昨日の続きとして今日があるのではなく、昨日は昨日、今日は今日です

3月8日

「主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます。」詩篇5:3

ここに「朝ごとに」と繰り返して言われています。神様のなさるわざは実に「朝ごとに」です。昨日の続きとして今日があるのではなく、昨日は昨日、今日は今日です。また、明日は明日です。常にリセットされて、新しく生かされているのです。いつまでも昨日のことを引きずったり、今日の失敗で世界が終わる如く失望するのは間違いです。いつも神様と新鮮な関係を持ち続けましょう。(KE)

気づかないうちに、私たちの心をサタンが支配してきます

3月7日

「俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。」第二テモテ2:16-17

人の噂や、週刊誌的なネタ、テレビの馬鹿げたおふざけ、他の芸人をけなす言葉など、私たちの周囲には「俗悪なむだ話」が満ちあふれています。そのような話にチョット引っかかると、気づかないうちに、私たちの心をサタンが支配してきます。その結果、神様を畏れない不敬虔な者となり、信仰を失い、不安やつぶやき、怒りや失望が増殖します。ご用心、ご用心。(KE)

実は、見えないもの、神様の言葉で出来たのです

3月6日

「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。」ヘブル11:3

私たちの生きている世界は、原因となるもの(現れているもの)から、見えるものが存在していると考えます。しかし、天地創造のわざがそうであったように、実は、見えないもの、神様の言葉で出来たのです。私たちの幸、不幸と言われる事態や状況も、人やなにかの原因によるのではなく、神様によって与えられ、備えられているのです。(KE)

どうぞ、自分が神様の側に立っていることを遠慮なく信じてください

3月5日

「そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。」ローマ5:11

今、神様と私たちの間にはなにも妨げるものがなくなりました。いつでも、どこででも、イエス様によって神様を呼び求め、近づくことができるのです。さらに、神様と共にいることを心から喜ぶ者となるのです。これはなんと幸いなことでしょうか。どうぞ、自分が神様の側に立っていることを遠慮なく信じてください。神様はあなたのためにどんなことでも答えてくださいます。(KE)

感謝して信じるなら、新しい命に生きる者と変るのです

3月4日

「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。」ローマ5:10

神様は私たちを愛するゆえに、敵対していた私たちのために御子を十字架の死に下し、和解の道を完成してくださいました。問題はあなたが和解を受けるかどうかにかかっています。イエス様の十字架を自分のものとして、感謝して信じるなら、新しい命に生きる者と変るのです。イエス様の甦りの命に生かされようではありませんか。(KE)

自分だけでなく、他者をも生かす力となります

3月3日

「だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。」使徒27:25

ローマへ護送されていく途中、難船の危機にあるとき、パウロは同船の者達を励ましました。助かる望みを失い、絶望していた人々を励まし、勇気を与える力こそ、パウロの信仰です。神様の御心を信じ、そこに自分をゆだねるとき、自分だけでなく、他者をも生かす力となります。神様に祈り、その思いを知り、固く信じようではありませんか。(KE)

神様の求めておられるのは、「主に帰れ」「神に帰れ」です

3月2日

「悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。」イザヤ55:7

人は不幸な出来事にあったり、悲しい事態に遭遇すると、なんとかその苦しみや悲しみの状況を変えて、逃れたいと右往左往します。しかし、神様の求めておられるのは、「主に帰れ」「神に帰れ」です。神様との関係、神様に対する自分の態度を点検して、悔い改めるべきは改め、捨てるべきは捨て、全てを整理して、まず神様に帰ることが平安を得る近道です。(KE)

始まりがあれば終わりがあります。その時を支配しているのは神様です

3月1日

「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4

人生の終わりが何時であるかわからないのは幸いなことです。前もって知っていたら、安閑としておられません。知らないがゆえに、のん気にかまえて、昨日の今日、今日の明日と、いつまでも続くように思っています。しかし、全て始まりがあれば終わりがあります。その時を支配しているのは神様です。終わりの時が近づいていることを自覚して今を生きるとき、あなたの生き方が変ります。(KE)

信じることは神様に信じさせていただく以外に方法はありません

2月28日

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。」エペソ2:8

人が救われるのは、人の努力や知恵・知識によるのではありません。聖書を何百回読もうと、暗記しようと、古今東西の学識に富んでいようと、救を得ることはできないのです。救は神様を信じることによるのであり、信じることは神様に信じさせていただく以外に方法はありません。ですから、今、あなたが救を確信できるなら、それは神様からの恵みであり、賜物です。(KE)

人の力やわざ、知恵によるのではなく、神様のなされることです

2月27日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

人は自分勝手に事の良し悪しを決めます。しかし、全てのことを起こし、導き、完結されるのは、人の力やわざ、知恵によるのではなく、神様のなされることです。それを認めるなら、どんなことも「益」でないものはありません。神様はそれによって私達に感謝させようとなさるのです。感謝こそが神様の栄光だからです。(KE)