6月24日
「わたしは命のパンである。」ヨハネ6:48
カナンの地を目指して、荒野の旅をした神の民は日ごとに天から降って来る「マナ」によって養われました。この世はまさに荒野であり、私たちは約束の地であるカナンに向かって進んでいます。この旅路にある私たちを養う「マナ」はイエス様のみことばです。肉体のためには三度の食事を欠かしませんが、命に活力を与えるパンを食べようとしないのは片手落ちです。永遠の命にいたるパンを日々いただいて、カナンの地である御国に入ろうではありませんか。(KE)
6月24日
「わたしは命のパンである。」ヨハネ6:48
カナンの地を目指して、荒野の旅をした神の民は日ごとに天から降って来る「マナ」によって養われました。この世はまさに荒野であり、私たちは約束の地であるカナンに向かって進んでいます。この旅路にある私たちを養う「マナ」はイエス様のみことばです。肉体のためには三度の食事を欠かしませんが、命に活力を与えるパンを食べようとしないのは片手落ちです。永遠の命にいたるパンを日々いただいて、カナンの地である御国に入ろうではありませんか。(KE)
6月23日
「すると、声が二度目にかかってきた、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。」使徒10:15
ペテロは夢の中でいろんな動物が入った布の入れ物が天から下ってくるのをみました。「ほふって食べよ」との声がしましたが、彼は拒みました。神様は十字架によって私たちを清めてくださいました。完全な清めです。自分がどんな状態であっても、神様は清めてくださったのです。いつまでも、救われないとか、ダメな自分だとか言わないで、清められた自分であることを確信してください。(KE)
6月22日
「そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。」ルカ16:23
「肥えた豚になるより、痩せたソクラテスになれ」と語った人がいました。ラザロは生きているとき、金持ちの家の前で物乞いをしていましたが、死んでから天国に移されました。金持ちは死んで黄泉にあって苦しんでいました。確かに、この世で不遇だったとしても、神様の救いを受けて生きるなら、物質的に豊かであるよりはるかに幸いです。あなたも「痩せたラザロ」になってください。(KE)
6月21日
「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」マタイ5:44
これは言うには易く、行うには至難の言葉です。しかし、「愛する」とはその人のために「祈る」ことですから、実は大変容易なことです。「祈り」は自分のために何事かを願い求めること思われますが、それ以上に、祈りは他者のためにとりなす愛のわざでもあります。あなたが敵対する者や害する者のために、神様の憐みと慈愛を祈ってあげるなら、その人を変えてくださるだけでなく、祈るあなたに神様の恵みが注がれます。(KE)
6月20日
「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」ローマ8:34
イエス様による救いは完全な赦しであって、すでに完成したものです。また、この救から漏れる人もいません。ところが、それを疑い、まだ自分は赦されない者だと失望し、落胆します。疑わせて、攻撃するのは自分自身です。それはあなたを救いから罪の支配に引き入れようとするサタンの仕業です。十字架を仰いで、今日も主の赦しに生きてください。(KE)
6月19日
「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。」第二コリント6:8a
イエス様の十字架の救いを信じた者たちは「神の子」と呼ばれますが、同時に「神の僕(しもべ)」でもあります。「しもべ」は主人であるイエス様に仕え、従うのが仕事です。また、主人に喜ばれ、受け入れられるなら、それがすべてです。他の人がどうであるとか、自分の事をどういわれようと、何も関係はありません。常に「しもべ」となりきって、主イエス様だけに目をとめておきましょう。(KE)
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。」マタイ16:25
「捨てて拾う」、「死んで生きる」など、逆説と言われる修辞法でイエス様は真理を語っています。たしかに、人は失うまいとして握り、しがみつきますが、それでは増やすことができません。むしろ、イエス様のために、命(最も大切なもの)すらも惜しまなければ、主は豊かに報いてくださいます。今日、あなたは主のために何を捨てますか。お金ですか、時間ですか、健康ですか、友人ですか?(KE)
6月17日
「夜、初更に起きて叫べ。主の前にあなたの心を水のように注ぎ出せ。町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。」哀歌2:19
幼い子供たちの命がたやすく失われる時代になりました。家庭は崩壊し、マンホール・チルドレンや虐待、育児放棄から餓死に至るまで、心痛める事件が多発しています。なんともやるせない思いがします。行政や地域社会の働きも限界があります。今や神様の救いを待ち望むほかありません。今日も多くの幼い命が守られるように祈ろうではありませんか。(KE)
6月16日
「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。」エレミヤ29:13-14a
神様の切なる願いは私たちが神様を求めることです。とかく、神様を求めるよりも、人や物、制度や組織などにすがろうとします。しかし、結局、全ての人が帰るべきところは神様以外にありません。求めさえすれば、神様はあなたに会うと言われます。ただし、「一心」にです。行き詰って、お手上げになるとき、神様のすぐそばに立っているのです。(KE)
6月15日
「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」エペソ4:29
このような勧めがなされるのは人が「悪い言葉」を好むからです。他者を批判したり、裁いたり、ののしったり、悪口雑言はお手のものです。しかし、それでは神様に喜んでもらうことができません。“口は災いの元”と言われるように、何気ない一言が大火となります。「徳を高める」言葉は、そばで聞いている者にも心地よいものです。口に気をつけて。(KE)