2月6日
「彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。」伝道5:15
例外なく、人は生まれた時、裸です。何も持たずにこの世に生まれ、成長しつつ労苦によって、いろんな物を獲得し積み蓄えますが、やがてすべてを世に残して、裸になって帰って行くのです。ただこの世にいる間、ほんの僅かな歳月ですが、その間神様が備えて使わせて下さるのです。物に執着すると道を間違えますから、ご用心。(KE)
2月6日
「彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。」伝道5:15
例外なく、人は生まれた時、裸です。何も持たずにこの世に生まれ、成長しつつ労苦によって、いろんな物を獲得し積み蓄えますが、やがてすべてを世に残して、裸になって帰って行くのです。ただこの世にいる間、ほんの僅かな歳月ですが、その間神様が備えて使わせて下さるのです。物に執着すると道を間違えますから、ご用心。(KE)
2月5日
「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか。」ルカ11:13
聖霊をいただくことはよみがえられたイエス様を体験することであり、神様を知り、信じ、信頼できる恵みです。聖霊(神の力)を求めることほど素晴らしいことはありません。“天の父”なる神様は「与える」との約束ですから、信じて祈り求めようではありませんか。(KE)
2月4日
「しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』と言われた。」マタイ14:27
人が悩み、苦しみに会うと、自分だけがこのような惨めな目にあっていると思いやすいものです。そのため、倍して苦しく、つらいのです。イエス様はいつでも、どこでも、私たちと共に居てくださるためによみがえられました。そのように主は今も私と一緒に居てくださると信じることです。あなたにも主は声をかけておられます。心を静めて、主の声を聴いて下さい。(KE)
2月3日
「われらのなお滅びざるは、エホバの仁愛(いつくしみ)により、その憐憫(あわれみ)の尽きざるによる。」哀歌3:22(文語訳)
災害やテロ、内戦など多くの方々の命が失われます。なぜ彼らが死なねばならなかったのか、それは分かりません。そのことよりも、今、大切なのは、彼が死んで、私が生きているのはなぜであろうかを問うことです。神様はあなたに願うことがあり、期待することがあればこそ、生かしておられるのです。神様の慈愛と憐みのゆえに、神様と共に生きる恵みを感謝しましょう。(KE)
2月2日
「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。」イザヤ2:22
“あの人に裏切られた”と言う言葉を聞きますが、決して言われている人が悪いのではありません。そもそも、人を頼りにした人が愚かなだけです。“失望した”と言う人は自分の愚かさを吹聴しているにすぎません。立場をかえて、自分が頼られたならば、相手の望むように答えることができるでしょうか。自分ができないのに、他人ができると期待するほど間の抜けた話はありません。自分ができない事は他人も出来ないのです。(KE)
2月1日
「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。」マタイ7:24
最近の大地震ではあちこちで液状化現象が見られます。埋立地のような地盤の弱いところでは激しい振動によって、地面に含まれている水が分離して湧き出るのです。沼地のようになり、上にあるものを地中に引き込んでしまいます。私たちの心も不安や恐れ、心配や思い煩いに揺さぶられると、まさに液状化現象を起こします。自分を見失わないように、心を据える場所をしっかりしておきましょう。(KE)
1月31日
「聖者は言われる、『それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか』。」イザヤ40:25
「聖者」とは神様のことです。この問いかけは繰り返し自らに向けるべきものです。なぜなら、神様を信じると言いながら、心が高ぶり、高慢になって、神様を忘れ、神様が無能無力な方であるかのようにふるまうことになります。また、人がどれほど小さく、弱い者であるかを忘れるからです。常に、自分がどんな者であり、神様がどんなに大きく、力ある方であるかを覚えておいてください。(KE)
1月30日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71
苦しい事、不幸な事態に遭わないようにと願いますが、決して無くなることはありません。不幸なことに出会って嘆き悲しむばかりで終わるなら、まさに不幸の極みです。しかし、苦しみや悩みを通って、その後の生き方が変わり、その人の人生に新しい地平が開け、プラスとなるなら、これほどの幸いはありません。幸・不幸は出会う事柄によるのではなく、その後の人生のなかで決まるのです。それはあなたの心にかかっています。(KE)
1月29日
「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」マタイ25:13
思いがけないことが突如として身に降りかかってきます。こればかりはどんなことをしても防ぐ手立てはありません。人の知恵、知識は限られた、小さなものです。では、どうすればいいのでしょうか。「目をさましていなさい」と言われます。どのようなことが起こっても、しっかりと受け止めることができるように心を整えておくことです。神様のみ手にあることを自覚して、目先のことに惑わされず、神様のわざに目を留めるのです。(KE)
1月28日
「彼らはまた言った、『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』。」創世記11:4
人が神様を忘れて、自分を神のごときものとした結果が「バベルの塔」です。神様はどのように高度な人の知恵や知識でも無にしてしまう方です。神様が軽く一息吹けば一瞬にして跡形もなく消えてしまいます。「バベルの塔」の場合も同じです。人がいかに小さく、弱く、脆いものであるか、しっかりと胸に刻んでおきましょう。それが謙遜というものです。(KE)