そのたびごとに、主のことばを味わって生きましょう

10月28日

「イエスは答えて言われた、『神を信じなさい』。」マルコ11:22

「神を信じなさい」と主は言われますが、これは短い言葉ながら奥深く、広がりのあるものです。たやすく「ハイ、分りました」と言えない勧告です。それゆえに、人生を賭け、生涯追い求めるべきテーマでもあります。人生の様々な局面、紆余曲折にあたる節々で、この言葉をかみしめ、その力と命を体験するほかありません。思わない事態や事件、状況に置かれるでしょう。そのたびごとに、主のことばを味わって生きましょう。(KE)

内側は自分の力ではどうにもなりません

10月27日

「ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。」ルカ11:41

最新流行のファッションで身を飾り、高価な化粧で美しくしても、その内なる心が、怒りや、妬み、思い煩いなどに満ちているなら、空しいことです。大切なのは中身です。外側はどんなにでも取り替えることができますが、内側は自分の力ではどうにもなりません。十字架にあらわされた神様の愛に満たされ、絶えずみことばの光に照らされて清くしていただきましょう。(KE)

この状態から逃れられないという閉塞感が苦しみを増大させます

10月26日

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13

試練にあうとき、自分だけが苦しんでいるという孤独感、この状態から逃れられないという閉塞感が苦しみを増大させます。しかし、神様はそのような酷い方ではありません。限りない愛を注いでいるとの約束を真実にまっとうしてくださる方です。神様のご愛を信じましょう。(KE)

神様の目には大切な存在であり、み手のなかで生かされているのです

10月25日

「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。」マタイ10:29

「アサリオン」は日本円で幾らになるか分りませんが、いずれにしてもとても安く、値打ちのないものと言われています。そのような「すずめ」でも、神様の目には大切な存在であり、み手のなかで生かされているのです。ましてや、私たちも神様のみ手に守られ、持ち運ばれ生かされているのだから、神様のみこころに委ねましょう。思い煩うことはいりません。(KE)

今日、あなたの王となっているのは誰でしょうか

10月24日

「しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ。」ルカ19:27

イエス様は私たちの王となるために来られました。しかし、主を受け入れる人はなく、十字架にかけたのです。神様はイエス様を墓からよみがえらせ、天に引き上げ、王となさいました。世の終わりのとき、この王の前で裁かれます。今日、あなたの王となっているのは誰でしょうか。「俺」、「私」という王様に仕えている限り滅ぼされます。真の王を迎え、崇め、その方に仕えようではありませんか。(KE)

いのちの言葉を握って、輝き、キリストへの道しるべとなるためです

10月23日

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」ピリピ2:15b

イエス様の救は例外なくすべての人々に与えられるものです。神様はすべての人が救われることを願って、まず私たちを先に救へ導いたのです。それは救を知らない人々の中で、私たちが「いのちの言葉」を握って、輝き、キリストへの道しるべとなるためです。東の国の博士達は一つの星に導かれて救い主イエス様に出会うことが出来ました。いのちの言葉によって輝く星となるとき、救い主に出会う人がおられます。(KE)

信仰の勇者ダビデの生涯に一貫した姿勢は「主に問う」ことです

10月22日

「ダビデは主に問うて言った、『ペリシテびとに向かって上るべきでしょうか。あなたは彼らをわたしの手に渡されるでしょうか』。」サムエル下5:19

信仰の勇者ダビデの生涯に一貫した姿勢は「主に問う」ことです。彼は波乱万丈、幾多の戦いや困難をとおりましたが、自分を神様の前に置くことを努めました。これは私たちの信仰生活を実り豊かにする秘訣です。王となってまだ日も浅い時、敵が大軍で攻めてきました。戦いに勝利して民の賞賛を受ける絶好の機会ですが、民よりもまず「主に問う」事を選びました。あなたはいかがですか。(KE)

家庭でも、国でも、持つべきは神様を恐れる指導者です

10月21日

「彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。」歴代下34:2

旧約聖書の王様たちのなかで、ユダのヨシヤ王は神様の前に真っ直ぐに生きた稀なる人物です。彼は信仰に立って、国中から汚れた行い、習慣などをとり除き、神様の律法にしたがい、みこころを行いました。指導者である王の姿勢は国の人々にも影響を与え、「ヨシヤが世にある日の間は、彼らは先祖の神、主に従って離れなかった」とあります。家庭でも、国でも、持つべきは神様を恐れる指導者です。(KE)

悲しみや苦しみはないほうがいいと願います

10月20日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

人生を生きるにあたって、悲しみや苦しみはないほうがいいと願います。しかし、生きる限りのがれることはできません。では、試練・悩みは何のためでしょうか。いろんな説明が出来るでしょうが、聖書が語っているのは、神様と出会い、神様を知り、信じて、神様と共に在る平安と喜び、望みと力を体験するためです。苦難は決してマイナスではなく、私たちを真の命に結びつける大いなる恵みです。(KE)

それは誰でもない自分自身の直接体験だからです

10月19日

「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25

生まれつき目が見えなかった人が、イエス様によって見えるようになりました。そのため大騒ぎになり、彼の家族にまで不利益が及ぶほどでした。しかし、彼には確信があったので決して動揺しません。それは誰でもない自分自身の直接体験だからです。信仰も同様に実体験によらなければ、何か事があるとすぐに消えてしまいます。(KE)