それでは愛を知ることも信じることもできません

10月19日

「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。」第一ヨハネ4:16

 神様の愛を「知り、かつ信じて」いると言えるならば、これほど心強いものはありません。ともすると、人は事情・境遇の良し悪しによって神様の愛を計ろうとしますが、それでは愛を知ることも信じることもできません。自分の罪の深さを知り、そのために奉げられたイエス様の命を受け止めるとき、神様の愛が注がれ、主と共に生きるものとなります。(KE)

自分を知ることが人生最大の事業ではないでしょうか

10月18日

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」黙示3:17

 ある哲学者は“汝自身を知れ”と説きました。まさに自分を知ることが人生最大の事業ではないでしょうか。自分のことは自分が知っていると言いますが、決してそうではありません。神様は日々の様々な出来事を通して、あなたが何ものであり、どのような人間であるかを悟らせてくださいます。真実な自画像を知るとき、神様の前に謙遜になれます。(KE)

今日、主はあなたを待っておられます

10月17日

「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。」イザヤ55:6

 人生は始まりから終わりまで、直線的に進みます。同じことの繰り返しも、やり直すことも出来ません。今、今日というときは二度と来ないと知りながら、無為に過ごしています。神様と出会うとき、イエス様の救いを体験するにも明日では遅いかもしれません。今日、あなたの生活のどこかで、台所で、買い物をしているスーパーで、主はあなたを待っておられます。(KE)

神様に立ち返って、神様だけを待ち望むことです

10月16日

「それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵みを施される。」イザヤ30:18a

 神様は私たちを恵み、祝福したいと願っておられます。なぜなら、神様は本質的に愛だからです。ただ、私たちがその恵みをいただくに相応しい手続きを取らないからです。神様が求めておられることは唯一つ、人間的な画策を止め、神様に立ち返って、神様だけを待ち望むことです。問題や悩みに遭うとき、うろたえて右往左往しますが、解決は得られません。その様子を見ておられる神様は、私たちがお手上げになってへりくだるのを待って、恵んでくださいます。(KE)

神様は彼らの様子をご覧になって災いを思いかえしたのです

10月15日

「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。」ヨナ3:10

  ニネベの人々の神様を離れた悪い道のゆえに、預言者ヨナは神様の裁きを伝えるために遣わされました。ニネベの人々は彼の警告を聞き、王様をはじめ全ての人々が悔改めました。神様は彼らの様子をご覧になって災いを思いかえしたのです。神様は実に豊かな赦しとあわれみに富む方です。私たちも絶えず神様の憐みにすがって、赦しを味わいましょう。(KE)

全ての始まり、中心は神様であるという宣言です

10月14日

「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27

 「主」とは中心、根源などの意味を含むことばです。いうならば、全ての始まり、中心は神様であるという宣言です。人は自分が人生の「主」だと思っていますが、そうではなく、神様があなたの人生の「主」であり、「神」であるというのです。しかも「できない事」がない方です。この神様があなたを生かし、持ち運び、人生を終わらせるのです。神様の大能のみ手の中で、限りない愛によって生かされている幸いを感謝しましょう。(KE)

過干渉したり、批判したり、裁いたりしますが、それは神様の主権を侵す事です

10月13日

「あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。」ローマ14:15bc

 十人十色と言われるように、人それぞれに自分の生き方、生活の進め方があります。しかし、とかく人は他者が自分と同じようでないことに苛立ちを覚えます。ことに日本の社会は他者と違うことを嫌います。その結果、過干渉になり、批判したり、裁いたりしますが、それは神様の主権を侵す事です。神様が一人一人を愛し、導いておられ、必要な事は神様が教えなさるから、あなたは自分の事だけで十分です。(KE)

それを失ったら、人としての値打ちが無くなるものです

10月12日

「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」エペソ4:29

 “人間の尊厳”という言葉を聞きますが、人が他の被造物と区別される固有の尊い徳性です。それを失ったら、人としての値打ちが無くなるものです。悪口雑言、他者を貶める言葉、誹謗中傷、悪意、ねたみ、嫉妬などによって、自分の尊厳を傷つけ、また相手の尊厳をも損ないます。老若男女を問わず、お互いに自らの徳を高めるように努めようではありませんか。(KE)

誰も知らないと油断するならばとんでもない事態にならんとも限りません

「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15

 「天網恢々疎にして漏らさず」と言われていますが、だれも見ていない、誰も知らないと油断するならば、とんでもない事態にならんとも限りません。それは神様を侮り、軽んずることだからです。大なるものから小なるものに至るまで、ことごとく知り尽くし、人の心の内外まで見ておられ、報われる神様を畏れることが人としての土台です。(KE)

私達は肉体で生きていますが、同時に霊的ないのちを生きています

10月10日

「肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。」コリント第一15:44

 まもなく死亡欠礼のハガキが届く季節になり、自らの終わりを思わされます。終わってからはどうなるのでしょうか。消えて無くなる説もありますが、肉体が分解して灰と水分や気体に変わるだけです。私達は肉体で生きていますが、同時に霊的ないのちを生きています。霊はそれを授けた神に帰ります。それがよみがえりです。そのとき、今の姿ではなく、新しい霊のからだに変えられます。(KE)