「主が見て」という視点で判断し、行動するなら

2月13日

「あなたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならい。」申命記6:18a

人はとかく自分が良いと思うこと、自分が正しいと思うことを基準にして生活します。その結果、人を裁き、批判し、判断が恣意的になり、支離滅裂になってしまいます。「主が見て」という視点で判断し、行動するなら、他者がどうであろうと気にならず、また、自分のすることに自身が持てます。「主が見て」などという曖昧な基準では得手勝手な行動になると思われがちですが、決してそうはなりません。神様の霊が導いてくださるからです。(KE)

良い悪いと決めるのは、人の勝手な区分けであって

2月12日

「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4

人が幸不幸というもの、良い悪いと決めるのは、人の勝手な区分けであって、そのもの自体の価値とは関係ありません。自分にとってどうであるかというにすぎないのです。神様が森羅万象を創造されたとき、「はなはだ良かった」と喜ばれました。有形無形、どんなものも、どんな状況や事態も神様の創造によるものです。それを感謝して受けるかどうか、あなたにかかっています。(KE)

人は本来孤独者というか単独者なのです

2月11日

「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:25-26

世にあっては、天涯孤独、頼るものなしという状態は悲惨なものです。しかし、人は本来孤独者というか単独者なのです。大家族に囲まれようとも、友人が多数居ても、それは変りません。ただ、神様を頼りとし、その方にしっかりつながるなら、孤独のようでそうではなく、単独であってそうではない強さを持つことが出来ます。(KE)

遠慮なく、躊躇せず、大胆に信頼して、大きな声で主を呼んでください

2月10日

「シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。」イザヤ30:19

なんと慰みに満ちた言葉ではないでしょうか。神様は十字架を立てて、隔ての壁を取り除いてくださいました。「泣くことはない」と。泣き声を聞かれた主は、私たちが主に呼ばわるのを待っておられます。しかも、答えようと約束しておられます。遠慮なく、躊躇せず、大胆に信頼して、大きな声で主を呼んでください。(KE)

こんな深い愛をもって、あなたを顧みていてくださるのです

2月9日

「だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい。」ピリピ4:1

このような情愛深い呼びかけを受ける者はだれでしょうか。実は、神様のあなたに対する呼びかけにほかなりません。自分に向けられたものと思うと、なんだか恥ずかしい気がしますが、このうえなく嬉しいではありませんか。こんな深い愛をもって、あなたを顧みていてくださるのです。今日も、見えるものに振り回されず、「主にあって」堅く立ち歩もうではありませんか。(KE)

「愛する」とは、その人の「いましめ」を守ることです

2月8日

「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。」ヨハネ14:15

「愛する」とはどうすることでしょうか。おんぶに抱っこ、なでたりさすったりして、可愛がることでしょうか。みことばによれば、「愛する」とは、その人の「いましめ」を守ることです。広い意味で、その人の語ることばを信頼し、従うことです。目に見えない方であるイエス様を愛するなど、どうやればいいのか当惑しますが、実に単純明快なことです。ただ、聖書を通して語られる主のことばを守り行うとき、主を愛しているのです。(KE)

御子イエス様のゆえに、父なる神様から破格の恵みをいただいています

2月7日

「彼は拝して言った、『あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか』。」サムエル下9:8

ダビデが王位についたとき、かつての親友ヨナタンの家族を捜したところ、足の不自由なメピボセテだけが生存していました。王は彼を王宮に住まわせ、王の食卓で食事をさせたのです。それはヨナタンに対するダビデの愛情から出た行為でした。私たちも御子イエス様のゆえに、父なる神様から破格の恵みをいただいています。メピボセテのように謙遜になって神様に感謝しましょう。(KE)

病気が長引き、治らないのは、そのことに神様の深い御思いがあるからです

2月6日

「わたしは主であって、あなたをいやすものである。」 出エジプト15:26b

人は病気を恐れ、そのためはやく健康になろうと、医者や薬に頼ります。確かにそれによって症状は軽くなり、快癒します。そのため、人の力と知恵で病気を支配し、不老長寿を得ることができると思い違いをしています。医者の知恵や薬効は神様の与え給う賜物であって、神様の許しがあればこそ効力を発揮し、治癒するのです。病気が長引き、治らないのは、そのことに神様の深い御思いがあるからです。神様の憐みを求め祈ってくだい。(KE)

なぜなら、神様は義に従って裁き、報われるからです。

2月5日

「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」ローマ12:21

イエス様は十字架の死と復活によって、ご自分の生き様を手本としてそれに倣うようにと、私たちに生き方を教えてくれました。その一つはこの言葉です。主は罪無き方でしたが、罪人、しかも極悪非道な犯罪者として極刑を受けましたが、決して弁解、言い訳、抗弁、罵詈雑言など、一言も口にせず、されるままに黙々と従いました。しかし、勝利者はイエス様でした。なぜなら、神様は義に従って裁き、報われるからです。(KE)

真実なところ、主を信じて救われても、悩みはなくなりません

2月4日

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33bc

イエス様を信じたら、悩みや苦しみが無くなるかと問われます。世間では、信仰すれば楽になると期待されているので、なんと答えようか迷いますが、真実なところ、主を信じて救われても、悩みはなくなりません。時には信仰ゆえに、困難や苦しみが増します。ただ、イエス様は死からよみがえって、私たちと共に生きて、悩み苦しみに戦って、勝利させてくださいます。この喜びこそ、救です。(KE)