3月30日
「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」第二テモテ2:8
イエス様は神の子であり、神と等しい方ですが、あえて人となり世に来てくださいました。それは神様に対する私達の罪を負う犠牲となるためです。主は十字架に死んで葬られましたが、墓から甦り、信じる者たちの新しい命となってくださったのです。日々の生活のなかで、常にイエス様を覚えて、主のよみがえりの命に生きることが救であり、福音です。(KE)
3月30日
「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」第二テモテ2:8
イエス様は神の子であり、神と等しい方ですが、あえて人となり世に来てくださいました。それは神様に対する私達の罪を負う犠牲となるためです。主は十字架に死んで葬られましたが、墓から甦り、信じる者たちの新しい命となってくださったのです。日々の生活のなかで、常にイエス様を覚えて、主のよみがえりの命に生きることが救であり、福音です。(KE)
3月29日
「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10
神様が私たちを様々な事情や境遇におかれるのは、私達の心を知るためであり、また私たちが自分の心を知るためでもあります。なぜなら、自分の心であっても、それを知らないからです。苦しみ、悩み、悲しみ、喜び、楽しみなどを通して、自分の心にあるものがなんであるか、はじめて明らかになります。自分の知らない自分を知るのです。それは神様の恵みです。(KE)
3月28日
「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。」イザヤ30:15
何かの問題や事に当たると、人は狼狽し、右往左往します。なんとかのがれる道は、方法はないか、早くしなければ手遅れになると焦ります。しかし、すべての事を始め、導かれるのは神様です。まず、神様に立ち返り、信頼して拠り頼むこと。主が働かれるときを待つ。これが何よりも大切です。(KE)
3月27日
「それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」伝道1:18
人の罪は知恵や知識を過剰に求めることです。知らないことがあるのは当然ですが、それでは満足しません。人は「どうして?」「なぜ」と問い始めて、悩みと憂いの底なしの沼にはまります。そうならないためには、自分は分らないが、神様は全知全能なる方であって、全てを知っておられると信じる以外にありません。情報過多の時代です。聞くこと、知ることに気をつけたいものです。(KE)
3月26日
「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」詩篇27:1
「恐れ」は私達の最大の敵です。「恐れ」にとりつかれると、力をなくし、心が萎えてしまいます。自分が強くなれば恐れることがないと思いますが、それは無理です。私たちはどんなにしても弱い者ですから。弱さを認めて、強いものに守ってもらうほかありません。神様を「光」とし、「救」となし、「命のとりで」とするなら、恐れるものはありません。神様のもとに逃げ込もうではありませんか。(KE)
3月25日
「しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」ヘブル4:2b
「言葉」は聞くだけ、知っているだけでは役に立ちません。特に、神様の言葉である聖言は、実際生活の事柄に当てはめて、実行する時に力を発揮します。確かに、聖書の言葉と現実とはかけ離れて、どこもつながらないように思われますが、心に残る一つのみことばに信頼して、踏み出すとき、想像を越えた事態を体験します。聖書にはそのような実例が沢山あります。(KE)
3月24日
「なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。」ローマ8:5-6
「肉」とは人の生まれながらの性質、神様を認めず、我利我欲に支配され、自分こそ正しいとする性質です。一方、「霊」とは神様から与えられる力で、神様を畏れ、敬い、御心に従うことを喜び、神様とつながる力です。私たちはこの二つのものに常に引き回されています。物事の選択と決断を迫られるとき、霊に従う者となってください。(KE)
3月23日
「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。」ガラテヤ4:6
私たちに与えられる御霊は、私たちを神の子にしてくださる霊です。それによって、父なる神様を知り、イエス様を救い主と信じることができ、いつでも、どこでも祈ることができるのです。御霊が働いてくださらなければ、神様からの恵みを受けることができません。高度な学問的知識も、熱心なわざでも、役に立ちません。聖霊は信仰生活の必須条件です。(KE)
3月22日
「そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、『聖霊を受けよ』。」ヨハネ20:22
イエス様は甦られて、弟子たちのところに来てくださいました。その時、言われたのがこの言葉です。イエス様の使命が終わり、天に帰られるので、ご自分の代わりに弟子たちと共に居てくださる方として、聖霊を送ってくださったのです。今も、神の御霊、聖霊は私達の内に宿ってくださいます。主は「受けよ」と言われますから、「ハイ、いただきます」と素直に信じる人のなかに住んでくださるのです。(KE)
3月21日
「おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。」哀歌3:30-31
非難中傷を甘んじて受けるには大変な忍耐が必要です。忍び抜くためには、神様が全てをご存じで、公平な裁きをなさること、報いて下さることを信じる以外にありません。イエス様も同じ道を歩まれました。ともすると、感情に駆られ、堪忍袋の緒が切れて、罵詈雑言、ありったけの罵声を投げつけることになりやすいものです。神様に一切を委ねて、審判を待ちましょう。(KE)