9月11日
「あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。」詩篇18:25-26
神様は私たちの姿を映す鏡のような方です。私たちの信仰の有りようによって、ご自身を表してくださるからです。神様の力を信じて寄り頼むなら、そのように答えてくださるでしょうし、この程度だというなら、そのようになさいます。あなたはどのような方と信じますか。(KE)
9月11日
「あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。」詩篇18:25-26
神様は私たちの姿を映す鏡のような方です。私たちの信仰の有りようによって、ご自身を表してくださるからです。神様の力を信じて寄り頼むなら、そのように答えてくださるでしょうし、この程度だというなら、そのようになさいます。あなたはどのような方と信じますか。(KE)
9月10日
「キリストは彼のためにも、死なれたのである。」ローマ14:15c
イエス様の十字架のあがないは例外なく全ての人々のためです。それは主がすべての人を大切なものとしておられるからです。主の死によって生かされていると信じるなら、当然自分以外の人々もその恵みを頂いていると信ずべきです。そうなると、人の事をあれこれあげつらうのはイエス様のみこころに添わないことです。キリストの死に連なる者であると知るなら、何も言えなくなります。そればかりか、ある種の連帯感が生まれます。(KE)
9月9日
「ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。」ルツ2:3
モアブ人のルツは夫を失いましたが、姑ナオミについてベツレヘムに戻ってきました。落ち穂をひろいながら「はからずも」舅エリメレクの縁者の畑に導かれました。この背後に神様のご計画があったのです。思いがけない、予期しないことに狼狽して不安になり思い煩いますが、そのときこそ神様の隠されたわざが進行しているのです。ルツはキリストの系図に名を残すことになります。(KE)
9月8日
「しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。」ヤコブ4:6
神様は私たちを愛するゆえに恵み、祝福したいと願っておられます。ところが、それを受ける側の準備がないのです。恵みの法則はみ言葉のように「へりくだる者」に与えられます。神様からの恵みと祝福がなければ生きることが出来ません。恥も外聞も、名誉も誇りもかなぐり捨てて、なりふりかまわず、へりくだって求めましょう。(KE)
9月7日
「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と。」詩篇90:3
例外なくすべての人は死を迎えます。これほど確かなことはありません。しかし、それがいつであるか分らないのです。健康だから、若いから、死なないとは言えません。それを決めるのは神様だけです。人は病気や怪我や事故で死ぬのではなく、神様が召されるからです。そのときまで、どんなことがあっても生きる責任があります。また、生かされている使命を果たさなければなりません。だから日々、命を大切にして。(KE)
9月6日
「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13c
私たちのことを一番良く知っているのは神様です。短所も長所も、裏も表も、なにもかも知り尽くして、試練によって新しく造り替えてくださるのです。試練は道具のようなものですから、本体が壊れては目的を果たせません。必ず、逃れる道も備えておられます。神様の深い愛によるお取り扱いを信じましょう。(KE)
9月5日
「キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」ローマ8:34b
イエス様は神様と私たちの仲立ちとなって執り成してくださっています。私たちは弱くて、罪多い者ですから、いつ神様の怒りを受けるか分りません。しかしイエス様は常に私たちの側にたつ弁護人です。これほど心強い味方はいません。しかも、主は私たちを決して見捨てず、また父なる神様はイエス様のとりなしを拒むことはありませんから、遠慮なく、神様に心を打ち明けましょう。(KE)
9月4日
「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24
神様のなさるわざは人の知恵や知識では到底知りえません。特別な事象だけではなく、私たちの日々の生活諸般にわたる一切のことです。人は自分が考え、計画して事がなっているように錯覚しますが、私たちを含めて地は神様の造られたものばかりです。たとえ自分の願いと違っても、主のみわざであると信じ続けましょう。(KE)
9月3日
「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ。」イザヤ51:1
「切り出された岩」「掘り出された穴」とは自分の原点、出発点のことです。自分がどのような中から救い出されて今があるのか、そこをしっかり確認することが「今」を感謝して生きる土台です。そこが曖昧になると、「今の時」を感謝し喜ぶことが出来ません。世間でも「初心忘るべからず」といわれますが、つねに原点に立ち返って今の恵みを感謝しましょう。(KE)
9月2日
「イエスは言われた、『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』。」ルカ23:43
イエス様が十字架にかけられたとき、両脇に犯罪人も一緒でした。その一人は主をののしり、他の一人は主の前に謙りました。罪を悔いて謙遜になった犯罪人にイエス様が語ったのがこの言葉です。どのような境遇におかれても、主の御前に謙遜になり、憐みを求めるなら、そこがパラダイスです。たとえ十字架にかけられながらも、主と共にあることがどんなものにも勝った恵みです。(KE)