7月13日
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」箴言16:9
人は常に前もって予定や計画を持っていなければ落ち着かない性分のようです。そのためか、次から次へと様々な思いが駆け巡っています。しかし、どのような道であっても人が自分の力でやり遂げることはできません。例外なく、全てのわざは神様が備えてくださるものであって、思いを与え、願いを起こさせ、実現させるのは神様です。今日も信仰に立って、主の導きに従ってください。(KE)
7月13日
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」箴言16:9
人は常に前もって予定や計画を持っていなければ落ち着かない性分のようです。そのためか、次から次へと様々な思いが駆け巡っています。しかし、どのような道であっても人が自分の力でやり遂げることはできません。例外なく、全てのわざは神様が備えてくださるものであって、思いを与え、願いを起こさせ、実現させるのは神様です。今日も信仰に立って、主の導きに従ってください。(KE)
7月12日
「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである。」イザヤ38:17
神様はヒゼキヤ王の祈りと願いに答えて、罪を許し、病を癒してくださいました。この経験を通して、彼は神様に触れ、ご愛を感じることができたのです。どのような苦しみや困難であっても、それによって神様を知ることができるなら、これ以上の幸いはありません。(KE)
7月11日
「おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。」エレミヤ17:7
「さいわい」と言えるものはいろいろありますが、あなたが「さいわい」と感じることは何でしょうか。物質的な豊かさ、念願成就、人との交わり、健康を含めて生活の快適さなど、それらも「さいわい」ですが、そのようなものはなにかの事にあたると脆く、崩れてしまいます。事情・境遇がどんなに変わっても、「さいわい」と言える道、それが神様を信頼することです。どんなことでもできる神様にたよるほど、確かなことはありません。(KE
7月10日
「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。」イザヤ54:2
人に何かを期待する時、相手の能力を推し量ります。場合によっては、この人ではなく、あの人にとなります。ところで、神様に対してはどうでしょうか。神様に対する期待度は私たちの信仰によります。どんなことでもできないことはありませんと、大きく、大きく期待しようではありませんか。神様に遠慮は禁物です。場所を広げ、綱をながくし、しっかり杭を打ってください。(KE)
7月9日
「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。」 伝道8:12
昨今の日本は長生きする人々が増加しました。しかし、長く生きることが幸せだとは言えません。大切なのはどのように生きるかであって、人生の長短には関係ありません。神様を畏れかしこみ、毎日、喜び、感謝、平安、望みなど生きる命に輝いて生きるなら、たとえ短い生涯であっても、なんと幸いなことでしょうか。(KE)
7月8日
「アブラハムは言った、『子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう』。こうしてふたりは一緒に行った。」創世記22:8
アブラハムはイサクを燔祭の犠牲として奉げるように命じられたとき、神様の言葉に従って即座に指示されたところへ出かけました。彼が神様を全く信頼していたので、どんな事態になろうと大丈夫だと確信したのです。忠実に従う彼に、神様もまた真実に応えてくださいます。イサクを祭壇に奉げきった時、間髪を入れず、神様は燔祭の小羊を備えられました。アブラハムの信仰の勝利です。(KE)
7月7日
「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。」ヨナ3:10
ヨナは悪に満ちたニネベに行き、神様の怒りを伝えるよう命じられましたが、勝手にタルシシへ逃げました。しかし、不思議な取り扱いでニネベに来て、神様の警告を伝えました。人々が悔い改めたので、神様は心を変えました。神様の本意は常に「赦そう」としておられるのです。決して懲罰を加えようとなさるのではありません。神様の深い思いを悟って、赦しを受けてください。(KE)
7月6日
「イエスは彼女に言われた、『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか』。」ヨハネ11:40
ラザロは死んで墓に葬られていました。イエス様は来られて、墓の石を取り除けなさいと命じました。しかし、マルタもマリヤもイエス様を信じていましたが、目に見える現実の事態に引っぱられ、石を取り除けようとしません。しかし、信じるとは石を取り除けることです。具体的な行為を伴わない信仰は死んだものです。石を取り除けた結果、ラザロは死からよみがえったのです。(KE)
7月5日
「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。」 マタイ5:13ab
塩はその本来のききめがなければ、無用なものです。部屋の飾りにもなりません。また、眺めて楽しむものでもありません。同様に、私たちも創造者である神様の意図に適って生きるのではなければ、まさに無用なものです。塩は腐敗防止や味を調えるのに必要不可欠です。私たちもこの世にあって「塩」の役割を果たす者となりたい。それが造られた者の使命だからです。(KE)
7月4日
「されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」イザヤ64:8
「十人十色」と言いますが、人それぞれに個性があり、特徴があります。それらは必ずしも好ましいものばかりとはかぎりません。人に嫌われる性情・性格だったりしますが、それもまた大切な個性でもあります。金太郎飴のように、同じ形で同じ色ばかりなら、これほどつまらないものはありません。神様は名陶器師です。一つとして同じものはありません。あなたもみ手のわざです。(KE)