神様からの恵みと祝福がなければ生きることが出来ません

9月8日

「しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。」ヤコブ4:6

神様は私たちを愛するゆえに恵み、祝福したいと願っておられます。ところが、それを受ける側の準備がないのです。恵みの法則はみ言葉のように「へりくだる者」に与えられます。神様からの恵みと祝福がなければ生きることが出来ません。恥も外聞も、名誉も誇りもかなぐり捨てて、なりふりかまわず、へりくだって求めましょう。(KE)

そのときまで、どんなことがあっても生きる責任があります

9月7日

「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と。」詩篇90:3

例外なくすべての人は死を迎えます。これほど確かなことはありません。しかし、それがいつであるか分らないのです。健康だから、若いから、死なないとは言えません。それを決めるのは神様だけです。人は病気や怪我や事故で死ぬのではなく、神様が召されるからです。そのときまで、どんなことがあっても生きる責任があります。また、生かされている使命を果たさなければなりません。だから日々、命を大切にして。(KE)

必ず、逃れる道も備えておられます。

9月6日

「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13c

私たちのことを一番良く知っているのは神様です。短所も長所も、裏も表も、なにもかも知り尽くして、試練によって新しく造り替えてくださるのです。試練は道具のようなものですから、本体が壊れては目的を果たせません。必ず、逃れる道も備えておられます。神様の深い愛によるお取り扱いを信じましょう。(KE)

イエス様は常に私たちの側にたつ弁護人です

9月5日

「キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」ローマ8:34b

イエス様は神様と私たちの仲立ちとなって執り成してくださっています。私たちは弱くて、罪多い者ですから、いつ神様の怒りを受けるか分りません。しかしイエス様は常に私たちの側にたつ弁護人です。これほど心強い味方はいません。しかも、主は私たちを決して見捨てず、また父なる神様はイエス様のとりなしを拒むことはありませんから、遠慮なく、神様に心を打ち明けましょう。(KE)

たとえ自分の願いと違っても、主のみわざであると信じ続けましょう

9月4日

「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24

神様のなさるわざは人の知恵や知識では到底知りえません。特別な事象だけではなく、私たちの日々の生活諸般にわたる一切のことです。人は自分が考え、計画して事がなっているように錯覚しますが、私たちを含めて地は神様の造られたものばかりです。たとえ自分の願いと違っても、主のみわざであると信じ続けましょう。(KE)

自分がどのような中から救い出されて今があるのか

9月3日

「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ。」イザヤ51:1

「切り出された岩」「掘り出された穴」とは自分の原点、出発点のことです。自分がどのような中から救い出されて今があるのか、そこをしっかり確認することが「今」を感謝して生きる土台です。そこが曖昧になると、「今の時」を感謝し喜ぶことが出来ません。世間でも「初心忘るべからず」といわれますが、つねに原点に立ち返って今の恵みを感謝しましょう。(KE)

 

 

主の御前に謙遜になり、憐みを求めるなら、そこがパラダイスです

9月2日

「イエスは言われた、『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』。」ルカ23:43

イエス様が十字架にかけられたとき、両脇に犯罪人も一緒でした。その一人は主をののしり、他の一人は主の前に謙りました。罪を悔いて謙遜になった犯罪人にイエス様が語ったのがこの言葉です。どのような境遇におかれても、主の御前に謙遜になり、憐みを求めるなら、そこがパラダイスです。たとえ十字架にかけられながらも、主と共にあることがどんなものにも勝った恵みです。(KE)

全てを主に打ち明けることは大いなる祝福です

9月1日

「その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。」マルコ5:33

十二年間病苦に悩まされた女の人がイエス様の衣に触ったとき全く癒されました。彼女は密かに喜び隠れていましたが、身に起ったことを隠すことができず、イエス様に全てを告白しました。神様の恵みを受け、信仰を確かなものにするために全てを主に打ち明けることは大いなる祝福です。恥ずかしくても主に申し上げるとき、平安と確信が与えられます。主はすべてを受け入れてくださるからです。(KE)

神様に信頼するのも同じです。自分を頼んでも何もできないのですから

8月31日

「いっその事、われわれはスリヤびとの陣営へ逃げて行こう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるならば、助かるが、たといわれわれを殺しても死ぬばかりだ。」列王下7:4cd

サマリヤの町がスリヤ軍に包囲され餓死寸前になりました。物乞いをしていた四人はどっちみち死ぬのならと敵陣へ憐みを求めたのです。まさに一か八かの大勝負です。神様に信頼するのも同じです。自分を頼んでも何もできないのですから、命を賭して神様に任せてみようではありませんか。死んだ者となって。(KE)

状態が良くなるにつれて心が高ぶり、自分の力を誇るようになります

8月30日

「また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。」申命記8:13-14a

人の最も弱い点は「たかぶり」やすいことです。困難や悩みがあると謙遜になりますが、状態が良くなるにつれて心が高ぶり、自分の力を誇るようになります。その時が大変危険なときです。救のめぐみも同様です。これから実りの季節を迎えます。稲穂の如く恵まれれば恵まれるほど、ますます心を低くして、主に感謝しましょう。(KE)