神様の意思と目的があって存在しているのです

11月13日

「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります。」黙示4:11

神様は万物の創造者です。そのことはまた神様によって万物が存在していることを承認することです。しかも、「御旨によって」とあるように、神様の意思と目的があって存在しているのです。万物とは漠然とした言い方ですが、自分のことであり、あなたのことであり、今日一日のすべてが神様の御旨によるのです。(KE)

神様の求められることであると告白したのです

11月12日

「すると、イエスはペテロに言われた、『剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか』。」ヨハネ18:11

イエス様が捕らわれるとき、ペテロは剣で対抗しようとしました。しかし、主はそれを止めて言われたのがこの言葉です。酒席で杯を交わすとき、出された杯を受けなければ相手の面子をつぶすことになります。まさに父なる神様から出された杯、十字架を断るわけにはいきません。また、イエス様はこの事態が人の企みによるのではなく、神様の求められることであると告白したのです。(KE)

許され、生かされ、神様は実の収穫を待っておられます

11月11日

「すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから』。」ルカ13:8

ぶどう園の主人はその一角にいちじくの木を植えていましたが、実が実りません。そのためいちじくの木を切り倒してしまえと園丁に命じました。神様の目から見ると、私たちはこのいちじくです。滅ぼされるべきものがイエス様の執り成しと、十字架のゆえに許されているのです。今日もイエス様のゆえに許され、生かされ、神様は実の収穫を待っておられます。(KE)

物事には順序があります。それが狂うと、うまく行きません

11月10日

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」マタイ6:33

物事には順序があります。それが狂うと、そのあとにどんなことをしても、うまく行きません。日々の生活についても同様です。神様に対する姿勢を整えると、自ずから生活についてもすべてが整ってきます。目先のことに囚われて、肝心なことが後回しになるため、すべてがちぐはぐになってしまいます。まず第一にすべきことを第一にしようではありませんか。(KE)

大胆に「呼ばわります」と言い切れるのです

11月9日

「わたしの悩みの日にわたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられるからです。」詩篇86:7

“苦しいときの神頼み”などと言って、揶揄しますが、「苦しみ」「悩み」のとき、呼び求める相手がいるのはどんなに心強いことでしょうか。しかも、それを知ってくださるばかりか、答えてくださるのです。答えられると確信するゆえに、大胆に「呼ばわります」と言い切れるのです。神様に祈り求めるとき、私共も答えられることを堅く信じて呼び求めようではありませんか。(KE)

神様に頼れば幸いですが、人や肉なる者を頼ると不幸です

11月8日

「主はこう言われる、『おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる』。」エレミヤ17:5

「のろわれる」とは怖い話です。なんだか神様から脅されているように聞こえますが、そうではありません。神様の「のろい」「刑罰」はあなたの選択と決断によって、自らが引き寄せているものです。雨降りのなかに傘も差さずに出て行けば必ず濡れます。しかし、屋根の下に入れば濡れません。同様に、神様に頼れば幸いですが、人や肉なる者を頼ると不幸です。あなたはどちらを選びますか。(KE)

自分が消えて、他者を引き立て、全体の調和を作り出すもの

11月7日

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。」マタイ5:13a

塩は生活になくてはならない大切なものです。殊に、料理には欠かせない調味料です。必要ではありますが、塩が目立つと料理を損ないます。少なすぎても味を失います。隠れてはいるが、他の素材の持ち味を引き出し、料理全体を支えています。私たちもそのような存在として世に生かされているのです。自分が消えて、他者を引き立て、全体の調和を作り出すもの、それがあなたです。(KE)

 

神様の力である御霊によって生きるものとなるのです

11月6日

「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。」第一コリント3:16

イエス様が死からよみがえられたのは、私たちを新しい命に生きるものにするためです。今、イエス様を信じる時、命である主が私たちの内に入り、神様のみこころに従わせてくださいます。生まれながらの情欲に生きる自分ではなく、神様の力である御霊によって生きるものとなるのです。神様の霊、神様ご自身が私たちを住まいとして宿っているとは何という驚くべきことでしょうか。(KE)

思いを与え、願いを起こさせ、神様のみこころを教えてくれます

11月5日

「また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで『これは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く。」イザヤ30:21

神様は私たちに身近な存在で、日々の細かいことまで干渉なさいますが、それは私たちを正しい道に歩ませようとなさるからです。神様の霊、聖霊は私たちの心に語りかけ、思いを与え、願いを起こさせ、神様のみこころを教えてくれます。しかし、残念ながら、私たちはその声を打ち消し、無視し、わがまま勝手な生き方をしようとします。勇気を出して、主の声に従いましょう。(KE)

苦しみや悩みの中を通るとも、それは必ず終わる時がきます

11月4日

「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」詩篇30:5b

人生には必ず闇の中を通っているような希望のないときを過ごすことがあります。しかし、どんなに暗い闇夜でも朝がやってくると同様に、苦しみや悩みの中を通るとも、それは必ず終わる時がきます。それに思いを寄せるならば望みが湧いてきますが、ただ、その夜明けが何時であるか分りません。必要なのは忍耐です。救の光を照らしてくださる神様を待ち望むことが忍耐する力となります。(KE)