きっと苦しみの中に思いがけない宝が隠されているかもしれません

7月24日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

 「苦しみに会う」ことは嫌なことであり、避けたいことです。しかし、苦しまないことの方が極めて珍しいのが現実です。となると、それを避けるより、果敢に立ち向かってはどうでしょう。きっと苦しみの中に思いがけない宝が隠されているかもしれません。殊に、神様に出会い、その大きな愛を知り、内なる人が清められるとするなら、苦しみにあったことは良いことだと言えるのではないでしょうか。(KE)

神様から選ばれ、許されなければありえないからです

7月23日

「あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の恵みによって飽くことができる。」詩篇65:4

 神様のそばに居れるのは大いなる特権です。相手から選ばれ、許されなければありえないからです。そればかりか、共に住ませていただくとはなんと有り難いことでしょうか。しかも、山海の珍味ならぬ主の恵みの饗宴を受けるとなれば、万難を排して招きに応えたいものです。主はあなたを大庭に住ませ、溢れるばかり恵まんと今日も招いておられます。(KE)

私たちの全てを支配し、ことごとくに応答してくださると、単純に信じることです

7月22日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。」ヘブル11:6

 神様によろこばれるのは、高価なささげ物や犠牲献身などではありません。神様がおられて、私たちの全てを支配し、ことごとくに応答してくださると、単純に信じることです。ともすると、信じると言いつつ、まるで神様は居ないかのように思い煩ったり、失望したり、自分の思いに囚われているのではないでしょうか。(KE)

しかし、その喜びの裏には涙の労苦があります

7月21日

「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」詩篇126:5-6

 まもなく収穫の秋を迎えます。たわわに実った稲を刈り取る喜びはどんなに大きなものでしょうか。しかし、その喜びの裏には涙の労苦があります。昨今の風潮は苦労せずに喜びの結果だけを得ようとしますが、その喜びは内容のない、軽薄なものです。たとえ苦しく、辛くとも、涙しつつ種まく者は、濃厚な喜びを味わい、次なる収穫へ労苦をいとわなくなります。(KE)

心を覆う闇は何の光によって追い払うことができるでしょうか

7月20日

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」ヨハネ1:5

 どんなに漆黒の闇であっても、小さな光によって闇は消えます。心を覆う闇は何の光によって追い払うことができるでしょうか。最新の照明器具を多数点灯しても、心には届きません。心に届く光、それはみことばです。「み言葉が開けると光を放って」とあります。あなたの心が思い煩いや失望、不安や恐れによって、闇に閉ざされているならば、みことばの光によって闇を払い、輝くものとなってください。神様はそれを願っているのです。(KE)

私たちを愛するゆえに、顔を見せ、声を聞かせよと求めておられます

7月19日

「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」雅歌2:14

 イエス様と私たちの関係を語っていると理解してください。イエス様は命を捨てて、私たちを救い出してくださいました。その動機は「愛」です。私たちを愛するゆえに、顔を見せ、声を聞かせよと求めておられます。顔を見せないこと、愛する人に声を聞かせないことがあるでしょうか。主はあなたが祈り、心を向けることを待っておられます。(KE)

人が人であるにはこの「本分」を尽くさなければなりません

7月18日

「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」 伝道12:13

 「本分」とは、それがなければそのものの値打ち、価値がなくなるものです。人が人であるにはこの「本分」を尽くさなければなりません。神様を恐れ、神様の言葉をまもることが本分です。すべてを創造し、支配し、動かしておられる神様がおられること、その方の「命令」である聖書の言葉を心に抱いて、従う。それによって、人の生き方が整えられ、造られた目的にかなうものとなるのです。(KE)

私たちがしなければおれない感謝は神様に対してです

7月17日

「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」詩篇118:1

 日々の生活の中で、どれほど感謝することがあるでしょうか。もちろん、親切を受けたり、思いがけない贈物をもらって、「ありがとう」と人に感謝することはあるでしょう。しかし、私たちがしなければおれない感謝は神様に対してです。生活の隅から隅まで、神様の恵みによらないものはありません。神様はすべての人々に雨を降らせ、日を照らし、作物を与え、食物、着る物、住む所、全てを与えてくださいます。大いに感謝しましょう。(KE)

神様によらないものは何ひとつ無いのですから

7月16日

「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである』。」ヨハネ9:3

 人が思いがけない不幸に見舞われると、先祖の祟り、両親の罪、本人への懲罰など、原因を突き止めようとします。理由が分らないと、不安になるからです。しかし、神様は決して人を不幸へ陥れる方ではなく、神様の栄光を、恵みを与えようと願っておられます。しかも、神様によらないものは何ひとつ無いのですから。幸・不幸もすべて神様の手にあるのです。(KE)

「最後までしっかり」と持ち続けなければ信仰の結果を得られません

7月15日

「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14

 何かの大事業に取り組む時、“初志貫徹”などと激励しますが、信仰生活も同じです。途中で投げ出してはなんの益にもなりません。それどころか、「最後までしっかり」と持ち続けなければ信仰の結果を得られません。サタン(悪魔)はなんとかして信仰を捨てさせようと執拗に働きかけてきます。うっかりしていると、信仰の破船に会うことになります。心引き締め、信じ続けましょう。(KE)