今を生きるあなたの神様となってくださるのです

9月1日

「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。」マタイ22:32

 私達が神様と主体的に関わって、“神とわたし”の関係が築かれるとき、神様の全てが恵みとして与えられるのです。丁度、銀行に自分の口座を開設するように。その関係が作られなければ神様の恵みを受けることが出来ません。今を生きるあなたの神様となってくださるのです。過去にどれほど信仰深い家族がいたとしても、あなたの神様とはなりません。(KE)

大切なのは私達が聞いて信じた福音をしっかり守ることです

8月31日

「こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと、おし流されてしまう。」ヘブル2:1

 今は情報化時代といわれ、さまざまな情報が溢れています。ともすると、そのような騒音に心が乱されて、信仰からそれてしまいます。だからといって、逃げ出すわけにもいきません。そこで大切なのは私達が聞いて信じた福音をしっかり守ることです。聞いたみことばを繰り返し反芻咀嚼して、心身に取り込んでしまいましょう。(KE)

感謝し、受けるなら、それはその人にとって大いなる恵みです

8月30日

「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4

 神様は欠けるところのない完全な方ですから、この方が造られるものはすべて最高のものです。ただ、私達がそれを認めるかどうかにかかっています。神様の造られたものだからと信じて、感謝し、受けるなら、それはその人にとって大いなる恵みです。それを認めようとしなければ、不平、不満でつぶやくことになります。あなたが受けたもので、神様によらないものがあるでしょうか。(KE)

ただみこころに従っていくなら神様が全責任を負って下さるのです

8月29日

「主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。」第一コリント1:8

 自分の力で清く、正しい人間になろうとしても到底できません。だから、神様はイエス様によって救われる道を開いてくださったのです。イエス様を信じて、一切を委ね、ただみこころに従っていくなら、神様が全責任を負って下さるのです。これほど確かな、頼りがいのある方はほかにいません。この方から決して離れないように努めましょう。(KE)

まずすべきことは神様のみわざを讃えることです

8月28日

「するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。」使徒12:23

 ヘロデ王は彼のご機嫌を伺う人々から、賞賛の言葉を聞いて有頂天になったとき、神様から打たれました。「神に栄光を帰することをしなかった」とあります。人は自分の名誉や賞賛を求めますが、まずすべきことは神様のみわざを讃えることです。私達は神様の慈しみと憐れみによって生かされ、力を与えられているのです。ほめられることがあれば、それは神様のものです。(KE)

どのように力を発揮し、みわざをなさるか、私達は見るだけです

8月27日

「主はモーセに言われた、『主の手は短かろうか。あなたは、いま、わたしの言葉の成るかどうかを見るであろう』。」民数記11:23

 神様はオールマイティー、全能者ですから、出来ないことはありません。神様がみことばに従ってどのように力を発揮し、みわざをなさるか、私達は見るだけです。そのために、みことばを信じてその時を待つ以外にありません。それが信仰です。しかし、私達は「待つ」ことが苦手で、すぐに慌てたり、焦ったりして、自分の知識や考えによって事を決めようとします。これが不信仰というものです。(KE)

ヨセフは神様と共にあることを努めたので、彼と主人の家も祝福されました

8月26日

「彼(ポテパル)がヨセフに家とすべての持ちの物をつかさどらせた時から、主はヨセフのゆえにそのエジプトびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物に及んだ。」 創世記39:5

 ヨセフは兄弟から妬まれ、エジプトへ売られました。しかし、「主がヨセフと共におられ」たので、自分の不幸を嘆き悲しむことなく、ヨセフは神様と共にあることを努めたので、彼自身が恵まれたばかりか、主人の家も祝福されました。私達が信仰に生きるとき、神様の恵みと祝福を周囲の人々にも与えることが出来ます。(KE)

私達のために取りなしてくださった主イエス様の姿を写したものです

8月25日

「しかし主のお選びになったモーセは破れ口で主のみ前に立ち、み怒りを引きかえして、滅びを免れさせた。」詩篇106:23b

 神の民が神様のみこころに背いて滅ぼされそうになったとき、指導者モーセは神様の前に立ち、民のために取りなして怒りを静めました。それはまた滅ぼされるべき私達のために取りなしてくださった主イエス様の姿を写したものです。イエス様の取りなしによって今日も赦されて生きています。私達も滅び行く多くの人々にとって「破れ口」に立つ者となることが期待されているのです。(KE)

「あなたも赦されていますよ」とつたえるのが私達の務めです

8月24日

「すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。」第二コリント5:19

 イエス様は十字架にかかって罪の贖いの犠牲となってくださいました。それによって私達は罪を赦され、神様と和らぐことができたのです。神様はイエス様のゆえに、過去現在未来にわたって、全人類の赦しを完成してくださったのです。だから、「あなたも赦されていますよ」とつたえるのが私達の務めです。(KE)

神様がなさることは全てが益となるものばかりです

8月23日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

 人は勝手に事の善し悪しを云いますが、神様がなさることは全てが益となるものばかりです。神様は私達を恵みたいと願っておられるからです。なぜなら、私達を感謝させることによって神様の栄光が現されるからです。嘆いたり、悲しんだり、失望したりしていては、神様の栄光とならないどころか、神様の名を汚します。今日も神様に恵まれて感謝に溢れましょう。(KE)