11月28日
「愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。」箴言12:15
「愚かな人」とは、学校の成績や偏差値が悪いというのではありません。神様を恐れず、敬わない人のことです。そのような人は自分の考えや意見が絶対正しいと主張します。他人の意見や勧めを受け入れようとしません。しかし、「知恵ある者」は自分が被造物であり、限りある者であると知っていますから、謙遜になります。また他者の言葉を素直に受け入れ、自分の道を改める柔軟さと心のゆとりがあります。(KE)
11月28日
「愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。」箴言12:15
「愚かな人」とは、学校の成績や偏差値が悪いというのではありません。神様を恐れず、敬わない人のことです。そのような人は自分の考えや意見が絶対正しいと主張します。他人の意見や勧めを受け入れようとしません。しかし、「知恵ある者」は自分が被造物であり、限りある者であると知っていますから、謙遜になります。また他者の言葉を素直に受け入れ、自分の道を改める柔軟さと心のゆとりがあります。(KE)
11月27日
「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。」哀歌3:37
どんなことでも、神様のご計画、摂理によって現れ、堅く立ち、消えていきます。見えるところ、人の知恵や力、努力の結果のように思われますが、神様のゆるしがなければ髪の毛一本抜けません。人は神様を忘れて、自分がなんでも出来ると思っているので、「私の責任です」と偉そうなことを言います。自分の身ひとつ、持て余しているのが現実ですから、例外なく全てが神様の手にあることを認めて、へりくだりましょう。(KE)
11月26日
「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』。」マルコ5:36
会堂司の娘が死にかけていたとき、イエス様に来て祈ってほしいと頼みました。しかし、すでに亡くなったと知らせてきました。そのとき、イエス様は「聞き流して」、信じなさいと勧めました。私たちにはあまりに多くの情報が耳に入り、信仰が持てなくなっています。聞き流すこと、これは信じるために大切なことです。イエス様ですら、そのようになさるのですから、神様の声にのみ耳を傾けましょう。(KE)
11月25日
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」マタイ6:26
神様への信頼度を問われる言葉ではないでしょうか。誰一人、自分の力で生まれでた者はいません。また、自分の力や努力、才覚で命を養っているわけでもありません。すべてのものを造り生かし導かれるのは、あなたの「天の父」です。お父さんの手に委ねましょう。あなたのすべてを。(KE)
11月24日
「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった。」ヨハネ12:37
イエス様は世に在りし時、様々な奇跡と言われるわざをなさいました。ともすると、そのような「しるし」、不思議なわざを体験すれば信仰が深まり、揺るがなくなると思いがちです。しかし、イエス様を信じる信仰はしるしや奇跡を見て得られるものではなく、聖霊が働いてくださるとき与えられるものです。信仰は神様からの贈物、恵みです。謙遜になって、信仰を与えてくださいと求めてください。(KE)
11月23日
「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24
私たちの見る世界は悪や暴虐に満ちて、とても神様の造られたものとは思えません。しかし、みことばには神様が造られたもので地は満ちているとあります。私たちの目にどのように見えようとも、神様のみわざですと信じて受け止める時、主のみ手が見えてきます。現実の様々な事象を信じるのか、みことばに立って神様を信じるのか、常に迫られています。(KE)
11月22日
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」マタイ7:13
「狭い門」とは「永遠の命」への入り口です。人は生来困難を避け、楽な道を選ぼうとします。また、この世にあっては世に倣い、流されて生きるなら、困難はありません。しかし、その道は滅びです。「永遠の命」の生涯は、イエス様と同様に、神様のみ旨に従うことですから、当然、この世で生きるには多くの障害があります。それゆえ狭い門であり、細い道ですが、恐れず、命を目当てに進んでください。(KE)
11月21日
「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」第二ペテロ3:9b
神様の御心はすべての人が救われることです。決して、滅ぼしたり、罰を与えたいと思っているのではありません。終末の時を先延ばしにしてでも、あなたが悔改めて神様に立ち返り、自分の思いのまま、感情のおもむくままに生きるのではなく、御心をかなった生涯をまっとうするようにと願っておられるのです。そのために生かされている今日があるのです。(KE)
11月20日
「すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」伝道12:13b
「本分」とは、それがなければ本来の価値がなくなるものです。よく言われるのは「学生の本分」などですが、果たすべき務めを意味します。人が人としてまっとうできるのは、神様をおそれ、その言葉を守ることに因ります。その意味で、私たちの住む社会は人が人として生きていないといえます。これが人間のすることだろうか、と思われる事件や事象が増えているのは当然です。本分に目覚めることが何よりも求められます。(KE)
11月19日
「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」エペソ5:10
今、だれを喜ばせようと思っているか。それによって人の行動がかわってきます。まず、自分を喜ばせようとするのか、親や兄弟など、家族を喜ばせようとするのか、人それぞれでしょうが、神様に喜ばれることを熱心に求める人は、神様からの報いを受けるでしょう。また、そのような人は自分や人を喜ばせる者とは違った生き方になるのは当然です。神様が喜んでくださることを一つでも多くしたいものです。(KE)