イエス様は私たちの身代わりの子羊です

8月19日

「彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。」レビ1:4

神様に犠牲を奉げるとき、手順が決められていました。自分の身をささげる代償として牛や羊の完全なものが選ばれ、殺されました。その際にささげる人は生贄の動物の頭に手を置きました。その動物が自分と同一であることを告白する行為です。そうすることによって、その人が神様に受け入れられたのです。イエス様は私たちの身代わりの子羊です。この方と一体となり、主のあがないを体験してください。(KE)

イエス様は私たちに与えなさい、空にしなさいと勧めます

8月18日

「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。」ルカ6:38

人は握ったものは手放さないように、持っているものは減らさないようにしようと保守的になります。それでは信仰に立つことができません。イエス様は私たちに与えなさい、空にしなさいと勧めます。そうすれば満たされ、溢れるようになるからです。神様は必ず報いてくださいます。(KE)

なにゆえに神様に顧みられて今があるのでしょうか

8月17日

「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4

なにゆえに神様に顧みられて今があるのでしょうか。神様から見れば、私たちは取り柄のない無価値なものです。この詩の表題に「ダビデの歌」とありますが、名もない羊飼いとして生まれたダビデが一国の王になるという事態は不思議としかいうことが出来ません。家柄も才能も学歴や身分によらず、ただ一方的な神様の選びと召しによったのです。彼の生涯を貫く神様への謙遜を私たちも持ち続けましょう。(KE)

神様の赦しとご愛を受け入れ、あなたの全てをゆだねることです。

8月20日

「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」ヨブ22:21

私たちは意識して神様と仲違いをしているとは思いません。しかし、造り主を忘れ、自分を神の如く唯我独尊としていること自体が神様への反抗です。それを罪と言います。その結果、自分の思い、計画に沿わないと怒ったり、失望したり、不安や心配が募るのです。そうであるかぎり、幸福にはなれません。まず、神様に立ち返って、罪を悔改め、主の十字架に示された神様の赦しとご愛を受け入れ、あなたの全てをゆだねることです。(KE)

神様と人との位置関係をはっきりさせることです

8月15日

「しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。」創世記4:5

聖書を通して一貫していることの一つは、創造者と被造物、神様と人との位置関係をはっきりさせることです。「分を弁える」と言いますが、まさに神様に対して人としての分を守ることです。カインは明らかにこの一線を越えました。神様は絶対者であり、人は一言半句たりとも文句を言えるものではありません。ヨブも、マリヤも、そのことを身にしみて知ることになりました。あなたはいかがですか。(KE)

様々な試練を通して私たちの思いを知ろうとなさるのです

8月14日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

神様が人を見る視点は顔かたちや、はでなパフォーマンスではなく、心深くに隠れた動機を探られます。また、様々な試練を通して私たちの思いを知ろうとなさるのです。ある意味で怖い話ですが、神様に真実に従い、赤裸々に自分をさらけ出しているなら、なにも恐れることはいりません。神様は私たちを知り尽くしてそれぞれに応えてくださるのです。(KE)

私たちの心を励まし強めて下さるのは神様です

8月13日

「あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。」第二テサロニケ2:17

私たちの心を励まし強めて下さるのは神様です。自分でどんなに堅い決心をしても、成し遂げることができません。私たちは弱くて誘惑に負けやすいのです。それだけに、神様に助けていただかねば「良いわざ」「正しい言葉」を達成できません。今日の一日も、神様の御心に適って過ごせるように、主の助けを求めようではありませんか。(KE)

神様ほどの力あるかたは他にいないからです

8月12日

「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」エレミヤ33:3

人は家族や友人、有力者や実力者などと言われる人たちに求めたり頼ったりしますが、神様は「わたしに呼び求めよ」と言われます。なぜなら、神様ほどの力あるかたは他にいないからです。万物を創造し、狂いなく運行させ、全ての中心である神様が、呼び求める者に「答える」ばかりか、それよりもっと大いなることを見せてくださるのです。神様の愛にあふれる招きに応じましょう。(KE)

み言葉には命と力があります

8月11日

「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」詩篇119:105

私たちの信仰は聖書を神様の言葉と信じることによるものです。それ以外に信仰の土台となるものはありません。また、み言葉によって、混沌とした時代にあって進むべき正しい道を選ぶのです。そうでなければ漆黒の闇の中を無事に過ごすことはできません。神様の言葉は真実で、必ず語られたように具体化してきます。み言葉を信じてその時を待ち望むのが信仰であり、その信仰には報いが、結果が伴います。み言葉には命と力があります。(KE)

生きるために死ぬ。これが福音の鉄則です

8月10日

「いつもイエスの死をこの身に負うている。」第二コリント4:10a

私たちはイエス様の死を自分の死として受けて、死んだ者であると認めます。死んだ者になりきってしまうと、神様はイエス様をよみがえらせた力で、私たちも生きるものとしてくださいます。生きるために死ぬ。これが福音の鉄則です。主の死に合体しようとしないために、信仰が中途半端になるのです。死んだ者は何を言われ、何をされても、全く頓着しません。そのとき、神様は新しい命、よみがえりの命によって、私たちを生かしてくださいます。自分に死にきって生きようではありませんか。(KE)