1月17日
「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」第一コリント8:2
人は“知らない”ことに抵抗があるようで、誰よりもはやく知ろうとします。また、自分は知っていることを誇ります。しかし、どんなに博学秀才であろうと、所詮人の知識は限られたものです。ましてや神様のことを全く知りません。自分が知らないことを認めて、神様を知りたいと願うことが大切です。知っていると思うと、そこで成長が止まります。(KE)
1月17日
「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」第一コリント8:2
人は“知らない”ことに抵抗があるようで、誰よりもはやく知ろうとします。また、自分は知っていることを誇ります。しかし、どんなに博学秀才であろうと、所詮人の知識は限られたものです。ましてや神様のことを全く知りません。自分が知らないことを認めて、神様を知りたいと願うことが大切です。知っていると思うと、そこで成長が止まります。(KE)
1月16日
「主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。」ルカ12:47
主人と僕の譬えをとおして、イエス様は神様と私たちの関係を語っておられます。私たちの主人はだれでしょうか。勿論、神様です。私たちは神様に仕える僕にすぎません。僕は常に主人の心、意図を汲んで仕えます。そのように、私たちも神様のこころに従って、言われなくても準備して、従うことが期待されています。主の期待に応えて、みこころにかなうよきしもべとなりましょう。(KE)
1月15日
「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。」詩篇51:17
神様が私達に求められるものは犠牲的なわざや奉げものではありません。神様が喜ばれるそなえものは私たちの砕けた悔いた心です。へりくだった謙遜な心にならなければ、神様を求めることも、寄り頼むこともしないからです。悩みに会い、失敗して苦しむ時、人は神様にすがらざるを得なくなります。それはとても幸いな恵みです。神様は寄り頼む者を喜んでくださるばかりか、助けてくださいます。(KE)
1月14日
「主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。」エレミヤ23:24
神様の特質として「遍在」ということを言います。あまねくいたるところに存在するという意味です。まるで私たちが包まれている空気のような存在です。そのなかに取り込まれているといえます。だから「神無き世界」はありえません。もはや神様から逃げ隠れできないのです。ですから、神様と共に生きようではありませんか。(KE)
1月13日
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」第一コリント12:27
イエス様を信じて生きる私たちは、頭なるキリストにつらなる肢体です。人の体は無数の器官によって構成され、一つの意思によって統一されています。そのように、私たちはばらばらのようですが、主であるキリストの霊に導かれ、操られて秩序だった有機体となっています。私たちはその全体を見ることが出来ません。しかし、主のからだの一つとして不可欠な存在であることを覚えておきましょう。(KE)
1月12日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
神様は実に愛と憐みに満ちた方です。天上におられる方に下々なる私たちのことが分かるわけが無いと思いがちです。しかし、神様は人となり、私たちの只中に降ってこられ、悲しみ、病、憤り、絶望など、人の受ける試練の全てを苦しまれたのです。誰にも分かってもらえないと思っているあなたの思いをすべて知ってくださいます。そればかりか、そこから助けることが出来ます。主を求めてください。(KE)
1月11日
「わたしは神、あなたの神である。」詩篇50:7c
”神様を信じなさい”としばしば言われます。また、自分は信じているつもりですが、神様の存在はあなたにとってどのくらいの大きさでしょうか。神様に対して、借りたもののようによそよそしく、密接な交わりが欠けていませんか。肌身離さず持ち歩く愛用品のように、”あなたはわたしの神です”と大胆に信頼してほしい。そのように神様は願っています。遠慮がちに、時折思い出したような付き合い方ではなく、神様なしでは一日も過ごせない関係になってください。(KE)
1月10日
「わたしが床の上であなたを思いだし、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。」詩篇63:5-6
いろいろな悩みに会って夜も眠れず、悶々として時を過ごすことがあります。そのような時、あなたは何を考えていますか。ダビデは神様のことを思い巡らして、眠れぬ夜を過ごしています。そのとき、彼は最高の料理でもてなされる喜びを味わったのです。きっと眠れぬ夜が楽しくなります。(KE)
1月9日
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」黙示3:20
「交わり」のもっとも親密な形は「食事を共にする」ことではないでしょうか。食事をしているとき喧嘩も争いもできません。神様は私たちと平和で密接な交わりを求めておられます。そのために愛する独り子を世につかわされたのです。 主と共にあることこそ、人が幸いになる唯一の道です。日々の出来事を通して、語りかけてくださる主のみ声を聞き、心を開いて主と共なる恵みを体験してください。(KE)
1月8日
「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。」Ⅱコリント11:28
信仰の勇者であるパウロも決して悩むことの無い超人ではありません。つぎつぎと押し寄せる困難にあって、不安、心配、迷い、失望などをたえず味わっています。信仰によって悩みがなくなるのではなく、むしろより一層悩むことが多くなりますが、それゆえにこそ、神様に対する信頼が深まり、強くなるのです。聖書に語られている信仰の勇者たちはそのような苦しみの数々を通っています。(KE)