服装によって、その人が評価されることもあります

12月9日

「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。」ガラテヤ3:27

「キリストを着た」とは不可解な言葉に思われますが、イエス様と私たちとの関係を表すにはこれ以上の比喩はありません。どのような服装であるかによって、着ている人の思いや感情、思考が表れます。また、服装によって、その人が評価されることもあります。今日のあなたは何を着ていますか。ネクタイにスーツ? それともジャージの上下?それはどちらであっても構いませんが、心にキリストをしっかり着てください。(KE)

人の知恵や知識で理解しようとしても矛盾だらけです

12月7日

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」第二テモテ3:16

聖書ほど不思議なものはありません。長い年月をかけ、神様の霊がそれぞれの人々に臨んで、書かれたものですから、人の知恵や知識で理解しようとしても矛盾だらけです。しかし、神様の言葉であると信じて、従うとき、人の想像を越えた、思いがけない体験をすることになります。また、自分の思考や感情、生活のあり方など、いろんなところが変ってきます。ぜひ、体験してください。(KE)

 

今日も許され、生かされています

12月6日

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1a

“喉もと過ぎれば熱さ忘れる”と言われるように、人はとても忘れやすい性分です。神様から離れて、滅びの道を進んでいた私たちを、愛するゆえに憐れんで、ひとり子イエス様を世に遣わして救ってくださいました。神様が払った代償は多大なものです。そのゆえに、今日も許され、生かされています。あなたの境遇が願わないものであっても、神様のご犠牲に比べれば、何と小さなことでしょうか。(KE)

どんなときにもイエス様を見上げて、その後についていくことです

12月5日

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」ヘブル12:2a

自分の努力や力で信仰をまっとうすることはできません。信仰は神様からの賜物です。信仰に生きる生涯をまっとうするには、どんなときにもイエス様を見上げて、その後についていくことです。イエス様は私たちの信仰を完成に導かれる方だからです。また、先達に付いていくのは楽ですし、安心です。まるで添乗員に先導される旅行者のように、今日の一日も、イエス様に目を注いで、そのあとに従って行きましょう。(KE)

「場」を捨て、離れなければ、イエス様に従うことはできません

12月4日

「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか。」マルコ10:17b

イエス様のもとにひとりの人が来て尋ねた言葉です。その答えは「わたしに従ってきなさい」でした。しかも、持ち物を売り払い、貧しい人に施してと。「永遠の生命」はイエス様ご自身であること、またイエス様に従うことが「永遠の生命」です。主が神の位を捨てて世にこられたように、自分の守っている「場」を捨て、離れなければ、イエス様に従うことはできません。それは今も変らない真理です。(KE)

神様を離れては生きることが出来ないのです

12月3日

「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」マタイ18:3

イエス様は「幼な子」を引き合いに出して、救いについて語りました。幼な子の全てを無条件で是認しているのではありません。その本意は、「自分を低くする者」と語っているように、「幼な子」は弱い者であり、助けが必要ですから、両親を離れて生きることができません。そのように、私たちも「天の父」である神様を離れては生きることが出来ないのです。(KE)

私たちのもの全て、神様から頂いたり、借用でいるものばかりです

12月2日

「人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。」マラキ3:8

神様から盗人呼ばわりされて心外だと言われるかもしれません。しかし、考えたら、私たちの持っているもの全て、神様から頂いたり、借用でいるものばかりです。それらを「私のものだ」と言っている私たちは正真正銘の盗人です。全てが主のものであると認めて、その恵みに感謝しようではありませんか。(KE)

「人は草」のように弱く、小さな存在です

12月1日

「声が聞える、『呼ばわれ』。わたしは言った、『なんと呼ばわりましょうか』。『人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ』。」イザヤ40:6

人の世に生きていると、物質文明の絶頂期にあるため、人の力とわざが際立ってみえます。しかし、神様の目からご覧になると、まことに「人は草」のように弱く、小さな存在です。大地がチョット揺れると、一瞬にして瓦礫となって、命を失います。まことに脆い、はかないものです。それを忘れて、人が何者かであるように思うなら、必ず報いをうけるでしょう。(KE)

神様の方から人に近づいてくださったのです

11月30日

「それで、あなたがたは神をだれとくらべ、どんな像と比較しようとするのか。」イザヤ40:18

神様と人はまったく相容れないもの、立っている次元が違います。その差異を乗り越えて、神様の方から人に近づいてくださったのです。ところが、人は神様を自分と同じレベルにおき、様々な像に形づくり、小さな存在にしました。神様の前に、人はとても小さなものであって、知恵も力もない存在であること、神様の大能のみ手に握られていることを自覚しようではありませんか。(KE)

神様の御性質の一つは「真実」です

11月29日

「わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。」伝道3:14ab

神様の御性質の一つは「真実」です。これは首尾一貫して変らないことです。時代に影響され、流行に流され、所によって変るのが人の世の姿です。しかし、神様は過去・現在・未来にわって真実にみわざを遂行されます。また、誰彼に左右されることなく、ご自分の心を貫かれます。だからこそ、信頼して裏切られません。(KE)