神様に頼れば幸いですが、人や肉なる者を頼ると不幸です

11月8日

「主はこう言われる、『おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる』。」エレミヤ17:5

「のろわれる」とは怖い話です。なんだか神様から脅されているように聞こえますが、そうではありません。神様の「のろい」「刑罰」はあなたの選択と決断によって、自らが引き寄せているものです。雨降りのなかに傘も差さずに出て行けば必ず濡れます。しかし、屋根の下に入れば濡れません。同様に、神様に頼れば幸いですが、人や肉なる者を頼ると不幸です。あなたはどちらを選びますか。(KE)

自分が消えて、他者を引き立て、全体の調和を作り出すもの

11月7日

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。」マタイ5:13a

塩は生活になくてはならない大切なものです。殊に、料理には欠かせない調味料です。必要ではありますが、塩が目立つと料理を損ないます。少なすぎても味を失います。隠れてはいるが、他の素材の持ち味を引き出し、料理全体を支えています。私たちもそのような存在として世に生かされているのです。自分が消えて、他者を引き立て、全体の調和を作り出すもの、それがあなたです。(KE)

 

神様の力である御霊によって生きるものとなるのです

11月6日

「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。」第一コリント3:16

イエス様が死からよみがえられたのは、私たちを新しい命に生きるものにするためです。今、イエス様を信じる時、命である主が私たちの内に入り、神様のみこころに従わせてくださいます。生まれながらの情欲に生きる自分ではなく、神様の力である御霊によって生きるものとなるのです。神様の霊、神様ご自身が私たちを住まいとして宿っているとは何という驚くべきことでしょうか。(KE)

思いを与え、願いを起こさせ、神様のみこころを教えてくれます

11月5日

「また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで『これは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く。」イザヤ30:21

神様は私たちに身近な存在で、日々の細かいことまで干渉なさいますが、それは私たちを正しい道に歩ませようとなさるからです。神様の霊、聖霊は私たちの心に語りかけ、思いを与え、願いを起こさせ、神様のみこころを教えてくれます。しかし、残念ながら、私たちはその声を打ち消し、無視し、わがまま勝手な生き方をしようとします。勇気を出して、主の声に従いましょう。(KE)

苦しみや悩みの中を通るとも、それは必ず終わる時がきます

11月4日

「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」詩篇30:5b

人生には必ず闇の中を通っているような希望のないときを過ごすことがあります。しかし、どんなに暗い闇夜でも朝がやってくると同様に、苦しみや悩みの中を通るとも、それは必ず終わる時がきます。それに思いを寄せるならば望みが湧いてきますが、ただ、その夜明けが何時であるか分りません。必要なのは忍耐です。救の光を照らしてくださる神様を待ち望むことが忍耐する力となります。(KE)

まず、主に問うことから始めようではありませんか

11月3日

「そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった。」ヨシュア9:14

カナンの地に定住し始めたとき、ギベオンの住民は神の民を恐れ、遠くに住む民を装ってヨシュアたちのところへ平和協定を結ぶためにきました。彼らの話を聞き、長旅を思わせる姿を見て、彼らと和平を約束しました。彼らはすぐ隣に住む民だったのです。神様の導きを求めず、見るところ、聞くことをもって事を定めた結果、彼らは災いの種になりました。まず、主に問うことから始めようではありませんか。(KE)

神様が「良し」とされるなら、ただ感謝して受ける以外にありません

11月2日

「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4

万物の創造者なる神様が間違ったり、作りそこなったり、役に立たないものを造ることはしません。人がどう思ったとしても、神様が「良し」とされるなら、それが全てです。私たちのなし得ることはただ感謝して受ける以外にありません。受け入れがたいこと、嫌だと思うことがあるなら、まず感謝してください。きっと思いがけない変化が起こってきます。(KE)

「父なる神様」に遠慮なく呼び求め、親しく交わろうではありませんか

11月1日

「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。」 ガラテヤ4:6

イエス様は神様の御子ですが、イエス様を信じる者たちも「神の子」としてくださるのです。だから、神様は私たちの「お父さん」でもあります。イエス様が世にありし日々、「父よ、父よ」と親しく交わりをもたれたように、私たちも「父なる神様」に遠慮なく呼び求め、親しく交わろうではありませんか。父はそれを喜んでくださいます。(KE)

しかし、終りがあることは確実ですから、慌てふためかないように

10月31日

「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」マタイ24:42

地震や火災など、災害に備えていろんな手だてを考えますが、肝心な終末のときの備えがされないのは片手落ちです。ただ、それがいつなのかわからないゆえに、放置しているだけです。しかし、終りがあることは確実ですから、慌てふためかないように、そのときに備えて常に心を整え、神様に喜ばれる一日一日を忍耐づよく生きようではありませんか。(KE)

そのためにはイエス様の手にゆだねなければなりません

10月30日

「イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群衆に配らせた。」ルカ9:16

パン五つと魚二匹で五千人以上の人々を満腹させたときのことです。一食分にしかならないものですが、これでは役立たないと言ってしまえば、それだけのことにすぎません。見える現実はそうであっても、イエス様の手に渡し、その祝福をうけるとき、想像をこえた事態が生じます。大切なのは、神様の祝福を受けることです。そのためにはイエス様の手にゆだねなければなりません。(KE)