9月28日
「主よ、あなたはわたしを知り、わたしを見、わたしの心があなたに対していかにあるかを試みられます。」エレミヤ12:3a
私たちは神様に造られたものですが、神様は操り人形のように造ったのではありません。自由意志を与え、自らの選択と決断によって神様を敬い尊ぶことを願っています。ですから、神様は私たちの心がどこを向いているか、絶えずチェックしておられます。愛する人は相手がどこを見ているか気になるのと同じです。それほどに、神様はあなたを愛しているのです。(KE)
9月28日
「主よ、あなたはわたしを知り、わたしを見、わたしの心があなたに対していかにあるかを試みられます。」エレミヤ12:3a
私たちは神様に造られたものですが、神様は操り人形のように造ったのではありません。自由意志を与え、自らの選択と決断によって神様を敬い尊ぶことを願っています。ですから、神様は私たちの心がどこを向いているか、絶えずチェックしておられます。愛する人は相手がどこを見ているか気になるのと同じです。それほどに、神様はあなたを愛しているのです。(KE)
9月27日
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」マタイ4:1
イエス様はヨハネによって洗礼を受けられたのち、荒野にあってサタンの試みにあいました。それは父なる神様のご計画によるものです。救われたら苦しみや悩みがなくなると期待しますが、そうではありません。この世にある限りそのような悩みから逃れられませんが、ただ、苦しみや悩みの意味が違ってきます。むしろ試練といわれることを通して、神様の祝福と恵みをうけることができるからです。イエス様も同じ体験をしました。(KE)
9月26日
「神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。」第一テサロニケ4:7
神様の救は全ての人々に開かれたものですが、実際に救われる人は僅かです。その数少ない中に、私たちが招かれたとは不思議というほかありません。しかし、それにははっきりとした目的があります。私たちを清めて、神様の性質に似るものにしてくださるためです。それによって神様の栄光があらわされます。この選び召された恵みを無駄にすることなく、神様の御心にかなうように造りかえられましょう。(KE)
9月25日
「あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。」 第一ペテロ1:23
イエス様の救とは生まれながらの生き方を捨てて、神様によって生きる者となることです。それは人間的な努力や修行、鍛錬などで得られるものではなく、ただ神様の言葉である聖書を信じるだけです。聖書の言葉は世間一般の言葉ではなく、そのなかに命が宿った種のようなものです。素直に信じ、心に受け入れるとき、あなたの心に命が働き始めます。(KE)
9月24日
「あなたがたは、主キリストに仕えているのである。」コロサイ3:24b
イエス様を信じて、その救を受けた私たちは何ものにも支配されない自由を与えられていますが、それはキリストに仕えることによって得られるのです。イエス様を主と崇めて、み声に従うとき、自由な生き方が全うされます。自分の思いのまま、心のおもむくままに生きるのが自由ではありません。そこは様々な力に引き回される奴隷の生涯と言うほかありません。この世にありますが、あなたの主はキリストであることを忘れないで下さい。(KE)
9月23日
「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14
信仰生活には終わりがありません。この世の生活が終わり、天に召されて主のみ前に立つときまでつづきます。過去にどれほど信仰熱心であっても、途中で投げ捨てるならまったく意味がなくなります。過去の実績を評価してもらうわけにはいかないのです。貴重なものを失うことがあっても、信仰を持ち続ける方が大いなる利得です。それには大きな測り知れない報いが伴っているからです。(KE)
9月22日
「神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。」ローマ9:24
「あわれみの器」とはなんと光栄なことでしょうか。神様からの憐みを受ける者として選び、召されたのです。自分の思うところ、考えることと違っていようと、主の憐みのゆえに今日も生かされています。しかも、異邦人であった私たちを選んでくださったのです。この恵みを感謝して、主の期待に応えたいものです。(KE)
9月21日
「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。」創世記39:3
ヨセフは兄弟から妬まれ、売られてエジプトへくだり、侍衛長ポテパルに買われました。彼は神様を畏れ、置かれたところで忠実に勤めを果たした結果、神様からの祝福を受けたのです。それは彼が主に仕えることに徹底したからです。人のため、世のためであれば、その結果、人の歓心をかい、気に入られようとして行動が不安定になります。揺るがない、真っ直ぐな生きかたを選びましょう。(KE)
9月20日
「イエスは彼らに言われた、『よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない』。」ヨハネ6:53
イエス様の「肉を食べ、血を飲む」とはただ事ではありません。そんな馬鹿げたことと思われますが、実際に肉を食べ、血を飲むわけではなく、比喩です。食べたり飲んだりしたものは、その人の中に取り込まれて、栄養となり、エネルギーとなります。そのようにイエス様が内に宿って、あなたの言葉や行動の原動力になっていただくことです。(KE)
9月19日
「そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。」ルカ5:11
ゲネサレ湖畔でイエス様は「人間をとる漁師」になるようにとペテロやヨハネ、ヤコブに声をかけました。そのとき、彼らは即座にその招きに応じてイエス様に従いました。彼らにとって舟は生活の基盤でしたが、それを陸に揚げ、その代わりにイエス様を人生の土台に据えたのです。何を生きる土台にするかによってあなたの人生が変ります。この時から、イエス様に従って未知の旅路に踏み出しました。(KE)