8月3日
「エリシャは言った、『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから』。」列王下6:16
スリヤ王が軍勢を率いて、預言者エリシャの町を包囲しました。エリシャの召使が朝起きて見ると、大軍に囲まれていることを知ってうろたえました。彼には神様の軍勢が見えなかったのです。私たちはスリヤの大軍でなくてもいろいろな敵に攻撃されますが、決して失望することはいりません。神様は天の軍勢を送ってあなたを守っておられます。心の目をひらいて見てください。(KE)
8月3日
「エリシャは言った、『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから』。」列王下6:16
スリヤ王が軍勢を率いて、預言者エリシャの町を包囲しました。エリシャの召使が朝起きて見ると、大軍に囲まれていることを知ってうろたえました。彼には神様の軍勢が見えなかったのです。私たちはスリヤの大軍でなくてもいろいろな敵に攻撃されますが、決して失望することはいりません。神様は天の軍勢を送ってあなたを守っておられます。心の目をひらいて見てください。(KE)
8月2日
「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる。」箴言21:1
人の心ほど分りにくいものはありません。自分の心ですら、つかめずにいます。まして、家族だ、夫婦だといっても、それぞれの思いや心は全く違います。誤解・曲解があるのは当然でしょう。ただ、神様は人の心を支配し、導き、自在に動かされます。相手の心が読めないとき、自分の心が不明な時、神様に祈って教えていただくと、はっきりします。(KE)
8月1日
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:16-18
喜び、祈り、感謝。これは福音の全てであると言っても過言ではありません。しかも、個別のこととしてではなく、この三つは相互に深く関わっています。ですから、一つでも欠かすなら、他のものも失われます。しかも、神様が求めておられることだと言われています。あなたは喜んでいますか、祈り、感謝していますか。(KE)
7月31日
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」箴言19:21
人の心に思い計ることは次から次へ湧いてきます。しかし実現に至るものは実にわずかです。そればかりか、思いも寄らない、計画にもないことがどれほど沢山あることでしょうか。だからこそ、人の知恵や計画によるのでなく、神様のみわざであると言う以外にありません。神様のみ旨を堅く信じて、与えられた事態や事柄のなかで、神様のみ手に委ね、導かれたいものです。たとえそれが自分の意に反するものであっても。(KE)
7月30日
「あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう。」エステル4:14c
王妃エステルは同胞のユダヤ人が存亡の危機に瀕したとき、叔父のモルデカイから王に助命嘆願を求められました。しかし、王妃が王に会うには許しがなければ会えません。そうでなければ命を失う危険がありました。エステルは命を賭して決行します。人には人生に何度かこのような命がけの決断をしなければならないときがあります。神様が求められる使命があるからです。イエス様も同じ道を歩みました。(KE)
7月29日
「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。」エレミヤ29:13-14a
私たちの信じる神様はどこにおられるのか、どのような方なのか、秘密のベールに覆われた方ではありません。ご自分を知ってほしいと切に願っておられます。唯一つ条件がありますが、それは「一心に」「尋ね求める」ことです。「目移りする」と言う言葉があるように、あれもこれもと、心が乱れるのを主は嫌われるのです。一心に主を求めましょう。(KE)
7月28日
「主なる神の前に沈黙せよ。主の日は近づき、主はすでに犠牲を備え、その招いた者を聖別されたからである。」ゼパニヤ1:7
人の心には、不平、憤り、嘆きなどのつぶやきの声が沸騰する水の如く絶え間なく湧いてきます。しかし、万物の主である全能の神様の前に立つとき、「沈黙」以外にありません。神様のなさることは完全無欠です。ひとり子イエス様を犠牲とし罪をあがない、招かれた私たちを「聖別」して下さいました。これ以外に何の不足があるでしょうか。主のみ手に一切を委ねるほかありません。(KE)
7月27日
「水にうつせば顔と顔とが応じるように、人の心はその人をうつす。」 箴言27:19
「水にうつせば」とは詩的な表現ですが、言うならば鏡に映る自分のことです。その人の心がそこに表れていると言われます。しかし、残念なことに、自分の顔を常時見ているわけではありません。いつもは他人の顔ばかり見ています。自分の心は自分が知っているように思いますが、自分を知るには自分の顔を見ることです。意識して、時折、鏡に自分を映して見てください。今朝は憂い顔ですか、それとも平安な顔ですか。(KE)
7月26日
「主の使は彼女に言った、『あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい』。」創世記16:9
アブラハムの妻サライの奴隷ハガルが主人の子を身ごもったため高慢になり、女主人を見下げるようになりました。そのためハガルはいじめられて逃げ出します。荒野で神様の声を聞いたのです。過酷な女主人のもとに帰るなど、耐えられないことでしょう。しかし、ハガルは自分を見ておられる神様を知りました。主の目が常に注がれていることを知れば、恐れることはありません。あなたにも注がれています。(KE)
7月25日
「しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」ヘブル4:2b
神様の言葉は聞くだけで終わる限り、それはただの言葉にすぎません。大切なのは信じて心に受け入れ従うとき、神様の力が具体化されます。信仰に立ち生活の細部にわたって御言を実践するのです。それをしなかったために、神の民は約束の地カナンに入ることができませんでした。神様の言葉を知りながら、見ること、聞くことによって左右され信仰に立てなかったからです。(KE)