1月13日
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」第一コリント12:27
イエス様を信じて生きる私たちは、頭なるキリストにつらなる肢体です。人の体は無数の器官によって構成され、一つの意思によって統一されています。そのように、私たちはばらばらのようですが、主であるキリストの霊に導かれ、操られて秩序だった有機体となっています。私たちはその全体を見ることが出来ません。しかし、主のからだの一つとして不可欠な存在であることを覚えておきましょう。(KE)
1月13日
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」第一コリント12:27
イエス様を信じて生きる私たちは、頭なるキリストにつらなる肢体です。人の体は無数の器官によって構成され、一つの意思によって統一されています。そのように、私たちはばらばらのようですが、主であるキリストの霊に導かれ、操られて秩序だった有機体となっています。私たちはその全体を見ることが出来ません。しかし、主のからだの一つとして不可欠な存在であることを覚えておきましょう。(KE)
1月12日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
神様は実に愛と憐みに満ちた方です。天上におられる方に下々なる私たちのことが分かるわけが無いと思いがちです。しかし、神様は人となり、私たちの只中に降ってこられ、悲しみ、病、憤り、絶望など、人の受ける試練の全てを苦しまれたのです。誰にも分かってもらえないと思っているあなたの思いをすべて知ってくださいます。そればかりか、そこから助けることが出来ます。主を求めてください。(KE)
1月11日
「わたしは神、あなたの神である。」詩篇50:7c
”神様を信じなさい”としばしば言われます。また、自分は信じているつもりですが、神様の存在はあなたにとってどのくらいの大きさでしょうか。神様に対して、借りたもののようによそよそしく、密接な交わりが欠けていませんか。肌身離さず持ち歩く愛用品のように、”あなたはわたしの神です”と大胆に信頼してほしい。そのように神様は願っています。遠慮がちに、時折思い出したような付き合い方ではなく、神様なしでは一日も過ごせない関係になってください。(KE)
1月10日
「わたしが床の上であなたを思いだし、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。」詩篇63:5-6
いろいろな悩みに会って夜も眠れず、悶々として時を過ごすことがあります。そのような時、あなたは何を考えていますか。ダビデは神様のことを思い巡らして、眠れぬ夜を過ごしています。そのとき、彼は最高の料理でもてなされる喜びを味わったのです。きっと眠れぬ夜が楽しくなります。(KE)
1月9日
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」黙示3:20
「交わり」のもっとも親密な形は「食事を共にする」ことではないでしょうか。食事をしているとき喧嘩も争いもできません。神様は私たちと平和で密接な交わりを求めておられます。そのために愛する独り子を世につかわされたのです。 主と共にあることこそ、人が幸いになる唯一の道です。日々の出来事を通して、語りかけてくださる主のみ声を聞き、心を開いて主と共なる恵みを体験してください。(KE)
1月8日
「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。」Ⅱコリント11:28
信仰の勇者であるパウロも決して悩むことの無い超人ではありません。つぎつぎと押し寄せる困難にあって、不安、心配、迷い、失望などをたえず味わっています。信仰によって悩みがなくなるのではなく、むしろより一層悩むことが多くなりますが、それゆえにこそ、神様に対する信頼が深まり、強くなるのです。聖書に語られている信仰の勇者たちはそのような苦しみの数々を通っています。(KE)
1月7日
「イエスは彼に言われた、『たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい』。」ヨハネ21:22
私たちは独りでいることをどんなに恐れることでしょう。他者が何をしているか、自分のことをどう思うかなど、あまりに人を気にしすぎる。主が求めておられるのは“みんな”と言う曖昧なものではなく、あなた一人なのです。他者はどうでもいいのです。「私」が主に従うとき、真の「私」になるのです。(KE)
1月6日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」ローマ4:17b
アブラハムの信仰について語った言葉ですが、これこそ信仰の醍醐味ではないでしょうか。出来ないことのない神様。この方によって、全てのものが(それが悪であても、善であっても)存在している。この方によらないものは何一つないのです。あなたがどんなに思い煩おうと、神様を越えることはできません。今日も、神様の支配のもとに全てが生き動き、存在しているのです。(KE)
1月5日
「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。」マタイ12:50
人とのつながりにはいろいろな接点があります。親兄弟のように血を分けた家族としての関係、会社に勤めて上司と部下という仕事上の関係、商売上の利害関係など様々ですが、イエス様と私たちとの関係は父なる神様のみこころを行う者たちとしての関係です。みこころを行う点で、イエス様の仲間になることができるし、他の人々との新しい家族としての関係が成り立つのです。(KE)
1月4日
「イエスは彼らに言われた、『なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか』。」マルコ4:40
イエス様と弟子たちはガリラヤ湖を舟で渡っていました。激しい突風がおこって、舟が沈みそうになりました。イエス様は悠然と眠っていましたが、弟子たちは恐れてうろたえました。主は「こわがる」ことと「信仰」が相容れないことを指摘しています。恐れは神様から引き離すサタンの力です。恐れの極みである死に勝利された主は、今日も私達に問われます。「なぜ、こわがるのか、信仰がないのか」と。(KE)