9月14日
「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。」伝道8:12
日本は長寿社会となって人口に占める高齢者の割合が年々高くなってきました。その背景に“長生きは善”という考えがあるようです。しかし、人の人生は長さによって評価されるのではなく、生き方によります。勿論、評価なさる方(神様)がおられることを知らねばなりません。常に神様が喜んでくださる生きかたを求めつつ日々を過ごしましょう。(KE)
9月14日
「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。」伝道8:12
日本は長寿社会となって人口に占める高齢者の割合が年々高くなってきました。その背景に“長生きは善”という考えがあるようです。しかし、人の人生は長さによって評価されるのではなく、生き方によります。勿論、評価なさる方(神様)がおられることを知らねばなりません。常に神様が喜んでくださる生きかたを求めつつ日々を過ごしましょう。(KE)
9月13日
「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15
人の目だけを気にする生き方は不幸です。神様を認めず畏れないから、人の目だけが全てとなります。人の目はいくらでも誤魔化せますが、神様の目を欺くことはできません。すべてを見ておられます。また、神様は善悪ともに裁かれる方でもあります。ですから、神様の目を気にすることのほうが賢明です。主の眼差しを感じていますか。(KE)
9月12日
「ヨタムはその神、主の前にその行いを堅くしたので力ある者となった。」歴代下27:6
ヨタムはユダの王でした。彼の治世は16年でしたが、その間、神様の前に自らの行いを正しくし、揺るぐことなく貫いたのです。外部に現れる行為はその人の内にあるものから生まれます。ヨタムは神様への真実な思いを持ち続けたのでしょう。その結果、力をいただいたのです。人は力を得て強くなり人生に勝利しようとしますが、問題はその力をどこから得るかです。学力、財力、体力などと違って、神様からの力こそ真の力です。(KE)
9月11日
「あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。」詩篇18:25-26
神様は私たちの姿を映す鏡のような方です。私たちの信仰の有りようによって、ご自身を表してくださるからです。神様の力を信じて寄り頼むなら、そのように答えてくださるでしょうし、この程度だというなら、そのようになさいます。あなたはどのような方と信じますか。(KE)
9月10日
「キリストは彼のためにも、死なれたのである。」ローマ14:15c
イエス様の十字架のあがないは例外なく全ての人々のためです。それは主がすべての人を大切なものとしておられるからです。主の死によって生かされていると信じるなら、当然自分以外の人々もその恵みを頂いていると信ずべきです。そうなると、人の事をあれこれあげつらうのはイエス様のみこころに添わないことです。キリストの死に連なる者であると知るなら、何も言えなくなります。そればかりか、ある種の連帯感が生まれます。(KE)
9月9日
「ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。」ルツ2:3
モアブ人のルツは夫を失いましたが、姑ナオミについてベツレヘムに戻ってきました。落ち穂をひろいながら「はからずも」舅エリメレクの縁者の畑に導かれました。この背後に神様のご計画があったのです。思いがけない、予期しないことに狼狽して不安になり思い煩いますが、そのときこそ神様の隠されたわざが進行しているのです。ルツはキリストの系図に名を残すことになります。(KE)
9月8日
「しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。」ヤコブ4:6
神様は私たちを愛するゆえに恵み、祝福したいと願っておられます。ところが、それを受ける側の準備がないのです。恵みの法則はみ言葉のように「へりくだる者」に与えられます。神様からの恵みと祝福がなければ生きることが出来ません。恥も外聞も、名誉も誇りもかなぐり捨てて、なりふりかまわず、へりくだって求めましょう。(KE)
9月7日
「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と。」詩篇90:3
例外なくすべての人は死を迎えます。これほど確かなことはありません。しかし、それがいつであるか分らないのです。健康だから、若いから、死なないとは言えません。それを決めるのは神様だけです。人は病気や怪我や事故で死ぬのではなく、神様が召されるからです。そのときまで、どんなことがあっても生きる責任があります。また、生かされている使命を果たさなければなりません。だから日々、命を大切にして。(KE)
9月6日
「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13c
私たちのことを一番良く知っているのは神様です。短所も長所も、裏も表も、なにもかも知り尽くして、試練によって新しく造り替えてくださるのです。試練は道具のようなものですから、本体が壊れては目的を果たせません。必ず、逃れる道も備えておられます。神様の深い愛によるお取り扱いを信じましょう。(KE)
9月5日
「キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」ローマ8:34b
イエス様は神様と私たちの仲立ちとなって執り成してくださっています。私たちは弱くて、罪多い者ですから、いつ神様の怒りを受けるか分りません。しかしイエス様は常に私たちの側にたつ弁護人です。これほど心強い味方はいません。しかも、主は私たちを決して見捨てず、また父なる神様はイエス様のとりなしを拒むことはありませんから、遠慮なく、神様に心を打ち明けましょう。(KE)