イエス様が与えて下さった最大の恵みは私達がいつも主と共におることです

9月14日

「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」マタイ28:20

 イエス様が与えて下さった最大の恵みは私達がいつも主と共におることです。そのために、十字架に死んで罪を贖い、よみがえってくださったのです。昼も夜も、どこにいても主はあなたと共におられます。これほど幸いなことはありません。主は栄光の富に満ちた方であり、全能の神様でもあります。今日も、あなたと共におられる主を仰ぎつつ生きて下さい。(KE)

神様の力と裁きは上から来るものです

9月13日

「岩のはざまにおり、高い所に住む者よ、あなたの心の高ぶりは、あなたを欺いた。あなたは心のうちに言う、『だれがわたしを地に引き下らせる事ができるか』。」オバデヤ3

 人がもっとも警戒すべき事は高慢になることです。難攻不落の岩場にいるからといって、また、高いところで手が届かないと侮っていると、とんでもない事になるでしょう。神様の力と裁きは上から来るものです。「心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力あるものを王座から引き下ろし…」とあります。神様の前に謙遜になることを忘れないで。(KE)

「すべての道」とは日常生活全般です。しかも例外はありません。

9月12日

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:6

 「すべての道」とは日常生活全般です。しかも例外はありません。「すべて」です。「主を認めよ」とは神様の主権、絶対的な造物主としての権限を承認することです。病気であれ、経済問題であれ、家族のことであろうと、そこに神様が事を起こし、事態を導き、進めていると、徹底して主を認めるなら、これほど痛快なことはありません。私達はもはや悩むことも、思い患うことも不要です。神様が全責任を負ってくださるのですから。(KE)

私達が救われたのは私達がこの和解の福音を世に伝えるためです

9月11日

「すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。」第二コリント5:19

 人は神様に罪を犯した結果、暗黒に住む者となったのです。創り主である神様はそのような私達を惜しんでくださって、イエス様を世に遣わし、神様との和解を完成して下さいました。私達が救われたのも神様の憐れみです。それは私達がこの和解の福音を世に伝えるためです。神様の赦しと和らぎを受けなさいと語り続けましょう。それが私達の使命です。(KE)

神様はあなたの心と思いを知っておられます

9月10日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

 人は顔や容貌によって他者を見ることしかできません。その人の心を探り知るなど不可能です。それゆえ、外面を体裁良くすれば事は済むと思いがちです。しかし、神様はそうではありません。みことばのように、あなたの心と思いを知っておられます。具体的な出来事の動機に至るまで知り、報われます。神様の前に立っていることを常に自覚して生きることが大切です。(KE)

救いは過酷な修行によって得たものでなく、神様からの賜物だからです

9月9日

「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。」ルカ3:8d

 罪と咎とに死んでいた者たちを造りかえて神の子としてくださったのは、一方的な神様のわざによるものです。なぜ、私のようなものが救われ、神様を信じる者とされたのか、不思議としかいえません。ただはっきりしていることは、石ころのように何一つ取り得のない者であっても、神様の民として生かしてくださいます。だから心強いのです。なぜなら、救いは過酷な修行によって得たものでなく、神様からの賜物だからです。(KE)

神様は小さなことにも目をとめそれぞれのわざに従って報われます

9月8日

「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」ルカ16:10  

重要な役を任せられたり、派手で衆目を集めることには熱心であっても、見栄えのしない、些細なことは力を抜く。まさに人の真価が問われるときです。どんなに小さなことでも忠実に心を込めてはたしていれば大事をも任せられることになります。神様は小さなことにも目をとめ、それぞれのわざに従って報われます。身近な小さなことでもおろそかにせず、全力を尽くしましょう。(KE)

サタンは神様から引き離そうとする力です

9月7日 

「兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。」 ヘブル3:12

 世間でも「悪魔」などと言って怖がる話がありますが、人に働きかける闇の力、サタンがいるのは確かです。しかし、それは世間で言われるようなものとは全くちがいます。サタンは人が神様に近づくことを妨害し、神様から引き離そうとする力です。信仰によって生きようとすると、そのような力が必ず働いて、不信仰に陥らせます。その事を知って、十分警戒して下さい。(KE)

いつ主が来られても、よろこんで御前に立てるよう備えているでしょうか

9月6日

「あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。」第一テサロニケ5:2

 「主の日」とは終末、世の終わりのときです。その時がいつであるか、だれも知りません。しかし、始まりがあれば終わりがあるのも必定です。世界も宇宙も終わります。そのとき、イエス様がこの世に裁き主として来られると約束されています。いつ主が来られても、よろこんで御前に立てるよう備えているでしょうか。私達に与えられた使命を果たし得るように、主の御旨を問いつつ、全く従う者となりましょう。(KE)

神様は私達を顧み、ご愛のみ手で支え、守り、持ち運んでくださるのです

9月5日

「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。」ガラテヤ3:26

 驚くべき事ではないでしょうか。イエス様を信じるなら、その人は「神の子」であるとは。自分を見る限り、神の子には到底なりえない者だと断言できます。しかし、神様はそんなことを全部知り尽くして、ただイエス様を救い主と信じる者を「子」としてくださったのです。私達が「子」となるなら、神様は当然私達の「親」です。だから、神様は私達を顧み、ご愛のみ手で支え、守り、持ち運んでくださるのです。(KE)