何でも自分の思うように出来ると思い上がっているのです

3月20日

「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。」ルカ12:25

“死”の不安と恐れが、人の思い煩いの中心にあります。死の影に脅かされて、萎縮し、大胆になれず、憂いと嘆きのうちに過ごしています。しかし、この言葉につづいて、「そんな小さな事さえできないのに」と言われています。確かに、何でも自分の思うように出来ると思い上がっているのです。実は何も出来ず、ただ神様のみ手に握られ、持ち運ばれているだけです。何を心配することがあるでしょうか。(KE)

私たちに場所を用意して、迎えてくださるためです

3月19日

「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。」ヨハネ14:2

イエス様はよみがえられて、40日にわたって多くの人々にそのことを証しなさいました。その後、天に帰られましたが、それは私たちに場所を用意して、迎えてくださるためです。私たちの地上での生活は必ず終わりますが、そのあとはどうなるのでしょうか。消えて無になるのでなく、神様のみもとに場所が備えられているのです。(KE)

一日が終わるまでに心を整えなければ、悪魔は力を振るってきます

3月18日

「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない。」エペソ4:26-27

人はすべて感情豊かな存在です。どんなに立派な聖人君子であっても、時に、激しい感情に支配され、怒ることがあります。これは当然ですが、大切なのはそれをどのように納めるかです。一日が終わるまでに心を整えなければ、悪魔は力を振るってきます。悪魔は絶えずあなたを狙ってきますから、お互い十分に気をつけたいものです。(KE)

人の同情や憐憫は慰めにならないばかりか、むしろ苦痛です

3月17日

「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」第二コリント1:4

患難や悲しみの中にあるとき、慰めはどんなに大きな力でしょうか。それを与える方は神様以外にありません。人の同情や憐憫は慰めにならないばかりか、むしろ苦痛です。また、神様の慰めを受けるのはそれを他の人々へ持ち運ぶためにほかなりません。主の慰めを求め、受けて、伝えてください。(KE)

神様が味方となってくださると言うのですから、当る所敵なしです

3月16日

「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」ローマ8:31b

世間には「鬼に金棒」という言葉がありますが、このみことばはそれ以上の力があります。なんといっても、神様が味方となってくださると言うのですから、当る所敵なしです。ところが、神様が味方であると信じられないところに私たちの弱さがあります。その原因は神様との信頼関係が壊れているからです。信頼関係を修復するには謙遜になって神様に近づき、赦しを乞い、相手の真実に触れる以外にありません。(KE)

ひとり子を私たちの罪の贖いの供え物として差し出してくださったこと

3月15日

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16

人は愛を見える形で求めようとします。神様に対しても同じです。神様が愛ならば、それらしいことをしてほしいと。しかし、神様の愛はなでたり、おんぶに抱っこではありません。ひとり子を私たちの罪の贖いの供え物として差し出してくださったことにあるのです。それ以上に愛を現す術がありません。まさに、十字架こそ、あなたに対する神様の愛の証です。(KE)

親子の関係に神様が介在していただかなければ、解決はありえません

3月14日

「町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。」哀歌2:19c

最近のニュースを見ていると、幼児虐待事件が頻発しています。親は子供を無条件に愛するものだと言う常識はもはや通じなくなりました。しかし、これは事新しいことではなく、親が子供を殺すことは古くから見られる現象です。その背景となる事情は多種多様ですが、根本は人間の罪の問題に行き着きます。親子の関係に神様が介在していただかなければ、解決はありえません。そのためにあなたの祈りが求められています。(KE)

常に「キリストの香り」を散らすものとなっているでしょうか

3月13日

「北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。」雅歌4:16ab

梅のように寒い北風の中で咲き、香りを放つものがあります。また、暖かな南風に吹かれて花開き、馥郁(ふくいく)たる香りを漂わすランやバラなどもあります。私たちはどうでしょうか。逆境にあろうと、順境にあろうと、常に「キリストの香り」を散らすものとなっているでしょうか。北風に身を縮めて干からびていませんか。それとも、心地よい南風に腐敗した悪臭を撒き散らして、周囲の人々に嫌われていませんか。(KE)

まるで神様が無知なもののごとく、祈りによって細かい指示を出します

3月12日

「だれが先にわたしに与えたので、わたしはこれに報いるのか。天が下にあるものは、ことごとくわたしのものだ。」ヨブ41:11

 

神様はご自身で完全無欠、充足しておられる方です。この方に手助けしたり、助言する必要は全くありません。ところが、私たちは神様に何か不足でもあるかのように、教えようとします。まるで神様が無知なもののごとく、祈りによって細かい指示を出します。まさに主客転倒です。神様に対して自分がどのようなものとして立っているか、常に点検したいものです。(KE)

神様が救の恵みを強固にし、濃厚なものにしようとされるからです

3月11日

「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。」第一ペテロ5:10

イエス様の救に入れられても、さまざまな苦しみや試み、悲しみ憂いが絶えません。それは神様が救の恵みを強固にし、濃厚なものにしようとされるからです。商品は様々な厳しい商品テストを経て世に出されます。ましてや、神様の自信作として、あなたを世に出そうとするのですから、期待が大きいのです。(KE)