神様の前に人はどのようにあるべきかを問う時、人の道が決まります

「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」エペソ5:10

道徳や倫理は人の生き方、行動の基準をあらわすものです。それは普遍的な原理原則であって、時代や場所によって変るものではありません。その根本はまさにこのみことばにあります。神様の前に人はどのようにあるべきかを問う時、自ずから人の道が決まります。神様を認めなければ道徳や倫理は成り立ちません。私たち個人の行動を律するのも、神様に「よし」とされるかどうかにかかっています。(KE)

驚き、恐れ、不安のなかにあるマリヤに語られた言葉です。

12月6日

「神には、なんでもできないことはありません。」ルカ1:37

御使ガブリエルがマリヤに受胎告知をしたとき、驚き、恐れ、不安のなかにあるマリヤに語られた言葉です。神様は全能の神、出来ないことのない方です。この言葉を信じるなら、この世のことはすべて無きに等しいものです。神様のこの力を忘れるから、無きに等しいものが重大なことのように思われて、心を取り乱すことになります。多くの聖徒たちは全能の神の前にひれ伏すことによって勝利を得ました。(KE)

みことばを信じて、それに生き方を賭けようではありませんか。

「だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。」マタイ23:3

イエス様の時代、律法学者やパリサイ人は立派なことを言うけれど、行いが伴っていなかったのです。どんなに良いことであっても、実行しなければ「絵に描いた餅」にすぎません。私たちの信仰もそうなってしまわないように、みことばを信じて、それに生き方を賭けようではありませんか。神様からの力と命を受けることができます。(KE)

神様の創造の目的に適わなければ私たちもまたぶどうの木同然です。

12月4日

「人の子よ、ぶどうの木、森の木のうちにあるぶどうの枝は、ほかの木になんのまさる所があるか。」エゼキエル15:2

ぶどうの木は他の木々と違って、ぶどうの実を収穫する以外になんの役にも立ちません。建築材にも、家具や建具にも使えません。実らないぶどうの木は切り取られて焼かれてしまうだけです。それと同様に、神様の創造の目的に適わなければ私たちもまたぶどうの木同然です。ぶどうの木であるイエス様につながる枝となって、実を結び、農夫である神様に喜ばれようではありませんか。(KE)

救い主がいらっしゃることに目を向けて、光に照らされ

12月3日

「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」イザヤ9:2

今年もアドヴェント(待降節)に入りました。毎年繰り返されることですが、その歳年によって、感じるところが変り、一つとして同じことはありません。現代はいろんなことが行き詰った状況にあります。周囲は闇に包まれたような不安を感じますが、このようなときこそ、救い主がいらっしゃることに目を向けて、光に照らされ、主にあって喜び、望みを持ち、耐え忍んで生きようではありませんか。(KE)

事を定めなさるのは神様であって、わたしたちではありません。

12月2日

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」エレミヤ29:11

わたしたちは明日のことも分からないほど、無知蒙昧です。一方、神様は全知全能なる方、しかも、創造者です。私たちの過去、現在、将来にわたって事を定めなさるのは神様であって、わたしたちではありません。しかも、神様は善き事をすると言われるのです。感謝ではないですか。(KE)

人の知らないことがあるのは当然のことです。

12月1日

「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」イザヤ55:8

人は「万物の霊長」と称して、どんなものよりも賢いものだと自負しています。神様よりも有能であるかのように思い上がっていますが、所詮、人は造られたものにすぎません。神様の力、知恵は到底知り尽くせないものです。だから、人の知らないことがあるのは当然のことです。日々の生活にあっても、事の大小を問わず、全てが神様のみ思いにあることを認めようではありませんか。それが人の生き方です。(KE)

事の大小を問わず、一切を神様に委ねましょう。

11月30日

「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」第一ペテロ5:7

どんなことをしても、人の思いは神様のみ思いに比べることはできません。明日のことすら分からない者です。それなのに、あれこれと思い煩い、今の時を暗く過ごしてしまうのです。なによりも、神様は私たちを愛して善きことを備えておられるのです。事の大小を問わず、一切を神様に委ねましょう。頼られると何とかしようと思います。神様も同様です。信頼する者に応えてくださいます。(KE)

「怒り」は自分の義を貫こうとするものです。

11月29日

「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20

「義」とは正しいことですが、絶対的に正しい方は神様以外にありません。人はとかく「自分は正しい」と「己の義」を主張しますが、それは神様の義にくらべると無に等しいものです。「怒り」は自分の義を貫こうとするものです。そこには神様を畏れる心はありません。むしろ、神様に取って代わり、自分が裁き、報復しようとしているのです。どんなことも、全てを知り、また報われる神様に委ねようではありませんか。(KE)

具体的な結果を手にするには約束を信じて行動しなければ得られません

11月28日

「しかし、その聞いた御言(みことば)は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」ヘブル4:2b

どんなに素晴らしい約束であっても、具体的な結果を手にするには約束を信じて行動しなければ得られません。カナンの地へはいる約束を信じないで滅びた人々がいました。そうならないように、聖書のことばを信じて、実際の生活に当てはめ、従いましょう。時にはみことばを疑わせるような現実があります。それに負けないで、み言葉の結果を獲得しましょう。(KE)