6月3日
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」ローマ8:28
「召された者たち」とは私たちのことです。神様は常に私たちと共にいて、働いて下さっています。願いを起こさせ、思いを与え、みこころを行っています。それによって私たちに感謝、讃美させ、喜びを与えるためです。神様はご自分の命で贖った私たちを悲しませ、苦しめ、失望させる方ではありません。(KE)
6月3日
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」ローマ8:28
「召された者たち」とは私たちのことです。神様は常に私たちと共にいて、働いて下さっています。願いを起こさせ、思いを与え、みこころを行っています。それによって私たちに感謝、讃美させ、喜びを与えるためです。神様はご自分の命で贖った私たちを悲しませ、苦しめ、失望させる方ではありません。(KE)
6月2日
「わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。」詩篇116:12
神様の恵みと言うとき、「棚からぼた餅」式の幸運な出来事を想像しますが、神様の恵みは私たちの人生全般にわたることです。ミクロな日常茶飯事から、マクロの大宇宙にいたるまで、神様の恵みでないものはありません。残念なことに、日常生活にあって、感覚が鈍り、恵みと感じられなくて不平不満、つぶやいています。良いことも悪いことも、すべて神様の恵みであると謙遜に認めて、全てを感謝しましょう。(KE)
6月1日
「しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである。」テトス3:9
食卓での話題に宗教と政治は禁物といわれます。それは人を感情的に激高させるものだからです。宗教戦争や宗派間の争いは古くから続いています。しかし、信仰は議論して優劣をつける種類のものではありません。信じるあなた自身の生き方です。しかも、言葉遊びや、観念の世界ではなく、具体的な現実の生活、行動に直結した力とわざが信仰です。(KE)
5月31日
「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。」ピリピ1:29
信心は自分に安心立命を与え、幸せになる道だと思われています。たしかにそのとおりですが、しかし、それはまだ半分です。イエス様を信じる信仰は自分のために生きるのではなく、キリストのために生きることにあります。その結果、キリストのために苦難にも遭います。ただし、その苦難は私たちの魂を救い、喜びを与えてくれます。(KE)
5月30日
「悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。」伝道7:3
悲しいことや悩みにあうことは嫌なことです。なんとか避けようと努めますが、そのような不幸と思われる事態は決して無駄なことではなく、むしろ人を造りかえる大きな力です。悲しみや悩みを知らない人よりも、それらを通って、神様と対話して自分の内面を清くされた人々のほうが、はるかに美しく、深みがあり、魅力的です。だから、そのような事態に会うとき、逃げないで、避けないで正面から受け止めてください。(KE)
5月29日
「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。」 歴代下16:9a
神様が求めておられるものは一心になって信頼する者です。しかし、私たちは二心、三つ心で、あれもこれもと手を伸ばすので、神様は失望されます。人と人との関係でも同様です。頼りにするのはあなただけと言われるとき、無力な者であっても何とかしようとします。そのような純一な心を求めておられるのです。(KE)
5月28日
「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」 詩篇104:24
天地創造のわざは今もなお繰り返され、続いています。目にするもの、手でさわるものなど全てが神様のわざによるのです。それらは人の知恵や知識を越えた摂理によって存在しています。人は“どうして”と問いますが、答えを得ることができません。なぜなら、神様のわざだからです。不条理に思える現実も神様の造られたものです。(KE)
5月27日
「主は恵み深く、なやみの日の要害である。彼はご自分を避け所とする者を知っておられる。」ナホム1:7
「要害」とは敵から身を守るための「城」です。そこに隠れこむとき、安全でいられます。あなたにとっての「要害」は何でしょうか。「窮鳥懐に入る」と言う言葉があるように、ふところに飛び込まれるなら、敵対する者でも保護します。ましてや、恵み深い神様はあなたの「避け所」となってくださいます。悩みや艱難にあうとき、遠慮なく主のふところに飛び込みましょう。神様はあなたを愛しておられるのです。(KE)
5月26日
「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。」マタイ6:7
祈りは大きな力であり、慰めであり、望みです。祈ることが出来るのはどれほど幸いなことかわかりません。しかも、神様は私たちに祈ることを許し、求めてくださるばかりか、喜ばれます。ただし、神様を信頼して祈るのでなければ聞かれません。信頼していれば、言葉は少なくても、思いは十分伝わります。あなたも短い一言でも声を出して祈ってみませんか。(KE)
5月25日
「あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。」イザヤ40:28
神様はどのような方であるか、人によって理解が違っているかもしれません。しかし、神様をどのような方と信じるか、それが信仰の形となります。神様を小さなものとするなら、その規模の信仰になるでしょう。神様は誰に比べ、何に例えようとするのかと問われます。あなたの信じる神様はどのような方でしょうか。(KE)