死んで生きる人生こそ、新しく生まれることです

1月11日

「もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。」ローマ6:8

 「キリストと共に死ぬ」、これが十字架の奥義です。その意味はイエス様のためにと信じて、自分の一切を顧みない、捨てることです。そうすると、言い表せない生きる喜びを味わいます。まさによみがえりのいのちに生かされることを確信します。死んで生きる人生こそ、新しく生まれることです。死ぬことが不徹底ですと、生きる喜びも得られません。今日も一つ一つのわざにあって、よみがえりの主と共に生きようではありませんか。(KE)

しかし、彼には神様からの知恵があったのです

1月10日

「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。」使徒27:11

パウロがローマへ護送されていく途中、暴風の季節になり、しばらく時を待たねばなりませんでした。しかし、少しでも先に進みたい思いがあり、百卒長は思案しました。パウロは危険があるから、今の港で過ごそうと勧めましたが、百卒長は経験があり、知識のある人を信頼しました。パウロは航海術に優れた人ではありません。しかし、彼には神様からの知恵があったのです。神様のみ心を知ることをまず求めようではありませんか。(KE)

親兄弟など肉親関係とも違って「信仰」という一点でつながったものです

1月9日

「神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。」マルコ3:35

 イエス様に救われて信仰生活をするようになると、教会で出会う同信の人々と新しい人間関係が出来てきます。学校や職場が同じという関係や親兄弟など肉親関係とも違って「信仰」という一点でつながったものです。しかも、その関係は、50年60年と、生涯続きますから、家族以上の親密さが生じます。また、信仰を失うと消えてしまう関係でもあります。まさに神の家族となるのです。不思議な交わりです。(KE)

恵みとして感謝することこそ「神の栄光」になるのです

1月8日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

 「神の栄光」とは超人的なわざ、天然自然の特異現象や異変などのようなものではありません。人生に起きるどんなことも、「益」であることを認め、恵みとして感謝することこそ「神の栄光」になるのです。つぶやいたり、嘆いたり、悲しんだり、怒っているなどは、逆に栄光を汚すことにほかなりません。あなたが喜び、感謝して、輝いていることを神様は願っています。(KE)

神様が目をとめられるのは結果ではなく、動機や過程(プロセス)です

1月7日

「そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。」第二コリント5:9

 私たちの存在理由はいろいろあるでしょうが、なによりも大切なのはこの言葉にあるように、「主に喜ばれる」ためです。世間では行為やわざの結果をみて、その値打ちによって存在価値を計ろうとしますが、神様が目をとめられるのは結果ではなく、動機や過程(プロセス)です。今日、あなたが生きるのは「主に喜ばれる」ためであることを忘れないでください。(KE)

結果がどうなるかわからなくても、先に自分からまくのです

1月6日

「わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。」第二コリント9:6

 確かに、この通りです。しかし、人は怠け者ですから、なんとか少しの労苦でより多くの収穫を得ようと苦心します。まさに功利主義に毒されています。神様の報いを期待する時、一たす一は、二でも、三にでもなります。また、刈り取ってからまこうとしますが、それでは何も得られません。まず、結果がどうなるかわからなくても、先に自分からまくのです。(KE)

愛は自分が他者に対してどうあるべきか、人との関係性を表しています。

1月5日

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」第一コリント13:4-5

 これらの美しい言葉によって語られる愛は自分が他者に対してどうあるべきか、人との関係性を表しています。愛と言う言葉はそれらを総括するインデックスのようなもの、愛と記された引出しにはこれらの言葉が入っているのです。自分の愛の箱にはこれらが揃っているか点検してください。愛されたいと願うのは間違いです。(KE)

神様を求め、信じ、恵みをいただくことができるのも、今日、今です

1月4日

「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ」イザヤ55:6

 チャンスはたびたびおとずれるものではありません。“つぎにするか”と思うなら、それは間違いです。世間でも“思い立ったら吉日”などといいます。それは今の時以外にチャンスはないとのことです。神様を求め、信じ、恵みをいただくことができるのも、今日、今です。主があなたの心に語りかけておられるからです。この時を逃したら、大いに後悔することになります。「主に帰れ」「神に帰れ」と言われます。(KE)

ただし、「求めて来る者」と言われます

1月3日

「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか。」ルカ11:13

 親は子供のために良いものを与えたいと願います。まして、天の父である神様は私たちに最高の贈り物を下さいます。金や銀のような朽ちるものではなく、神の子としての性質に不可欠なもの、それは聖霊です。ただし、「求めて来る者」と言われます。聖霊をいただくならば、これだけで十分です。神様ご自身に直結することですから。(KE)

神の義を渇き求めようではありませんか

1月2日

「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」マタイ5:6

 不義や不正がはびこり、悪が跋扈する世にありますが、だからといって、義を求める者が空しくなることはありません。ソドムの町にいた義人ロトのように、世に染まらず、流されず、常に神様を恐れ、神の義を渇き求めようではありませんか。神様はそのようなものたちを見捨てません。定められた時がくるなら、神様は必ず報いてくださいます。(KE)