「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」詩篇20:7
現代では「戦車」「馬」に代えて、「学歴」「家柄」「偏差値」あるいは「預金残高」などを入れてみてはどうでしょうか。あなたは何に置き換えますか。いずれにしても、それらのものは遅かれ早かれ色あせて力をなくしてしまいます。しかし、神様に罪を許され、神様のものとなって、この方に信頼するなら、鬼に金棒どころではありません。神様を味方とする生涯、これほど痛快なものはありません。(KE)
「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」詩篇20:7
現代では「戦車」「馬」に代えて、「学歴」「家柄」「偏差値」あるいは「預金残高」などを入れてみてはどうでしょうか。あなたは何に置き換えますか。いずれにしても、それらのものは遅かれ早かれ色あせて力をなくしてしまいます。しかし、神様に罪を許され、神様のものとなって、この方に信頼するなら、鬼に金棒どころではありません。神様を味方とする生涯、これほど痛快なものはありません。(KE)
5月23日
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」 詩篇55:22
ある人は人生を譬えて、「重き荷を負うて坂道を登るがごとし」と言いました。まさにこの譬えのように多くの人々は大なり小なり重荷を負いながら生きるものと思っています。しかし、神様が人を創造されたとき、重荷を負わせようとしたのではなく、人は罪ゆえに荷を負う者となったのです。神様に立ち帰って正しい者としていただき、神様に一切の荷を委ねて身軽になろうではありませんか。(KE)
5月22日
「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。」第二コリント5:1
「地上の幕屋」とは私たちの体、肉体であり、それを支える生活です。これはやがて壊れ、消え去ります。それは幕屋に内住する私たちの霊が永遠の家に移るためです。目に見える外なる人が滅びても、霊はそれを授けた神様のもとに帰るのです。そのことを自覚して生きるとき、あなたの生き方が変ります。(KE)
5月21日
「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」コロサイ3:13
「ゆるす」ことほど困難なことはありません。最大の原因は自分を正しいとする心です。自分がどれほど罪深く、ゆるされなければならないものであるかを知るなら、決して責めることはできません。罪を犯した女を責め立てる人々に、主はまず罪なきものが石を投げよと言われました。主の十字架にゆるされた者であることを忘れてはなりません。(KE)
5月20日
「娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ。」詩篇45:10
昔は結婚する娘に親が「ここはもう帰る場所ではない」と言ったものです。嫁ぐ以上、相手の家を自分の家とするためです。実家や親兄弟を切り捨てなければ、嫁として自立できません。イエス様と私たちの関係も同じです。キリストの花嫁となった者は、この世から、肉の生活から離れて、イエス様だけになる。これが不可欠です。そうでなければ、信仰による困難があると、すぐにイエス様を離れ、以前の自分に戻ってしまいます。(KE)
5月19日
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」ピリピ1:6
神様は私たちにみこころをなそうとしています。だから、思いを与え、願いを起こさせます。しかし、そのような神様からの促しを聞き流し、拒んでいます。私たちが神様のみ思いに心を委ねるなら、全ての必要を満たし、力と知恵を与えて良きわざを完成させてくださいます。人は自分の努力や力では何も良いわざができません。(KE)
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4
自分の人生がいつまでであるかを人は知りません。それは幸いなことです。もし、何時終わるか知っていたら、到底平静ではおれないでしょう。しかし、知らないゆえに、貴重な時間を無為に過ごしてしまいます。終わりの近いことを知ると、人生の目的を意識し、それを探求するようになります。あなたの人生を実り豊かにするには常に死の時を自覚することです。(KE)
5月17日
「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」伝道12:7
人の体は地のちりによって造られたとあります。確かに、火葬されると残るものは灰だけです。これが人の全てだとしたら、なんと空しいことでしょうか。しかし、人にはもう一つ大切なものがあります。神様から与えられた霊です。霊があればこそ、人が人として生きることができるのです。それは決して消えてなくなるものではなく、神様のもとへかえっていきます。やがて終末のとき、全ての霊は神様のまえで裁きを受けると定められています。(KE)
5月16日
「こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、主に問うことをしなかった。」歴代上10:13-14a
サウル王はアマレク人との戦いで神様の命令を守らなかったために、神様から見放され、霊媒師に頼るようになりました。ペリシテ人との戦いのなかで、彼は死にましたが、その死は罪の結果でした。罪の支払う報酬は死であるとありますが、罪のゆえに死ぬべき私たちは、今日も十字架の恵みによって赦され、生かされています。感謝です。(KE)
5月15日
「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:6
日々の生活は全てのことが人のわざ、計画によるものに思われます。だから、人が努力し、勤勉に励めば何事も上手くいくものと思いがちですが、現実はそのようになりません。努力しても報われず、思いや願いは程遠いものになります。それはものの見方の根本が間違っているからです。有形無形を問わず、万物は神様のみわざによります。神様の許しが無ければ人は何もなしえないことを認めて、神様のみ手に委ねることが大切です。(KE)