3月21日
「おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである」。エレミヤ17:7
何をもって幸いというか、それによってその人の価値観が見えてきます。預言者エレミヤは主に頼り、頼みとすることが幸いだと。なぜなら、主は万物の根源、命そのものだからです。いのちを守る方に信頼する限り、どんな境遇に置かれても恐れず、大胆に受けて立つことができます。あなたは何をもって幸いとしますか。(KE)
今日の通読箇所
3月21日
「おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである」。エレミヤ17:7
何をもって幸いというか、それによってその人の価値観が見えてきます。預言者エレミヤは主に頼り、頼みとすることが幸いだと。なぜなら、主は万物の根源、命そのものだからです。いのちを守る方に信頼する限り、どんな境遇に置かれても恐れず、大胆に受けて立つことができます。あなたは何をもって幸いとしますか。(KE)
今日の通読箇所
3月20日
「その偶像は、きゅうり畑のかかしのようで、ものを言うことができない。歩くこともできないから、人に運んでもらわなければならない」。エレミヤ10:5ab
人は神様の存在を知りつつも、具体的な姿形が見えないために、偶像を造って安心しようとします。どんな像でも絵画でも、神様を表すことは出来ません。偶像を拝むことはしないと言いますが、形のない偶像を人はしっかり握っています。これさえあれば、と抱えているものこそ、あなたの偶像です。(KE)
今日の通読箇所
3月19日
「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった」。イザヤ30:15
万物は神様の手に握られています。人がどんなに焦っても、もがいても事は動きませんが、主の時が満ちると、一気呵成に事態は動きます。人はその時を待てずに失敗します。慌てず、じっくりと主を待ち望みましょう。(KE)
今日の通読箇所
3月18日
「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」。黙示2:4
何事にも始まりがあり、始めの時の新鮮な感動は貴重なものです。しかし、それを持ち続けるのは至難の業です。時と共に「初めの愛」は冷め、感動は消えてしまいます。そうならないために、心と思いをリフレッシュしなければなりません。自らを省みて、悔い改め初心に帰る。これ以外にありません。(KE)
今日の通読箇所
3月17日
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」。創世記17:1
信仰の父と言われるアブラハムに、神様がご自分を現した言葉です。「全能の神」とはなんでもできる「万能」の神とは違います。全能者は万物の支配者、すべてのものの運命を統べおさめる方です。人の生から死に至るまで、細大漏らさず支配しておられる方です。その様なものとして神様に全く従う事を求めておられます。今日の一日もこの方が備えてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
3月16日
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ」。イザヤ40:26a
人の目は前方や左右を見るには便利ですが、上や後ろを見ようとすると、頭の向きを変えなければなりません。その結果、常日頃、平面上のものばかりに心囚われ、対人・対物の世界に終始します。上なる方に心の目を向けることに努めようではありませんか。そうすれば、心にゆとりが生まれ、物事を冷静に見極めることができます。(KE)
今日の通読箇所
3月15日
「夜、初更に起きて叫べ。主の前にあなたの心を水のように注ぎ出せ。町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主に向かって両手をあげよ」。哀歌2:19
国の内外を問わず、今、世界中に飢餓や貧困、紛争や戦乱に犠牲となる多くの幼子がいます。しかし、見聞きしつつも、なすすべがなく、途方にくれます。ただ、私たちには「祈り」があります。神様の憐れみを求めて、他者のために執り成し祈る使命があります。(KE)
今日の通読箇所