6月7日
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ11:28
古人いわく、人生は重き荷を負うて坂道を行くがごとしと。恐らく、生きることに苦労していない人はまずいないでしょう。なんとかして、その重荷を減らし、苦労をなくそうと労苦を重ねているのが現実です。イエス様は「わたしのもとにきなさい」と招いておられます。イエス様に祈って打ち明け、ゆだねようではありませんか。必ず、心が軽やかになり、生きることを喜べるようになります。(KE)
6月7日
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ11:28
古人いわく、人生は重き荷を負うて坂道を行くがごとしと。恐らく、生きることに苦労していない人はまずいないでしょう。なんとかして、その重荷を減らし、苦労をなくそうと労苦を重ねているのが現実です。イエス様は「わたしのもとにきなさい」と招いておられます。イエス様に祈って打ち明け、ゆだねようではありませんか。必ず、心が軽やかになり、生きることを喜べるようになります。(KE)
6月6日
「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。」 エペソ6:6-7
イエス様を信じて新しい命に生きる生活は、神様のしもべとなって生きることです。この世にあって果たすべき役割を家庭や職場、学校や地域社会などでそれぞれ持っていますが、そのような活動を通して、神様に仕えるのが私たちの使命です。人間関係をうまくやることより、神様との関係に重点をおくのがイエス様を信じる信仰に生きる生き方です。(KE)
6月5日
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」第二コリント3:18
神様の救の目的は私たちをキリストに似るもの、神の家族にすることです。イエス様がそうであるように、私たちも名実共に父なる神様の性質を受け継ぐようにと願っています。自分の努力やわざで変れませんが、神様は御霊によって造り替えてくださるのです。みことばを信じて、御霊に導かれ、霊の働きに委ねて生きるとき、あなたは変ります。(KE)
6月4日
「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。」第一テモテ6:7
人は裸でこの世に生まれました。また、何ひとつ持たないで世を去ります。地上に生きている間だけ、衣食住が必要ですが、それとてもわが身一つを養うに十分ならば、それ以上は不要です。この世に置いてくださった神様は私たちの必要をすべてご存じです。時に応じて、必要なものを、必要な時に、必要なだけ供給してくださいます。今日の一日、主が備えられたものを感謝して、喜び楽しもうではありませんか。(KE)
6月3日
「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」エペソ5:10
家族や友達が喜ぶことをしてあげることは、自分にとっても嬉しいことです。しかし、どういうわけか人は天邪鬼で、喜ぶことを知っていながら、嫌われるようなことをやってしまいます。ましてや、神様に対しても同じ態度をとりやすいのです。あなたも主が喜ばれることがなんであるか知っているはずですが、それを素直に行えないでいます。祈りつつ、神様の力を頂いて、まず主に喜ばれることを知り、実行しようではありませんか。(KE)
6月2日
「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」第一コリント10:31
人が造られた目的はただ一つ、神様の「栄光のために」です。生まれてから死ぬまで、人の一生は神様の壮大な作品です。絵画や彫刻など芸術作品がそれを通して製作者の誉れと名誉を高めるのと同様に、私たちの全生涯をとおして、神様は栄光を受けようと願っています。そのために、今日の一日があり、生かされているのです。日常生活の隅から隅まで、神様の意図が行き渡るように生きてください。(KE)
6月1日
「それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」マタイ10:31
人は自らを「万物の霊長」と称します。確かに神様はそのように創って下さったのですが、実体はその名称にふさわしいものでしょうか。いつも何かを恐れ、苛立ち、不平不満のなかで、つぶやきながら、惨めな生き方をしています。その原因は創造者である神様を忘れ、人が自分を神としているからにほかなりません。神様はすべての被造物の中で人を「まさった者」としてくださいました。尊く創られた誇りを持とうではありませんか。(KE)
5月31日
「そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」マタイ26:56b
イエス様は捕らわれ、大祭司カヤパの屋敷へ連れて行かれましたが、弟子たちは皆逃げてしまい、イエス様だけになりました。しかし、イエス様はそのことを嘆かず、それどころか意に介しません。弟子たちに囲まれようと、群衆に賞賛されようと、常にイエス様は一人であり、父なる神様との交わりだけを頼みとしていました。どんなに親しい友であれ、家族であれ、結局はあなたから「去って」いくものです。あなたを助ける方は神様以外にないのです。(KE)
5月30日
「さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。」ヘブル4:14
イエス様はよみがえられたのち、天にかえられました。それは私たちの「主」となり、祭司として父なる神様に仕え、わたしたちのためにとりなしをしてくださるためです。主は「もろもろの天」、すなわち裏切られ、捨てられ、十字架上での霊肉の苦しみを受け、死の闇などを通って天に凱旋しました。今日も、この主が大祭司となり、あなたの祈りを取次いでくださいます。(KE)
5月29日
「するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。」使徒9:18a
クリスチャンを迫害したサウロ(のちのパウロ)はダマスコへの途中で、甦られたイエス様に出会い、人生が180度変りました。そのとき、彼は一時的な失明を体験します。これはそれまで見ていた世界とは違った新しい世界へ入ったことを証しした事態です。「目からうろこ」とはこのことです。聖霊によって、心の目が開かれ、見えないものが見える者となって、パウロのように主に仕える生涯を全うしましょう。(KE)