すべてのものを造り生かし導かれるのは、あなたの「天の父」です

11月18日

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」マタイ6:26

神様への信頼度を問われる言葉ではないでしょうか。誰一人、自分の力で生まれでた者はいません。また、自分の力や努力、才覚で命を養っているわけでもありません。すべてのものを造り生かし導かれるのは、あなたの「天の父」です。お父さんの手に委ねましょう。あなたのすべてを。(KE)

私たちの祈り、願いを細やかに取次いでおられます

11月17日

「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」ヘブル4:16

イエス様は神様と人との仲立ちとなるため世に来て下さいました。それは高みから眺めるのではなく、私達と同じレベルに立って、同じ弱さ、苦しみ、悩みを共有するためです。ついに十字架に命を捨てて、父なる神様のもとに帰り、私たちの祈り、願いを細やかに取次いでおられます。主の憐みを求めてください。(KE)

父なる神様のみこころを行うために生きているのです

11月16日

「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」ヨハネ6:38

イエス様の生涯の目的をかたった一言です。それはまた、イエス様の救を受けたもの達の生き方でもあります。救われた人たちは天に国籍を移されたものであって、今、ここに生きているのは天から遣わされた者として、遣わした方、父なる神様のみこころを行うために生きているのです。キリストに倣うとは主とおなじ目的に生きることです。(KE)

信仰によってイエス様の救を信じる人々のことでもあります

11月15日

「おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。」ルカ3:8cd

神様はご自身でどんなことでもなしえる全能な方です。人の助けが必要な方ではありません。「アブラハムの子」とは神の民ですが、信仰によってイエス様の救を信じる人々のことでもあります。救は神様のわざであって、人の努力や働きによるものではありません。自分の救いについても、また家族や友人の救いについても、あなたがなしえることは神様の憐みと慈愛にすがって、執り成す以外にありません。(KE)

神様から出た霊はイエス・キリストを神の子と告白するものです

11月14日

「イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。」第一ヨハネ4:3ab

私たちは肉体的な存在と同時に、霊的な存在でもあります。そのために、いろんな霊が働きかけてきます。悪霊と言われるものもあり、人を不幸にしたり、心を呪縛して不自由にします。だから、すべての霊を信じてはならないと戒められています。正しい霊、神様から出た霊はイエス・キリストを神の子と告白するものです。あなたがイエス様を神の子と信じるのは、聖霊の働きによるのです。(KE)

神様の意思と目的があって存在しているのです

11月13日

「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります。」黙示4:11

神様は万物の創造者です。そのことはまた神様によって万物が存在していることを承認することです。しかも、「御旨によって」とあるように、神様の意思と目的があって存在しているのです。万物とは漠然とした言い方ですが、自分のことであり、あなたのことであり、今日一日のすべてが神様の御旨によるのです。(KE)

神様の求められることであると告白したのです

11月12日

「すると、イエスはペテロに言われた、『剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか』。」ヨハネ18:11

イエス様が捕らわれるとき、ペテロは剣で対抗しようとしました。しかし、主はそれを止めて言われたのがこの言葉です。酒席で杯を交わすとき、出された杯を受けなければ相手の面子をつぶすことになります。まさに父なる神様から出された杯、十字架を断るわけにはいきません。また、イエス様はこの事態が人の企みによるのではなく、神様の求められることであると告白したのです。(KE)

許され、生かされ、神様は実の収穫を待っておられます

11月11日

「すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから』。」ルカ13:8

ぶどう園の主人はその一角にいちじくの木を植えていましたが、実が実りません。そのためいちじくの木を切り倒してしまえと園丁に命じました。神様の目から見ると、私たちはこのいちじくです。滅ぼされるべきものがイエス様の執り成しと、十字架のゆえに許されているのです。今日もイエス様のゆえに許され、生かされ、神様は実の収穫を待っておられます。(KE)

物事には順序があります。それが狂うと、うまく行きません

11月10日

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」マタイ6:33

物事には順序があります。それが狂うと、そのあとにどんなことをしても、うまく行きません。日々の生活についても同様です。神様に対する姿勢を整えると、自ずから生活についてもすべてが整ってきます。目先のことに囚われて、肝心なことが後回しになるため、すべてがちぐはぐになってしまいます。まず第一にすべきことを第一にしようではありませんか。(KE)

大胆に「呼ばわります」と言い切れるのです

11月9日

「わたしの悩みの日にわたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられるからです。」詩篇86:7

“苦しいときの神頼み”などと言って、揶揄しますが、「苦しみ」「悩み」のとき、呼び求める相手がいるのはどんなに心強いことでしょうか。しかも、それを知ってくださるばかりか、答えてくださるのです。答えられると確信するゆえに、大胆に「呼ばわります」と言い切れるのです。神様に祈り求めるとき、私共も答えられることを堅く信じて呼び求めようではありませんか。(KE)