3月10日
「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。」ヘブル12:14
まことにこのみことばのとおりですが、どうやれば「きよくなる」ことができるでしょうか。自分の力で、また熱心な努力でそうなれるでしょうか。残念ながら、出来ません。ただ、そうなりたいと切に願い、神様にきよくして頂くために、神様の手に自分を委ねる以外にありません。主の十字架のもとに、自分を奉げるとき、きよいものと造りかえられます。(KE)
3月10日
「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。」ヘブル12:14
まことにこのみことばのとおりですが、どうやれば「きよくなる」ことができるでしょうか。自分の力で、また熱心な努力でそうなれるでしょうか。残念ながら、出来ません。ただ、そうなりたいと切に願い、神様にきよくして頂くために、神様の手に自分を委ねる以外にありません。主の十字架のもとに、自分を奉げるとき、きよいものと造りかえられます。(KE)
3月9日
「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。」イザヤ2:22
「あの人は頼りにならん」とか、「あんな人とは知らなかった」などと嘆く言葉を聞きます。考えると、相手が悪いのではなく、頼りにしたご本人が悪いのです。もし、自分が同じように頼られると、それに答えられるでしょうか。自分は出来なくても、相手は出来ると思うなら、あまりに虫が良すぎます。そもそも人を頼ること自体が無理なこと。どうぞ、神様を頼りにして下さい。(KE)
3月8日
「主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます。」詩篇5:3
ここに「朝ごとに」と繰り返して言われています。神様のなさるわざは実に「朝ごとに」です。昨日の続きとして今日があるのではなく、昨日は昨日、今日は今日です。また、明日は明日です。常にリセットされて、新しく生かされているのです。いつまでも昨日のことを引きずったり、今日の失敗で世界が終わる如く失望するのは間違いです。いつも神様と新鮮な関係を持ち続けましょう。(KE)
3月7日
「俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。」第二テモテ2:16-17
人の噂や、週刊誌的なネタ、テレビの馬鹿げたおふざけ、他の芸人をけなす言葉など、私たちの周囲には「俗悪なむだ話」が満ちあふれています。そのような話にチョット引っかかると、気づかないうちに、私たちの心をサタンが支配してきます。その結果、神様を畏れない不敬虔な者となり、信仰を失い、不安やつぶやき、怒りや失望が増殖します。ご用心、ご用心。(KE)
3月6日
「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。」ヘブル11:3
私たちの生きている世界は、原因となるもの(現れているもの)から、見えるものが存在していると考えます。しかし、天地創造のわざがそうであったように、実は、見えないもの、神様の言葉で出来たのです。私たちの幸、不幸と言われる事態や状況も、人やなにかの原因によるのではなく、神様によって与えられ、備えられているのです。(KE)
3月5日
「そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。」ローマ5:11
今、神様と私たちの間にはなにも妨げるものがなくなりました。いつでも、どこででも、イエス様によって神様を呼び求め、近づくことができるのです。さらに、神様と共にいることを心から喜ぶ者となるのです。これはなんと幸いなことでしょうか。どうぞ、自分が神様の側に立っていることを遠慮なく信じてください。神様はあなたのためにどんなことでも答えてくださいます。(KE)
3月4日
「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。」ローマ5:10
神様は私たちを愛するゆえに、敵対していた私たちのために御子を十字架の死に下し、和解の道を完成してくださいました。問題はあなたが和解を受けるかどうかにかかっています。イエス様の十字架を自分のものとして、感謝して信じるなら、新しい命に生きる者と変るのです。イエス様の甦りの命に生かされようではありませんか。(KE)
3月3日
「だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。」使徒27:25
ローマへ護送されていく途中、難船の危機にあるとき、パウロは同船の者達を励ましました。助かる望みを失い、絶望していた人々を励まし、勇気を与える力こそ、パウロの信仰です。神様の御心を信じ、そこに自分をゆだねるとき、自分だけでなく、他者をも生かす力となります。神様に祈り、その思いを知り、固く信じようではありませんか。(KE)
3月2日
「悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。」イザヤ55:7
人は不幸な出来事にあったり、悲しい事態に遭遇すると、なんとかその苦しみや悲しみの状況を変えて、逃れたいと右往左往します。しかし、神様の求めておられるのは、「主に帰れ」「神に帰れ」です。神様との関係、神様に対する自分の態度を点検して、悔い改めるべきは改め、捨てるべきは捨て、全てを整理して、まず神様に帰ることが平安を得る近道です。(KE)
3月1日
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4
人生の終わりが何時であるかわからないのは幸いなことです。前もって知っていたら、安閑としておられません。知らないがゆえに、のん気にかまえて、昨日の今日、今日の明日と、いつまでも続くように思っています。しかし、全て始まりがあれば終わりがあります。その時を支配しているのは神様です。終わりの時が近づいていることを自覚して今を生きるとき、あなたの生き方が変ります。(KE)