あなたが燃える柴となってください

6月26日

「モーセは言った、『行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう』。」出エジプト3:3

モーセは羊の群れを飼っていたとき、神の山ホレブで柴が燃えているのを見ました。すぐに燃え尽きるはずのものが、なかなか消えないので、不思議に思って近づいたのです。それによって彼の人生が大転回します。私たちも神様の霊に満たされ、どんななかでも喜び、讃美、感謝していれば、多くの人がその秘密を知りたいと近づいてきます。それによって主に出会い、人生が変るのです。あなたが燃える柴となってください。(KE)

私たちは神様のなさるわざに憤ることがなんと多いことでしょうか

6月25日

「カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。」創世記4:8b

人類最初の殺人事件です。下手人はカインであることがはっきりしています。ただその動機は不可解です。彼の言い分は神様がアベルの供え物を顧みられたからです。だからといって、アベルは殺されるほどの悪行をカインにしたのでしょうか。いいえ、なにもしていません。真の動機は神様の取り扱いに憤った結果、怒りの矛先が罪なきアベルに向かったのです。これが罪の実相です。私たちは神様のなさるわざに憤ることがなんと多いことでしょうか。(KE)

心のある場所によって、心が変わります。

6月24日

「あなたの宝のある所には、心もあるからである。」マタイ6:21

確かに、自分が宝としている最も大切なものに常時心が留まっています。寝ても覚めても心から離れません。となると、何を宝とし、どこに置いているかによって心のある場所が決まります。また、心のある場所によって、心が変わります。この世のものを宝としているなら、心は常にこの世にあって汚れに染まります。天にあるものを宝とすれば、心は常に天にあって、天来の恵みに満たされ、清くなります。あなたの宝はどこにありますか。(KE)

神様の許しがなければどんなことも実行されません。

6月23日

「人の歩みは主によって定められる、人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか。」箴言20:24

「歩み」とは人生、日々の生活のことです。自分の人生は自分が決めているように思いますが、そうではないと言われます。なぜなら、明日のことも分からないからです。計画やスケジュールを立てますが、神様の許しがなければどんなことも実行されません。また、思わない、考えも計画もしないことをさせられています。自分の人生・生活だと言いつつ、自分ではなく神様が定めておられるのです。(KE)

人の命は神様によって決定されるのであって

6月22日

「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と。」詩篇90:3

伝道の書には「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」と語られています。いずれにしても、人の命は神様によって決定されるのであって、たとえ瀕死の病にあろうと人の死は病気によるのではなく、神様の手によるのです。それまで人は決して死ぬことはありません。反対に主が「帰れ」と呼ばれたら、何をしても逆らうことはできません。だから生まれる時、死ぬときは誰にも分らないのです。(KE)

神様の臨在を感得させることは親の務めです

6月21日

「その子らが神をけがしているのに、彼がそれをとめなかったからである。」第一サムエル3:13b

神様は祭司エリになそうとすることを幼子サムエルに語りました。エリ先生の問題は彼の子らが神様を恐れない、傍若無人なふるまいをしているのに叱らなかったことです。子供や家族に神様を畏れ敬うことを教育し、神様の臨在を感得させることは親の務めです。子供は神様から養育するように託されたものですから、親が親としての役割を果たさなければ神様から取り除けられます。神の子に育てることが期待されているのです。(KE)

まさに信仰の試練のときです。あなたはどの道を選びますか。

6月20日

「さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダのベツレヘムを去り、モアブの地へ行ってそこに滞在した。」ルツ1:1

エリメレク一家は飢きんによって、「ユダのベツレヘム」を去りました。これが不幸の始まりです。彼らは神様の祝福の地を離れたのです。確かに飢きんは苦しい事でしょうが、そこに留まる人もいました。モアブの地で食糧は得ましたが多くのものを失いました。まさに信仰の試練のときです。あなたはどの道を選びますか。(KE)

弱く小さなものであっても、驚くようなわざをすることができます

6月19日

「彼はろばの新しいあご骨一つを見つけたので、手を伸べて取り、それをもって一千人を打ち殺した。」士師15:15

大力サムソンの記事ですが、彼はごく普通の若者にすぎません。ただ、主の霊が臨む時、途方もない力を発揮するのです。ペリシテ人との戦いでも主の霊に満たされると、「ろばのあご骨」すらも強力な武器となりました。私共も主の霊に満たされるなら、どんなに弱く小さなものであっても、驚くようなわざをすることができます。あなたも第二、第三のサムソンになってください。(KE)

人として生きる道の中心

6月18日

「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」出エジプト20:3

神様が人に求められる第一のことです。真の神様を神として恐れ敬うこと、これがなければ人として生きる道、その中心が失われ、無秩序と混沌に陥るからです。真の神様とは天地万物の創造者であり全能な方です。その方は唯一の神であって他に真の神様はいません。世には多神教と称する宗教がありますが、それは真の神様とは言えません。唯一絶対なものとは神様以外にありえないし、またそうでなければ信頼に足る神とはなりません。(KE)

羊飼いは羊のために命がけで責任をはたします。

6月17日

「主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。」詩篇95:7

羊は自分達だけで命を全うすることができません。羊飼いの保護と指導に従うとき、外敵に守られ豊かな牧草地や水辺へ導かれ、命を長くすることができます。また、羊飼いは羊のために命がけで責任をはたします。それだけに真剣です。神様と私たちの関係も同じです。羊飼いである神様の声を聞きのがさず従順に従いましょう。それが命だからです。(KE)