2月8日
「もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい。迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。」マタイ18:13
どんなに多くの人がいようと、神様が心を向けておられるのはたった一人のあなたに対してです。ともすると、集団の中の一人になろうとします。神様の目にとまらない存在だと不満に思いますが、小さく、無きに等しい者にこそ主は目を向けて、あなたを捜しておられます。他の人はどうであれ、まず主とあなたとの愛による信頼を堅くしてください。(KE)
2月8日
「もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい。迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。」マタイ18:13
どんなに多くの人がいようと、神様が心を向けておられるのはたった一人のあなたに対してです。ともすると、集団の中の一人になろうとします。神様の目にとまらない存在だと不満に思いますが、小さく、無きに等しい者にこそ主は目を向けて、あなたを捜しておられます。他の人はどうであれ、まず主とあなたとの愛による信頼を堅くしてください。(KE)
2月7日
「そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。」ルカ19:6
ザアカイは強欲のゆえに多くの人から嫌われていました。彼の町に来られたイエス様が、思いがけず彼の家に泊まったのです。愛されたことのない彼にとって、これは彼の心の琴線に触れる事態でした。主は一言も言いませんが、主の愛に感動した彼の生活態度は全く変りました。イエス様は人の心の奥深くに届いて、心を造り変える方です。心が変われば生活が変ります。私たちも「よろこんで」主を迎えましょう。(KE)
2月6日
「ペテロが言った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』。」使徒3:6
生まれながらに足のきかない物乞いする人に語ったペテロの言葉です。何かをもらいたいと期待しましたが、ペテロにはなにも与えるものがありません。しかし、彼にはイエス様を信じる信仰がありました。これは金銀に勝る大きな資産です。彼自身がイエスによる信仰に生きていたからそのように言えたのです。私たちも朽ちゆく金銀によらず、信仰に立って力を得ようではありませんか(KE)
2月5日
「この民に行って言え、あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。」使徒28:26
「見ても見ず、聞いても聞かず」と世間でも言いますが、人は勝手なもので自分に都合の良いことだけしか見ようとも、聞こうともしません。耳に痛い言葉を避け、かかわりを避けて目をそむけます。そうである限り、人は変ることが出来ず、新しくなることもできません。神様の言葉、みことばをえり好みせず素直に受け入れましょう。痛い言葉にこそ神様のみこころが語られているからです。(KE)
2月4日
「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、…」エペソ6:6
「救われる」とは「キリストの僕」になることです。どうしてそのようなことが「救い」だろうかと思われますが、神様に仕えることこそ人の存在理由だからです。「キリストの僕」となりきるとき、あなたは真の人として生きることが出来ます。しもべは主人の意図を忠実に実行します。これが人であることの価値です。今日も、人にではなく、主に仕える一日を送ってください。人として生きるために。(KE)
2月3日
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」第二コリント4:16
肉体とそれを取り巻く環境だけで人は生きているのではなく、それは内にやどる命の入れ物に過ぎません。命とは魂に注がれる神様の霊、力です。「外なる人」は年齢や時代と共に古び衰えます。しかし、「内なる人」は神様から与えられる命を日々注がれリフレッシュされます。あなたの「内なる人」は命に溢れていますか。みことばと祈りによって霊の力が与えらますように。(KE)
2月2日
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」ヨハネ1:5
憂いや悲しみ、悩みや絶望があると、人の心はやみに閉ざされてしまいます。そのため、生きる力を失い、喜びが消え、氷の世界になります。そのやみをとり除くには、なによりも光を取り入れなければ消し去ることができません。まことの光はイエス様だけです。主はみことばをとおして光を注いでくださいます。あなたの心に闇があるなら、心の戸を少しばかり開いて、みことばを信じてみませんか。瞬時にやみは消えます。(KE)
2月1日
「わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。」ルカ11:3
「主の祈り」の一節ですが、私たちが誰によって養われているかを語っています。人は自分の働きによって日々の糧を得ているように思っています。しかし、人は神様によって生かされ、持ち運ばれているのです。近頃、貧富の差が大きくなり、生活にも事欠くニュースを耳にします。そのような中で、余るほどではなくても、日々、食べることができるのはただ神様の憐みと言うほかありません。感謝です。(KE)
1月31日
「それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」ローマ6:4b
イエス様が十字架に死んだのち、墓からよみがえられたのは罪と愆(とが)とに死んでいたものを十字架によって完全に滅ぼして、イエス様と同じようによみがえらせ、生きるようにするためです。よみがえったイエス様が新しいいのちとなって私たちのうちに宿っています。もはや一瞬たりともイエス様抜きに生きることはできません。(KE)
1月30日
「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。」イザヤ2:22
人は愚かなもので、自分のできない事でも他人にはできると過大評価しやすいのです。相手ができないと無能呼ばわりしますが、それは滑稽なことです。まず自分が出来ないことは自分と同類の他人もできないと知るべきです。頼るべき相手は人よりはるかに優れたもの、神様以外にありません。人に対して「裏切られた」「失望した」と言うとき、信頼すべき相手を間違えたあなたが悪いのです。(KE)