イエス様をまるまま、トータルで自分のものにすることです。

9月6日

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。」ヨハネ6:54

これはまた過激な言葉です。イエス様の肉を食べ、血を飲むというのですから驚きです。しかし、これは比喩的な言説であって、真意はイエス様をまるまま、トータルで自分のものにすることです。「飲む」「食べる」とは、食事をするように食べたものが体の一部となり、力となるように、イエス様を信じて、みことばを実践することにほかなりません。そのとき永遠の命に生きるのです。(KE)

十字架を仰ぎつつ、主の愛を信じつづけましょう

9月5日

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16

私たちの周囲を見ると、どこに神様の愛があるかと疑わせるものばかりです。確かに、見えるところはそうであっても、神様の愛は十字架を抜きにして知ることができません。主は、私たちの罪の犠牲として、愛するひとり子イエス様を十字架に断罪することによって、限りない愛をあかししたのです。今、与えられた情況がどんなであれ、十字架を仰ぎつつ、主の愛を信じつづけましょう。(KE)

自分の欲望のままに生きることは、自分を愛することではありません。

9月4日

「第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」マタイ22:39

「自分を愛するように」と言われていますが、あなたは本当に自分を愛しているでしょうか。自分のしたいように、自分の欲望のままに生きることが自分を愛することだと言うなら、それは間違いです。それは自分を傷つけ、痛め、廃人にしてしまうだけです。神様に造られた人としての資質を高めることが自分を愛することです。自分を真に愛するようになると、他の人の徳を高め、益を計り、愛することができます。(KE)

「受ける」方が幸いだと思いがちです

9月3日

「また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」 使徒20:35b

 

イエス様はどこで語られたのか、福音書にはありませんが、この言葉はイエス様の生涯を要約したものと言えます。同時に、私たちにも「同じようにしなさい」と勧めておられます。「受ける」方が幸いだと思いがちですが、その発想を逆転するとき、イエス様に倣うことができます。まず、惜しまず与えてください。あなたの心に大きな変化が生まれます。(KE)

人は自分について客観的に知ることが困難です。

9月2日

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」黙示3:17

『裸の王様』という話がありますが、自分がどんな状態であるか知らない人を語ったものです。人は自分について客観的に知ることが困難です。殊に、弱点や欠点を認めることができません。そのためには自分が欠けだらけであることを認める謙遜さが大切です。他人からの忠告を素直に受け入れる心を持ちたいものです。(KE)

父なる神様の愛を見せてくださいました。

9月1日

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1a

被造物でありながら、造物主なる神様をわすれて、自分勝手に生きていた私たちを、創造の初めの姿に戻すため御子を世に送ってくださいました。『神の子』とするためです。み子は罪人となり、十字架に命を捨て、父なる神様の愛を見せてくださいました。これほどまでにあなたを愛しているものはいません。この愛を決して忘れないで下さい。今日も、神様はあなたを神の子として目を留めています。(KE)

金木犀などの香りが漂ってきたとき、心は温められ、優しくなります。

「しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。」第二コリント2:14

バラやクチナシ、木犀など、香り豊かな花があります。これからの季節、初秋になるとどこからともなく金木犀などの香りが漂ってきます。そのとき心は温められ、優しくなります。そのような香り、殊にキリストのかおりを放つものとして、あなたを選んでくださったのです。(KE)

自分の人生であっても、自分で企画決定実行することがほとんどありません。

8月30日

「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」箴言16:9

人の心はなんと大きく広いのでしょうか。願いや思い、計画や予定が次から次と際限なく生成消滅しています。実際に具体化したものはきわめて僅かなことです。また思いもしない事態に出会うこともあります。考えると、自分の人生であっても、自分で企画決定実行することがほとんどありません。どんなことも、神様の許しがなければ起らないことであり、主がとどめられるとき、なにをしても無駄です。(KE)

「なぜ私が」という素朴な疑問にぶつかります。

8月29日

「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4

表題には「ダビデの歌」と記されています。羊飼いの子であったダビデが一国の王になるという想像を超えた事態を体験しました。自分の不思議な運命を握る神様を思う時、「なぜ私が」という素朴な疑問にぶつかります。それと同様に、今日、生かされている私に神様は目をとめ、生きる力、必要の全てを満たして思いがけない人生を歩ませてくださいます。主のご愛と恵みに感謝するほかありません。(KE)

神様の御性質の一つは「全知」です。

8月28日

「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。」詩篇139:1

神様の御性質の一つは「全知」です。全てのことを知り尽くしています。自分以外に誰も知らないと思うなら、それは大間違い。神様は全てお見通しです。そう言われると、なんだか怖い感じがします。咎められることがあるのではないかと不安になります。しかし、主は咎めるため、罰するために知り尽くしたと言うのではなく、私たちの欠けを補い、不足を満たして、神様の愛と恵みを悟らせるためです。感謝、感謝!(KE)