あなたの主はキリストであることを忘れないで下さい

9月24日

「あなたがたは、主キリストに仕えているのである。」コロサイ3:24b

イエス様を信じて、その救を受けた私たちは何ものにも支配されない自由を与えられていますが、それはキリストに仕えることによって得られるのです。イエス様を主と崇めて、み声に従うとき、自由な生き方が全うされます。自分の思いのまま、心のおもむくままに生きるのが自由ではありません。そこは様々な力に引き回される奴隷の生涯と言うほかありません。この世にありますが、あなたの主はキリストであることを忘れないで下さい。(KE)

貴重なものを失うことがあっても、信仰を持ち続ける方が大いなる利得です

9月23日

「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14

信仰生活には終わりがありません。この世の生活が終わり、天に召されて主のみ前に立つときまでつづきます。過去にどれほど信仰熱心であっても、途中で投げ捨てるならまったく意味がなくなります。過去の実績を評価してもらうわけにはいかないのです。貴重なものを失うことがあっても、信仰を持ち続ける方が大いなる利得です。それには大きな測り知れない報いが伴っているからです。(KE)

神様からの憐みを受ける者として選び、召されたのです

9月22日

「神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。」ローマ9:24

「あわれみの器」とはなんと光栄なことでしょうか。神様からの憐みを受ける者として選び、召されたのです。自分の思うところ、考えることと違っていようと、主の憐みのゆえに今日も生かされています。しかも、異邦人であった私たちを選んでくださったのです。この恵みを感謝して、主の期待に応えたいものです。(KE)

それは彼が主に仕えることに徹底したからです

9月21日

「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。」創世記39:3

ヨセフは兄弟から妬まれ、売られてエジプトへくだり、侍衛長ポテパルに買われました。彼は神様を畏れ、置かれたところで忠実に勤めを果たした結果、神様からの祝福を受けたのです。それは彼が主に仕えることに徹底したからです。人のため、世のためであれば、その結果、人の歓心をかい、気に入られようとして行動が不安定になります。揺るがない、真っ直ぐな生きかたを選びましょう。(KE)

イエス様が内に宿って、あなたの言葉や行動の原動力になっていただくことです

9月20日

「イエスは彼らに言われた、『よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない』。」ヨハネ6:53

イエス様の「肉を食べ、血を飲む」とはただ事ではありません。そんな馬鹿げたことと思われますが、実際に肉を食べ、血を飲むわけではなく、比喩です。食べたり飲んだりしたものは、その人の中に取り込まれて、栄養となり、エネルギーとなります。そのようにイエス様が内に宿って、あなたの言葉や行動の原動力になっていただくことです。(KE)

何を生きる土台にするかによってあなたの人生が変ります

9月19日

「そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。」ルカ5:11

ゲネサレ湖畔でイエス様は「人間をとる漁師」になるようにとペテロやヨハネ、ヤコブに声をかけました。そのとき、彼らは即座にその招きに応じてイエス様に従いました。彼らにとって舟は生活の基盤でしたが、それを陸に揚げ、その代わりにイエス様を人生の土台に据えたのです。何を生きる土台にするかによってあなたの人生が変ります。この時から、イエス様に従って未知の旅路に踏み出しました。(KE)

逆境のときに神様に頼るなら、それも幸いなことです

9月18日

「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。」ホセア6:1

世間では“苦しいときの神頼み”と言いますが、ご都合主義を揶揄している言葉でしょう。しかし、真の神様はむしろそれすらも喜んでくださるのです。順境のときは勿論ですが、逆境のときに神様に頼るなら、それも幸いなことです。神様は私たちがどうであれ、主に帰るなら、無条件で迎えてくださいます。そればかりか、苦しみからも救ってくださいます。(KE)

枝が木から離れたら、枯れて死んでしまい実を結ぶことはありません

9月17日

「枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」ヨハネ15:4c

今は収穫の秋を迎えました。いろんな果実が実を結びますが一年に一度のことです。そのために木々は風雨、風雪に負けず、日照の中も耐え忍んで結実の時を待ちます。枝が木から離れたら、枯れて死んでしまい実を結ぶことはありません。私たちもイエス様にしっかりつながって、どんな中でも耐え忍び、農夫なる神様に喜ばれる実を結びましょう。(KE)

元へ戻すのに一苦労です。「罪の惑わし」だと言われています

9月16日

「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブル3:13

人の心ほど掴み所のないものはありません。また扱いにくいものです。心がねじれたり、かたくなったりすると、元へ戻すのに一苦労です。「罪の惑わし」だと言われています。心が罪に惑わされないように守らねばなりませんが、自分の力ではどうにもなりません。惑わされやすいものであることを自覚して、神様の力に寄りすがり、素直な柔らかい心を持ち続けましょう。(KE)

神様の義が貫かれるときが必ず来ます

9月15日

「悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。」エレミヤ12:1c

義人が苦しみにあい、悪人が栄える世の不条理を嘆くのは昔からのようです。確かに、この世は不公正や不公平がはびこって、その報いを受けないかのように見えます。しかし、それはこの世に限ってのことであって、人の魂は過去現在未来にわたって存在し続けるものですから、神様の義が貫かれるときが必ず来ます。悪人や不真実な者がさかえようと、それに惑わされず、しっかり見えないものに目をとめて生きてください。(KE)