そもそも、人を頼りにした人が愚かなだけです

2月2日

「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。」イザヤ2:22

 “あの人に裏切られた”と言う言葉を聞きますが、決して言われている人が悪いのではありません。そもそも、人を頼りにした人が愚かなだけです。“失望した”と言う人は自分の愚かさを吹聴しているにすぎません。立場をかえて、自分が頼られたならば、相手の望むように答えることができるでしょうか。自分ができないのに、他人ができると期待するほど間の抜けた話はありません。自分ができない事は他人も出来ないのです。(KE)

心配や思い煩いに揺さぶられると、まさに液状化現象を起こします

2月1日

「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。」マタイ7:24

 最近の大地震ではあちこちで液状化現象が見られます。埋立地のような地盤の弱いところでは激しい振動によって、地面に含まれている水が分離して湧き出るのです。沼地のようになり、上にあるものを地中に引き込んでしまいます。私たちの心も不安や恐れ、心配や思い煩いに揺さぶられると、まさに液状化現象を起こします。自分を見失わないように、心を据える場所をしっかりしておきましょう。(KE)

この問いかけは繰り返し自らに向けるべきものです

1月31日

「聖者は言われる、『それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか』。」イザヤ40:25

 「聖者」とは神様のことです。この問いかけは繰り返し自らに向けるべきものです。なぜなら、神様を信じると言いながら、心が高ぶり、高慢になって、神様を忘れ、神様が無能無力な方であるかのようにふるまうことになります。また、人がどれほど小さく、弱い者であるかを忘れるからです。常に、自分がどんな者であり、神様がどんなに大きく、力ある方であるかを覚えておいてください。(KE)

幸・不幸はその後の人生のなかで決まるのです

1月30日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

 苦しい事、不幸な事態に遭わないようにと願いますが、決して無くなることはありません。不幸なことに出会って嘆き悲しむばかりで終わるなら、まさに不幸の極みです。しかし、苦しみや悩みを通って、その後の生き方が変わり、その人の人生に新しい地平が開け、プラスとなるなら、これほどの幸いはありません。幸・不幸は出会う事柄によるのではなく、その後の人生のなかで決まるのです。それはあなたの心にかかっています。(KE)

しっかりと受け止めることができるように心を整えておくことです

1月29日

「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」マタイ25:13

 思いがけないことが突如として身に降りかかってきます。こればかりはどんなことをしても防ぐ手立てはありません。人の知恵、知識は限られた、小さなものです。では、どうすればいいのでしょうか。「目をさましていなさい」と言われます。どのようなことが起こっても、しっかりと受け止めることができるように心を整えておくことです。神様のみ手にあることを自覚して、目先のことに惑わされず、神様のわざに目を留めるのです。(KE)

神様はどのように高度な人の知恵や知識でも無にしてしまう方です

1月28日

「彼らはまた言った、『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』。」創世記11:4

 人が神様を忘れて、自分を神のごときものとした結果が「バベルの塔」です。神様はどのように高度な人の知恵や知識でも無にしてしまう方です。神様が軽く一息吹けば一瞬にして跡形もなく消えてしまいます。「バベルの塔」の場合も同じです。人がいかに小さく、弱く、脆いものであるか、しっかりと胸に刻んでおきましょう。それが謙遜というものです。(KE)

神様からたくさんの恵みをいただいていながら、どれだけ感謝していますか

1月27日

「そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」ルカ17:15,16

 重い皮膚病に罹っていた十人の病人がイエス様の言葉に従ったところ、すっかり癒されました。そのうちの一人だけがイエス様に感謝したのです。ところで、私たちはどうでしょうか。毎日、神様からたくさんの恵みをいただいていながら、どれだけ感謝していますか。日曜日、礼拝に出て、神様に心から感謝する時、あなたの人生は全く変わります。(KE)

あなたの思いを知ってくださる方です

1月26日

「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18

 イエス様は神の子であって、神様と等しいお方です。私たちとは“雲泥の差”どころか、表現の仕様がないほどの違いがあります。だから、私たち下々のことは分からないと思いがちです。しかし、主は神の位を捨てて、人の世に降り、馬小屋に生まれて、人として生きてくださいました。私たちの心の奥に届くことができる方です。あなたの思いを知ってくださる方ですから、遠慮なく、打ち明けようではありませんか。(KE)

聖書とは違った言葉を聞くと、間違った信仰になります

1月25日

「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」ローマ10:17

 子供の成長を見ていると、幼いころから教えられ、聞かされたことが身に付くのであって、放任していたら成長は止まります。信仰も同様です。キリストの言葉、聖書の言葉を聞いて、イエス様を知り、神様を知らなければ信仰は芽生えませんし、成長しません。また、聖書とは違った言葉を聞くと、間違った信仰になります。何を聞くか、何を読むか、魂の成長に大切なことですから、聖書の言葉をしっかり聞いて下さい。(KE)

栄光を主に帰して、溢れるばかりに感謝しようではありませんか

1月24日

「あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。」申命記8:17

 人は恵まれ、物事が順調になり、豊かになると高慢になりやすいものです。殊に、神様の前に高ぶるとき、必ず失敗します。バビロンのネブカデネザル王もそのために苦しみを味わいました。また、ヘロデ王はそのために命を失いました。神様の憐みと慈しみのゆえに、与えられた恵みですから、栄光を主に帰して、溢れるばかりに感謝しようではありませんか。豊かになった時こそ、危ういときです。(KE)