3月4日
「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。」ローマ5:10
神様は私たちを愛するゆえに、敵対していた私たちのために御子を十字架の死に下し、和解の道を完成してくださいました。問題はあなたが和解を受けるかどうかにかかっています。イエス様の十字架を自分のものとして、感謝して信じるなら、新しい命に生きる者と変るのです。イエス様の甦りの命に生かされようではありませんか。(KE)
3月4日
「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。」ローマ5:10
神様は私たちを愛するゆえに、敵対していた私たちのために御子を十字架の死に下し、和解の道を完成してくださいました。問題はあなたが和解を受けるかどうかにかかっています。イエス様の十字架を自分のものとして、感謝して信じるなら、新しい命に生きる者と変るのです。イエス様の甦りの命に生かされようではありませんか。(KE)
3月3日
「だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。」使徒27:25
ローマへ護送されていく途中、難船の危機にあるとき、パウロは同船の者達を励ましました。助かる望みを失い、絶望していた人々を励まし、勇気を与える力こそ、パウロの信仰です。神様の御心を信じ、そこに自分をゆだねるとき、自分だけでなく、他者をも生かす力となります。神様に祈り、その思いを知り、固く信じようではありませんか。(KE)
3月2日
「悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。」イザヤ55:7
人は不幸な出来事にあったり、悲しい事態に遭遇すると、なんとかその苦しみや悲しみの状況を変えて、逃れたいと右往左往します。しかし、神様の求めておられるのは、「主に帰れ」「神に帰れ」です。神様との関係、神様に対する自分の態度を点検して、悔い改めるべきは改め、捨てるべきは捨て、全てを整理して、まず神様に帰ることが平安を得る近道です。(KE)
3月1日
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4
人生の終わりが何時であるかわからないのは幸いなことです。前もって知っていたら、安閑としておられません。知らないがゆえに、のん気にかまえて、昨日の今日、今日の明日と、いつまでも続くように思っています。しかし、全て始まりがあれば終わりがあります。その時を支配しているのは神様です。終わりの時が近づいていることを自覚して今を生きるとき、あなたの生き方が変ります。(KE)
2月28日
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。」エペソ2:8
人が救われるのは、人の努力や知恵・知識によるのではありません。聖書を何百回読もうと、暗記しようと、古今東西の学識に富んでいようと、救を得ることはできないのです。救は神様を信じることによるのであり、信じることは神様に信じさせていただく以外に方法はありません。ですから、今、あなたが救を確信できるなら、それは神様からの恵みであり、賜物です。(KE)
2月27日
「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15
人は自分勝手に事の良し悪しを決めます。しかし、全てのことを起こし、導き、完結されるのは、人の力やわざ、知恵によるのではなく、神様のなされることです。それを認めるなら、どんなことも「益」でないものはありません。神様はそれによって私達に感謝させようとなさるのです。感謝こそが神様の栄光だからです。(KE)
2月26日
「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。」イザヤ38:17a
ヒゼキヤ王は病気になって、死を宣告された時、涙を流して神様に祈りました。神様はその祈りに答えて、命を長らえさせてくださいました。その時の喜びを歌った一節です。彼は死を目前にするような大病の中から救われたことは幸いでしたが、何よりも彼にとって幸いなのは、神様は祈りに答え、憐みゆたかな方であると知ったことです。苦しみは嫌なことですが、それによって神様に触れる体験、これはなにものにも代える事が出来ません。(KE)
2月25日
「主はすべての物をおのおのその用のために造り、悪しき人をも災の日のために造られた。」箴言16:4
どんなものも造られた目的があります。私たちも同じです。それぞれに与えられた使命がありますが、それが何であるか、造物主である神様だけが知っておられます。それを知るには神様に聞かなければなりません。しかし、神様のご計画、み思いはあまりに大きく、複雑ですから、私たちの知恵や知識で測り知ることは到底できません。ただ、聖霊、神様の霊が教えてくださいますから、へりくだって神様に伺いましょう。(KE)
2月24日
「神よ、あなたはわたしの神、わたしは切にあなたをたずね求め、わが魂はあなたをかわき望む。」詩篇63:1a
この詩篇は表題にダビデの歌とあります。彼は先王サウロに命を狙われ、逃避行をしていました。恐らく、絶えず不安と恐れがあったことでしょう。彼にとって唯一の慰めは神様との交わりです。しかも、この神様は誰のものでもない、「わたしの神」なのです。この確信は彼を不動のものとします。私たちも誰にもはばかることなく「あなたはわたしの神」と告白し、堅く信頼しましょう。(KE)
2月23日
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。」詩篇139:23-24
自分のことは自分が知っていると豪語します。しかし、これほど身近な存在でありながら、自分のことがさっぱり分からない。それを知っておられるのは、創造者なる神様以外にありません。だから、自分の知識に頼らず、神様に教えていただく謙虚さを常に持とうではありませんか。(KE)