえ、心に自分は相応しくない、こんな者が救われないと非難する思いがあっても、信じる者を主は「よし」とされます。(KE)
5月8日
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。」イザヤ40:26ab
都会に住んでいると、人の力と知恵によるものに取り囲まれています。また、人、人、人のなかで生活しています。その結果、思うこと、考えることが矮小化され、近視眼的になり、閉塞状態になります。そんなとき、「目を高くあげて」造物主に心を向けましょう。壮大なスケールで万物を造り、動かし、存在させています。きっと、あなたの心が大きく膨らみます。(KE)
5月7日
「彼らは女に言った、『わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである』。」ヨハネ4:42
デパートの食品売り場には味見の品があります。これほど説得力のある宣伝は他にありません。自分で実験体得するとき、言葉による説明や講釈はまったく無用です。信仰も人からの話や説明ではなく、あなた自身がイエス様を体験するなら、それだけで全てです。是非、主に出会ってください。(KE)
5月6日
「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言(みことば)を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。」ヤコブ1:21
イエス様は種まきの譬えを語っていますが、そこで「種まきは御言をまく」と言っています。植物の種は見栄えしない小さな頼りないものです。しかし、種には不思議な命が宿っています。同様に、みことばにも命があり、それが心に留まるとき、想像できない力を発揮します。だからこそ、神様の言葉なのです。(KE)
5月5日
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」創世記2:7
あなたは生きていますか。「生きる」とは身体的に健康であるとか、生活できているというだけではありません。むしろ、それは外的条件であって、「生きる」とは神様から「命の息」をもらって、人は生きるのです。常に神様につながっていなければ命が途絶えてしまいます。また、つながるには神様の言葉、みことばを心に置き、いつもイエス様を覚えていくことです。(KE)
5月4日
「まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。」アモス3:7
神様は人と違ってご自身ですべてを完結される方です。相談したり、助けを頼んだり、不足を嘆くこともありません。ましてや、ご自分がなそうとすることを誰かに知らせることもしませんが、ただ神様の御心を求める人に御霊によって「隠れた事」を教えてくださいます。御霊(聖霊)は神様の思いを全て知っておられ、それを私たちの霊に語ってくださるのです。(KE)
5月3日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
世間でも「同病相哀れむ」と言います。強い人は弱い人の心の思いや苦しみを理解できません。苦しみや悩みを経験すると、同じ境遇にある人々を思いやることができます。イエス様は私たちと同じ試練を受け、十字架の苦しみを味わった方です。だから、私たちが試練にあるとき、全ての思いを知り、憐み、助けることができます。イエス様を信じて、その助けを求めましょう。(KE)
5月2日
「『見よ、これは新しいものだ』と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。」伝道1:10
人の世の様々な事象は常に繰り返されているものばかりです。世間で新しいといわれるものも、過去の例を探れば似たもの、それらしきものはすでにあったことです。ただ、神様のなさることは人の思いを越え、想像を越えたことです。神様らしいわざをなさって、私たちを驚嘆させ、神様を崇めさせるのです。思いがけないこと、予期しないことが起る時、まさに神業です。(KE)
5月1日
「あなたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならい。」申命記6:18a
人はとかく自分が良いと思うこと、自分が正しいと思うことを基準にして生活します。その結果、人を裁き、批判し、判断が恣意的になり、支離滅裂になってしまいます。「主が見て」という視点で判断し、行動するなら、他者がどうであろうと気にならず、また、自分のすることに自身が持てます。「主が見て」などという曖昧な基準では得手勝手な行動になると思われがちですが、決してそうはなりません。神様の霊が導いてくださるからです。(KE)