全てを主に打ち明けることは大いなる祝福です

9月1日

「その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。」マルコ5:33

十二年間病苦に悩まされた女の人がイエス様の衣に触ったとき全く癒されました。彼女は密かに喜び隠れていましたが、身に起ったことを隠すことができず、イエス様に全てを告白しました。神様の恵みを受け、信仰を確かなものにするために全てを主に打ち明けることは大いなる祝福です。恥ずかしくても主に申し上げるとき、平安と確信が与えられます。主はすべてを受け入れてくださるからです。(KE)

神様に信頼するのも同じです。自分を頼んでも何もできないのですから

8月31日

「いっその事、われわれはスリヤびとの陣営へ逃げて行こう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるならば、助かるが、たといわれわれを殺しても死ぬばかりだ。」列王下7:4cd

サマリヤの町がスリヤ軍に包囲され餓死寸前になりました。物乞いをしていた四人はどっちみち死ぬのならと敵陣へ憐みを求めたのです。まさに一か八かの大勝負です。神様に信頼するのも同じです。自分を頼んでも何もできないのですから、命を賭して神様に任せてみようではありませんか。死んだ者となって。(KE)

状態が良くなるにつれて心が高ぶり、自分の力を誇るようになります

8月30日

「また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。」申命記8:13-14a

人の最も弱い点は「たかぶり」やすいことです。困難や悩みがあると謙遜になりますが、状態が良くなるにつれて心が高ぶり、自分の力を誇るようになります。その時が大変危険なときです。救のめぐみも同様です。これから実りの季節を迎えます。稲穂の如く恵まれれば恵まれるほど、ますます心を低くして、主に感謝しましょう。(KE)

御霊の声に従順に従いましょう。「神の宮」なのですから。

8月29日

「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。」第一コリント3:16

私たちは神様の宮であるとはなんと驚くべきことでしょうか。神様が住まれるところとは!人も自分の住むべき場所を快適にするように、神様も私たちをご自分の住まいにふさわしく、内外共に清め、整え、快適なものと造り替えます。また、手入れし、管理しておられます。うちに宿っている御霊の意向を無視して、勝手な使い方をするなら叱られます。御霊の声に従順に従いましょう。「神の宮」なのですから。(KE)

苦しみを通して人は練り清められます

8月28日

「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである。」イザヤ38:17

「苦しみにあう」ことは人生の貴重な時間を無駄にしているように思われます。しかし、実はそれによって多くのめぐみを頂くのです。苦しみを通して人は練り清められます。ただ、そのときにはそれがわからないのです。小さな苦しみによってもっと大きな災いから逃れることができるのです。(KE)

安心を得たいと多くの人々は努めているのではないでしょうか

8月27日

「たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。」詩篇27:3

神様に信頼する時、何者をも恐れない生き方ができます。このような安心を得たいと多くの人々は努めているのではないでしょうか。しかし、金銀財宝を積み蓄えようとも、この平安を得ることはできません。むしろ、そのようなものから離れて、退路を断ち、神様のみに心を委ねることが幸いです。あなたの「頼むところ」はなんでしょうか。(KE)

「人の徳を高め」「益になる」ことを語れるように

8月26日

「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」エペソ4:29

聖書には「聞くにはやく、語るにおそく」と言われています。喧々諤々、口八丁などというように、語ることによって相手をやっつけることを「よし」とする風潮があります。しかし、そこからは決してよい結果は得られません。「人の徳を高め」「益になる」ことを語れるように、神様の知恵と力を求めようではありませんか。(KE)

共に喜び、共に悲しむ。それが愛です。

8月25日

「もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。」第一コリント12:26

体にはそれぞれの機能を持つ器官があって、それらが一つの身体になっています。どの器官も大切なもので不要なものはありません。同様に、家族や教会などの仕組みもそれぞれ異なった役割をになう構成員によって一体となっています。それぞれが大切な存在です。一つでも悩んだり、痛んだりするとき、そこに連なる全ての者が悩み憂います。共に喜び、共に悲しむ。それが愛です。(KE)

主人に受け入れられなければ使命を果たせません

8月24日

「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。」第二コリント6:8a

今、自分はどういう者として生きているか、常に自覚しておきたいものです。パウロは「神の僕」と告白しました。それは誰が自分の主人であるかを表明したのです。しもべは主人に忠実でなければなりません。また、主人を喜ばせることがしもべの役割でもあります。周囲の人々がどんな評価をしようとも、主人に受け入れられなければ使命を果たせません。私たちも「神の僕」として生きようではありませんか。(KE)

むしろ、人が真似の出来ないことだから、神様はなさるのです

8月23日

「神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信じられないことと思えるのでしょうか。」使徒26:8

キリスト教のつまずきの石として、処女降誕、イエス様の復活などが言われます。しかし、そのようなことが信じられない人はそもそも神様自体を信じられないのです。まず神様を信じるなら、神様は全能者ですから、人の知恵や知識を越えたどんなことでも出来ないことがないと信じるはずではないでしょうか。否むしろ、人が真似の出来ないことだから、神様はなさるのです。(KE)