9月10日
「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10
人は顔や容貌によって他者を見ることしかできません。その人の心を探り知るなど不可能です。それゆえ、外面を体裁良くすれば事は済むと思いがちです。しかし、神様はそうではありません。みことばのように、あなたの心と思いを知っておられます。具体的な出来事の動機に至るまで知り、報われます。神様の前に立っていることを常に自覚して生きることが大切です。(KE)
9月10日
「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10
人は顔や容貌によって他者を見ることしかできません。その人の心を探り知るなど不可能です。それゆえ、外面を体裁良くすれば事は済むと思いがちです。しかし、神様はそうではありません。みことばのように、あなたの心と思いを知っておられます。具体的な出来事の動機に至るまで知り、報われます。神様の前に立っていることを常に自覚して生きることが大切です。(KE)
9月9日
「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。」ルカ3:8d
罪と咎とに死んでいた者たちを造りかえて神の子としてくださったのは、一方的な神様のわざによるものです。なぜ、私のようなものが救われ、神様を信じる者とされたのか、不思議としかいえません。ただはっきりしていることは、石ころのように何一つ取り得のない者であっても、神様の民として生かしてくださいます。だから心強いのです。なぜなら、救いは過酷な修行によって得たものでなく、神様からの賜物だからです。(KE)
9月8日
「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」ルカ16:10
重要な役を任せられたり、派手で衆目を集めることには熱心であっても、見栄えのしない、些細なことは力を抜く。まさに人の真価が問われるときです。どんなに小さなことでも忠実に心を込めてはたしていれば大事をも任せられることになります。神様は小さなことにも目をとめ、それぞれのわざに従って報われます。身近な小さなことでもおろそかにせず、全力を尽くしましょう。(KE)
9月7日
「兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。」 ヘブル3:12
世間でも「悪魔」などと言って怖がる話がありますが、人に働きかける闇の力、サタンがいるのは確かです。しかし、それは世間で言われるようなものとは全くちがいます。サタンは人が神様に近づくことを妨害し、神様から引き離そうとする力です。信仰によって生きようとすると、そのような力が必ず働いて、不信仰に陥らせます。その事を知って、十分警戒して下さい。(KE)
9月6日
「あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。」第一テサロニケ5:2
「主の日」とは終末、世の終わりのときです。その時がいつであるか、だれも知りません。しかし、始まりがあれば終わりがあるのも必定です。世界も宇宙も終わります。そのとき、イエス様がこの世に裁き主として来られると約束されています。いつ主が来られても、よろこんで御前に立てるよう備えているでしょうか。私達に与えられた使命を果たし得るように、主の御旨を問いつつ、全く従う者となりましょう。(KE)
9月5日
「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。」ガラテヤ3:26
驚くべき事ではないでしょうか。イエス様を信じるなら、その人は「神の子」であるとは。自分を見る限り、神の子には到底なりえない者だと断言できます。しかし、神様はそんなことを全部知り尽くして、ただイエス様を救い主と信じる者を「子」としてくださったのです。私達が「子」となるなら、神様は当然私達の「親」です。だから、神様は私達を顧み、ご愛のみ手で支え、守り、持ち運んでくださるのです。(KE)
9月4日
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」ヨハネ6:6
身体的な条件が揃っていれば生きるのではありません。人の本質は霊的な存在です。最近はその事が忘れられて、物質的な充足(肉)のみを追求するようになりました。そのため命が消えてしまいます。キリストの言葉にこそ、霊を生かす命が宿っています。主の言葉を素直に受けいれ、信じ、それに自分を委ねるとき、輝く命に生きることが出来ます。(KE)
9月3日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』。」ルカ5:5
夜通し漁をして戻ったペテロの舟にイエス様は乗って、福音を語りました。その後、主はペテロに沖へ出て網をおろせと言われました。ペテロはイエス様の言葉を信じたのです。そして、具体的に行動しました。その結果は驚くほどの大漁だったのです。主の言葉に従うこと、これが神様の力、恵みを体験する道です。聞くだけでなく、従いましょう。(KE)
9月2日
「神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。」マルコ3:35
この世では家族、親族など血縁関係をもとにして人間関係が成り立っています。しかし、イエス様の救いはこの世の肉親的な関係から解放して、新しい家族、神の家族としてくださったのです。勿論、肉親や親族を無視せよというのではありませんが、それよりも新しい関係に生きるところに命があるのです。イエス・キリストの血によってつながる家族であり、神様を“天のお父さま”と呼ぶ交わりに生きるのです。(KE)
9月1日
「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。」マタイ22:32
私達が神様と主体的に関わって、“神とわたし”の関係が築かれるとき、神様の全てが恵みとして与えられるのです。丁度、銀行に自分の口座を開設するように。その関係が作られなければ神様の恵みを受けることが出来ません。今を生きるあなたの神様となってくださるのです。過去にどれほど信仰深い家族がいたとしても、あなたの神様とはなりません。(KE)