神様のみわざですと信じて受け止める時、主のみ手が見えてきます

11月23日

「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24

私たちの見る世界は悪や暴虐に満ちて、とても神様の造られたものとは思えません。しかし、みことばには神様が造られたもので地は満ちているとあります。私たちの目にどのように見えようとも、神様のみわざですと信じて受け止める時、主のみ手が見えてきます。現実の様々な事象を信じるのか、みことばに立って神様を信じるのか、常に迫られています。(KE)

み旨に従うことですから、この世で生きるには多くの障害があります

11月22日

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」マタイ7:13

「狭い門」とは「永遠の命」への入り口です。人は生来困難を避け、楽な道を選ぼうとします。また、この世にあっては世に倣い、流されて生きるなら、困難はありません。しかし、その道は滅びです。「永遠の命」の生涯は、イエス様と同様に、神様のみ旨に従うことですから、当然、この世で生きるには多くの障害があります。それゆえ狭い門であり、細い道ですが、恐れず、命を目当てに進んでください。(KE)

御心をかなった生涯をまっとうするようにと願っておられるのです

11月21日

「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」第二ペテロ3:9b

神様の御心はすべての人が救われることです。決して、滅ぼしたり、罰を与えたいと思っているのではありません。終末の時を先延ばしにしてでも、あなたが悔改めて神様に立ち返り、自分の思いのまま、感情のおもむくままに生きるのではなく、御心をかなった生涯をまっとうするようにと願っておられるのです。そのために生かされている今日があるのです。(KE)

神様をおそれ、その言葉を守ることに因ります

11月20日

「すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」伝道12:13b

「本分」とは、それがなければ本来の価値がなくなるものです。よく言われるのは「学生の本分」などですが、果たすべき務めを意味します。人が人としてまっとうできるのは、神様をおそれ、その言葉を守ることに因ります。その意味で、私たちの住む社会は人が人として生きていないといえます。これが人間のすることだろうか、と思われる事件や事象が増えているのは当然です。本分に目覚めることが何よりも求められます。(KE)

自分や人を喜ばせる者とは違った生き方になるのは当然です

11月19日

「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」エペソ5:10

今、だれを喜ばせようと思っているか。それによって人の行動がかわってきます。まず、自分を喜ばせようとするのか、親や兄弟など、家族を喜ばせようとするのか、人それぞれでしょうが、神様に喜ばれることを熱心に求める人は、神様からの報いを受けるでしょう。また、そのような人は自分や人を喜ばせる者とは違った生き方になるのは当然です。神様が喜んでくださることを一つでも多くしたいものです。(KE)

すべてのものを造り生かし導かれるのは、あなたの「天の父」です

11月18日

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」マタイ6:26

神様への信頼度を問われる言葉ではないでしょうか。誰一人、自分の力で生まれでた者はいません。また、自分の力や努力、才覚で命を養っているわけでもありません。すべてのものを造り生かし導かれるのは、あなたの「天の父」です。お父さんの手に委ねましょう。あなたのすべてを。(KE)

私たちの祈り、願いを細やかに取次いでおられます

11月17日

「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」ヘブル4:16

イエス様は神様と人との仲立ちとなるため世に来て下さいました。それは高みから眺めるのではなく、私達と同じレベルに立って、同じ弱さ、苦しみ、悩みを共有するためです。ついに十字架に命を捨てて、父なる神様のもとに帰り、私たちの祈り、願いを細やかに取次いでおられます。主の憐みを求めてください。(KE)

父なる神様のみこころを行うために生きているのです

11月16日

「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」ヨハネ6:38

イエス様の生涯の目的をかたった一言です。それはまた、イエス様の救を受けたもの達の生き方でもあります。救われた人たちは天に国籍を移されたものであって、今、ここに生きているのは天から遣わされた者として、遣わした方、父なる神様のみこころを行うために生きているのです。キリストに倣うとは主とおなじ目的に生きることです。(KE)

信仰によってイエス様の救を信じる人々のことでもあります

11月15日

「おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。」ルカ3:8cd

神様はご自身でどんなことでもなしえる全能な方です。人の助けが必要な方ではありません。「アブラハムの子」とは神の民ですが、信仰によってイエス様の救を信じる人々のことでもあります。救は神様のわざであって、人の努力や働きによるものではありません。自分の救いについても、また家族や友人の救いについても、あなたがなしえることは神様の憐みと慈愛にすがって、執り成す以外にありません。(KE)

神様から出た霊はイエス・キリストを神の子と告白するものです

11月14日

「イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。」第一ヨハネ4:3ab

私たちは肉体的な存在と同時に、霊的な存在でもあります。そのために、いろんな霊が働きかけてきます。悪霊と言われるものもあり、人を不幸にしたり、心を呪縛して不自由にします。だから、すべての霊を信じてはならないと戒められています。正しい霊、神様から出た霊はイエス・キリストを神の子と告白するものです。あなたがイエス様を神の子と信じるのは、聖霊の働きによるのです。(KE)