3月18日
「あなたの神、主は焼きつくす火、ねたむ神である」。申命記4:24
神様は愛であると言われます。確かに、根本的なご性質は愛に満ちたかたです。だからひとり子を罪人の贖いの犠牲とするほどの限りなく、深く、広く、また大きな愛を与えてくださったのです。それだけに「妬む神」でもあります。もし妬むことをしないのであれば、愛が乏しいとさえ言えます。真実に愛すればこそ妬みを感じるのは至極当然です。私たちも主の愛に応答して一途に主を愛しましょう。(KE)
今日の通読箇所
3月18日
「あなたの神、主は焼きつくす火、ねたむ神である」。申命記4:24
神様は愛であると言われます。確かに、根本的なご性質は愛に満ちたかたです。だからひとり子を罪人の贖いの犠牲とするほどの限りなく、深く、広く、また大きな愛を与えてくださったのです。それだけに「妬む神」でもあります。もし妬むことをしないのであれば、愛が乏しいとさえ言えます。真実に愛すればこそ妬みを感じるのは至極当然です。私たちも主の愛に応答して一途に主を愛しましょう。(KE)
今日の通読箇所
3月17日
「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。使徒1:11b
弟子たちはこれからどんなことが起こるか、不安と心配に心が塞がれていました。ここで御使いが強調したことは、主が再びこの世に来てくださることです。この約束は今なお有効です。終末のときがいつであるか、誰も知りません。だからこそ、この世に流されず、主を待ち望んで、慎ましく、勇気を出して、主のお会いする備えをしておきましょう。(KE)
今日の通読箇所
3月16日
「こう言い終ると、イエスは彼らのみている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」。使徒1:9
イエス様はこの世で果たすべき使命を終わり、弟子たちの見守るうちに天に上げられました。物質的な姿は消えましたが、それに代えて聖霊が信じる者に与えられたのです。今、私たちのうちにも御霊は宿っておられ、父なる神様のみ心を教えてくださいます。ただし、活ける主を信じ、主よ、お話くださいと心を傾け、聞こうとしなければ聞き逃します。(KE)
今日の通読箇所
3月15日
「われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか」。申命記4:7
日本人は、神様は出来るだけ遠くに祭り上げ、必要な時以外触らないがいいと思っています。しかし、まことの神様は私たちの日々生活する真っ只中に居られます。そればかりか、あなたの内も外も、どんな小さなことも知りつくしています。さらに御心を行わせようと干渉しておられます。主との交わりのうちに過ごしてください。(KE)
今日の通読箇所
3月14日
「モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた」。民数記21:9
荒野の旅の困難から、民は神様とモーセにつぶやきました。神様は「火のヘビ」を送ってつぶやいた者たちを殺しました。しかし、モーセの執り成しによって、神様は救いの道を示しました。竿の上のヘビを仰ぎ見れば罪を問わないと。主の十字架の贖いの約束です。心に咎めるものがあるなら、主の十字架を仰ぎ見てください。今日も主はとりなしておられます。(KE)
今日の通読箇所
3月13日
「すなわち、彼らは主の命にしたがって宿営し、主の命にしたがって道に進み、モーセによって、主がめいじられたとおりに、主の言いつけを守った」。民数記9:23
イスラエルの民はカナンの地を目ざして出立しました。道なき荒野の旅です。神様は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって共に進んで下さったのです。民は何一つスケジュールは持ちません。雲の動きに合わせて宿営し、また道に進みます。徹底して主に従うことを学ぶのです。自分の予定や目標は立てられません。今も主はその時のように私たちを導かれます。(KE)
今日の通読箇所
3月12日
「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」。イザヤ44:22
なんと嬉しいことではないですか。真夏の入道雲も強い風がふけば、一瞬にして跡かたなく消えてしまいます。雲があったことすら消えています。そのように、神様は私たちの罪咎のすべて、過去から未来にまで、痕跡すらないように新しくしたとの宣言です。罪清められたことを信じて、主の力あるみ手の中にすっぽり委ねて、安心な今日を過ごしてください。(KE)
今日の通読箇所
3月11日
「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた」。イザヤ48:10
「這えば立て、立てば歩めの親心」と言います。父なる神様も同じように期待を大きく持っておられます。何とかはやく神の家族にふさわしくなるようにと、熱心になって私たちに臨んでおられます。長い人生には山あり谷あり、試練がありますが、それは神様の為せるわざです。私たちの罪のいかに根深いものか、主は熱心な業をもって再創造しておられるのです。(KE)
今日の通読箇所
3月10日
「見よ、わたしは、たなごころにあなたの名を彫り刻んだ」イザヤ49:16a
「たなごころ」とは掌のことです。言うならば、「手のこころ」とのこと。神様はあなたを忘れないように、心に刻んだと言われます。あなたを忘れないとの決意です。そんなにまで愛して下さる方に何をもって報いることができましょうか。何もありません。ただ、私たちもまた神様を忘れず、心の中心に座していただき、神様の御言葉の命を汲み、御心に従うこと以外にありません。(KE)
今日の通読箇所
3月9日
「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ」。イザヤ54:2
日本人が美徳と思うことの一つは、慎ましく、控え目である事です。人に頼みごとをするときも、身の丈に合う結果で満足しようとします。しかし、神様にはそれは通じません。神様は最大限の求めを喜ばれます。神様は全能者、出来ない事のない方です。あなたの願いは神様をどのように見ているかをあらすことです。思いっきり神様への期待を大きくしましょう。(KE)
今日の通読箇所