人は本来孤独者というか単独者なのです

2月11日

「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:25-26

世にあっては、天涯孤独、頼るものなしという状態は悲惨なものです。しかし、人は本来孤独者というか単独者なのです。大家族に囲まれようとも、友人が多数居ても、それは変りません。ただ、神様を頼りとし、その方にしっかりつながるなら、孤独のようでそうではなく、単独であってそうではない強さを持つことが出来ます。(KE)

遠慮なく、躊躇せず、大胆に信頼して、大きな声で主を呼んでください

2月10日

「シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。」イザヤ30:19

なんと慰みに満ちた言葉ではないでしょうか。神様は十字架を立てて、隔ての壁を取り除いてくださいました。「泣くことはない」と。泣き声を聞かれた主は、私たちが主に呼ばわるのを待っておられます。しかも、答えようと約束しておられます。遠慮なく、躊躇せず、大胆に信頼して、大きな声で主を呼んでください。(KE)

こんな深い愛をもって、あなたを顧みていてくださるのです

2月9日

「だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい。」ピリピ4:1

このような情愛深い呼びかけを受ける者はだれでしょうか。実は、神様のあなたに対する呼びかけにほかなりません。自分に向けられたものと思うと、なんだか恥ずかしい気がしますが、このうえなく嬉しいではありませんか。こんな深い愛をもって、あなたを顧みていてくださるのです。今日も、見えるものに振り回されず、「主にあって」堅く立ち歩もうではありませんか。(KE)

「愛する」とは、その人の「いましめ」を守ることです

2月8日

「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。」ヨハネ14:15

「愛する」とはどうすることでしょうか。おんぶに抱っこ、なでたりさすったりして、可愛がることでしょうか。みことばによれば、「愛する」とは、その人の「いましめ」を守ることです。広い意味で、その人の語ることばを信頼し、従うことです。目に見えない方であるイエス様を愛するなど、どうやればいいのか当惑しますが、実に単純明快なことです。ただ、聖書を通して語られる主のことばを守り行うとき、主を愛しているのです。(KE)

御子イエス様のゆえに、父なる神様から破格の恵みをいただいています

2月7日

「彼は拝して言った、『あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか』。」サムエル下9:8

ダビデが王位についたとき、かつての親友ヨナタンの家族を捜したところ、足の不自由なメピボセテだけが生存していました。王は彼を王宮に住まわせ、王の食卓で食事をさせたのです。それはヨナタンに対するダビデの愛情から出た行為でした。私たちも御子イエス様のゆえに、父なる神様から破格の恵みをいただいています。メピボセテのように謙遜になって神様に感謝しましょう。(KE)

病気が長引き、治らないのは、そのことに神様の深い御思いがあるからです

2月6日

「わたしは主であって、あなたをいやすものである。」 出エジプト15:26b

人は病気を恐れ、そのためはやく健康になろうと、医者や薬に頼ります。確かにそれによって症状は軽くなり、快癒します。そのため、人の力と知恵で病気を支配し、不老長寿を得ることができると思い違いをしています。医者の知恵や薬効は神様の与え給う賜物であって、神様の許しがあればこそ効力を発揮し、治癒するのです。病気が長引き、治らないのは、そのことに神様の深い御思いがあるからです。神様の憐みを求め祈ってくだい。(KE)

なぜなら、神様は義に従って裁き、報われるからです。

2月5日

「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」ローマ12:21

イエス様は十字架の死と復活によって、ご自分の生き様を手本としてそれに倣うようにと、私たちに生き方を教えてくれました。その一つはこの言葉です。主は罪無き方でしたが、罪人、しかも極悪非道な犯罪者として極刑を受けましたが、決して弁解、言い訳、抗弁、罵詈雑言など、一言も口にせず、されるままに黙々と従いました。しかし、勝利者はイエス様でした。なぜなら、神様は義に従って裁き、報われるからです。(KE)

真実なところ、主を信じて救われても、悩みはなくなりません

2月4日

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33bc

イエス様を信じたら、悩みや苦しみが無くなるかと問われます。世間では、信仰すれば楽になると期待されているので、なんと答えようか迷いますが、真実なところ、主を信じて救われても、悩みはなくなりません。時には信仰ゆえに、困難や苦しみが増します。ただ、イエス様は死からよみがえって、私たちと共に生きて、悩み苦しみに戦って、勝利させてくださいます。この喜びこそ、救です。(KE)

主の生涯を現すキーワードは「従順」です

2月3日

「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」ピリピ2:8

これはイエス様の生涯を語った一言です。主の生涯を現すキーワードは「従順」です。では、誰に対して「従順」なのでしょうか。それは父なる神様に対してです。神の位にあった御子が人となること自体、とてつもないことであり、人の世にあっても、自分の思いのままではなく、神様の御旨に徹底して従われました。十字架の死をも父のみこころと信じたのです。これは救いを受けた私たちの生き方でもあります。(KE)

人や事柄を信じるのではなく、神様に、主に「賭ける」のです。

2月2日

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ヨハネ14:1

イエス様が最後の晩餐の席で語られた最初の言葉です。これから心を騒がせる事態が始まろうとしていました。そのなかで平安を得る秘訣はただ「神を信じ」またイエス様を信じることです。人や事柄を信じるのではなく、神様に、主に「賭ける」のです。私たちも思いがけない出来事や、願わない事態に周章狼狽し、心を騒がせます。主は今日も「神を信じ、またわたしを信じなさい」と、あなたに語っています。(KE)