11月10日
「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」ヤコブ4:14
自分のことはなんでも自分で決定できるかのように錯覚しています。実際は何ひとつ確実なものはありません。創造者なる神様のみ手に支配されているからです。明日が、来年がどんな日になるのか、皆目分りませんが、神様は明確な目的と計画で私たちを導いておられます。主がなさるわざを信じてゆだねようではありませんか。(KE)
11月10日
「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」ヤコブ4:14
自分のことはなんでも自分で決定できるかのように錯覚しています。実際は何ひとつ確実なものはありません。創造者なる神様のみ手に支配されているからです。明日が、来年がどんな日になるのか、皆目分りませんが、神様は明確な目的と計画で私たちを導いておられます。主がなさるわざを信じてゆだねようではありませんか。(KE)
11月9日
「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」第二ペテロ3:9
始まりがあれば、必ず終わりもあります。この宇宙も、世界も、やがて滅び失せるときがきますが、それがいつであるかわかりません。ただ神様の思いはすべての人々が救われることを願って、その時を忍耐して待っておられるのです。主のみ思いを無駄にしないで、主のご期待に応えようではありませんか。(KE)
11月8日
「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。」ヘブル12:14
「きよい」とはどんなことでしょうか。簡単に言えば、混じりけがない、純粋であることです。それを人のこころに当てはめてみると、言葉と行動、思いと言葉がちぐはぐで、雑多な感情や情念にかき乱されているとき、「きよい」と言えません。試練と言われる困難や苦しみ、悩みを通るとき、不純物、汚れたものが心の内外から削り取られます。試練を逃げないで、自分を磨きましょう。(KE)
11月7日
「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13bc
創世のはじめより、これほど人を愛し、慈しみ、顧みてくださる神様がどこにおられるでしょうか。神様は祟ったり、罰をあたえるだけの過酷で無情な方ではけっしてありません。むしろ、私たちが神様のもとに立ち返ることを切に待っておられます。それは神様を離れているかぎり、幸いがないことを知っておられるからです。また、神様のもとこそ、いのちがあふれているのです。(KE)
11月6日
「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27
聖書は一貫してすべてが神様によって造られたものであることを語り続けています。そこには人の知恵や力、計画やわざなど、微塵も入る余地はありません。神様のなさることが人の目には粗雑にして、大ざっぱで隙間だらけに見えますが、神様のなさりようは緻密にして精巧、無駄も、失敗も、過剰なことも、何一つありません。自分で思い煩うことをやめ、神様のみ手にすっぽりと命まで預けましょう。楽になりますよ。(KE)
11月5日
「見よ、しもべがその主人の手に目をそそぎ、はしためがその主婦の手に目をそそぐように、われらはわれらの神、主に目をそそいで、われらをあわれまれるのを待ちます。」 詩篇123:2
神様と私たちの関係は創造者と被造物との関係でありますが、同時に主人と僕でもあります。僕である私たちはもっぱら主人の憐れみを待つほかありません。主人の恵みを受ける値打ちも資格もない者ですが、今日も、しもべとなりきって、主の憐れみをいただくものとなりましょう。(KE)
11月4日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14
目に見える行動もさることながら、言葉ほどその人の品格を表すものはありません。それはどのように作られるのでしょうか。家柄や育ちではなく、その人が誰を、何を前にして生きているかによるのです。見えない神様のまなざしを自覚しているならば、激情にかられたり、高慢な思いにとらわれることは決してありません。言葉を聞いておられるのみならず、心をも知りたもう神様を常に覚えてください。(KE)
11月3日
「ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。」ルカ11:41
最新流行のファッションで身を飾り、高価な化粧で美しくしても、その内なる心が怒りや、妬み、思い煩いなどに満ちているなら、空しいことです。大切なのは中身です。外側はどんなにでも取り替えることができますが、内側は自分の力ではどうにもなりません。十字架にあらわされた神様の愛に満たされ、絶えずみことばの光に照らされて、自らを清めようではありませんか。(KE)
11月2日
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13
試練にあるとき、自分だけが苦しんでいるという孤独感と、この状態から逃れられないという閉塞感が試練を増大させます。しかし、神様はそのような酷い方ではありません。限りない愛を注いでいるとの約束を真実にまっとうしてくださる方です。神様のご愛を信じましょう。(KE)
11月1日
「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。」 マタイ10:29
「一アサリオン」は日本円で幾らになるか分りませんが、いずれにしてもとても安く、値打ちのないものと言われています。そのような「すずめ」でも、神様の目には大切な存在であり、み手のなかで生かされているのです。ましてや、私たちも神様のみ手に守られ、持ち運ばれ生かされているのだから、神様のみこころに委ねましょう。思い煩うことはいりません。(KE)