どれをとっても神様によらないものはありません。

5月20日

「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」詩篇103:1-2

神様をほめたたえ、感謝することは私たちの力であり、喜びです。命も健康も、日々の生活も仕事も家族も、どれをとっても神様によらないものはありません。しかし、人は自分勝手に事の良し悪しを決めて、神様を忘れ、感謝なく、不平不満、つぶやき憤りに心奪われて過ごしています。小さなことから大きな事まで、神様のめぐみばかりです。「主よ、感謝します」と叫んでください。(KE)

思い悩む時、無力を感じる時、当惑する時、失望することはいりません。

5月19日

「神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。」ダニエル2:21

神様は万物を力ある腕で支配し、生殺与奪の権をもつ全能者です。神様にできないことはありません。私たちもこの方のみ手によって生かされているのです。必要に応じて、神様は自在に事を備え、持ち運び、結末を決められます。思い悩む時、無力を感じる時、当惑する時、失望することはいりません。神様は間髪を入れず救ってくださいます。神様のわざを待ち望みましょう。(KE)

まず神様に対する姿勢を整えること、これが求められていることです

5月18日

「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ』。」イザヤ40:3

「荒野」、「さばく」などは、人の住まない地、慰めも潤いも喜びも無い地です。時に、そのような索漠とした事態や状況におかれます。そこには絶望しかないでしょう。しかし、そのような中で、まず神様に対する姿勢を整えること、これが求められていることです。今、荒野やさばくのような中にあるなら、絶望して投げ出す前に、神様をどのように信頼し、どこに置いているか、点検しようではありませんか。(KE)

人生を考えると、その大半は苦しみの中で過ごしているように思われます。

5月17日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

苦しみに遭うのは不幸だとか、人生を無駄にしたと嘆きます。だから、だれでも苦しみに遭いたくないと願っています。しかし、人生を考えると、その大半は苦しみの中で過ごしているように思われます。それは神様が備えたことであり、苦しみを通してしか味わえないもの、得られないものがあるからです。このみことばのように、神様のこころを知ることが出来ればどんなに幸いでしょうか。(KE)

戦いの場は自分のうちに働くサタンの力との戦いです。

5月16日

「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」第一テモテ6:12a

信仰生活には困難や苦しみは無いと思われがちですが、むしろ逆です。信仰のゆえに戦いや困難があります。また、その戦いを勝利しなければ信仰の結果なる永遠のいのちに至る救を得ることができません。ただし、戦いの場は事情や境遇など外的環境ではなく、自分のうちに働くサタンの力との戦いです。信仰に立とうとすると、同時に神様から引き離そうとする力が働くのです。この戦いは生涯続きます。今日も永遠のいのちを目指してサタンに勝利してください。(KE)

その始まりは神様への憤りです。

5月15日

「十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」エペソ2:16

十字架は平和と和解をもたらす源です。人の心には「敵意」という積乱雲が常にわきあがってきます。その始まりは神様への憤りです。受けいれられない現実、納得できない事態や状況など、人は常に不平不満の塊になります。そのような神様との対立を解きほぐして、神様の御心に添い、それを喜ぶ者へと変えるのは十字架による以外にありません。(KE)

神様は真実な方ですから、救を全うされます。

5月14日

「主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。」第一コリント1:8

自分の力で救を達成しようとしても、これは不可能です。力も知恵も無い、弱い私たちはただ神様の哀れみにすがるほかありません。神様は真実な方ですから、救を全うされます。途中で投げ出したり、いい加減にしません。だから心強いのです。神様は日夜休むことなく、私たちを清め、造り替え、主の標準にまで引き上げてくださいます。み手のわざを信じて委ねましょう。(KE)

私たちを「神の子」にすることが神様の救です

5月13日

「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。」ローマ8:14

人はすべて神のかたちに象られて造られたものだから、本来神の子であったのです。だから、私たちを「神の子」にすることが神様の救です。神の子の資格は「御霊に導かれる」ことだけです。その模範となったのがイエス様です。イエス様は私たちの長兄となり、どのように生きることが「神の子」であるかを実践してくださいました。主は徹底して自分を捨てて、父なる神様の御心に従われました。そのように、私たちも御霊の声に全く従うとき、神の子となります。(KE)

準備したものはなにひとつ役に立たないことが多々あります。

5月12日

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。」詩篇46:1

人はいざという時のため、いろいろな手立てを考え、準備します。しかし、実際に事が起ると、準備したものはなにひとつ役に立たないことが多々あります。それは人が心を忘れて、物質的な方策に頼るからです。軍備、医療、経済、人脈など、周到に用意しても、それを用いる人の心が動揺し、くじけてしまうなら、それらは無用の長物です。まず大切なのは何があっても揺るがない、不動の心を得ることです。そのためには神様を信頼するほかありません。(KE)

自分が踏み出すとき、あなたは平和を創る者となります。

5月11日

悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」ローマ12:21

国家間の争いにしろ、個人同士の争いにしろ、非難の応酬がエスカレートした結果です。相手の非をあげつらう限り、平和は得られません。向けられた非難中傷悪意に対して、どんなに小さくても、「善」をもって応えるとき、事態は大きく変ります。その一歩を相手に求めるのではなく、自分が踏み出すとき、あなたは平和を創る者となります。まず、身近な家族、友人のなかに、平和を創ってみませんか。神様はそれを喜び、報いてくださいます。(KE)