「みわざ」はごく身近な日々の出来事です。

「主に感謝し、そのみ名を呼び、そのみわざをもろもろの民のなかに知らせよ。主にむかって歌え、主をほめうたえ、そのすべてのくすしきみわざを語れ。」詩篇105:1-2

「みわざ」とは神様のなさった事ですが、天変地変や超自然現象などの奇跡を言うのではありません。確かに、よく考えると、奇跡というほかないのですが、「みわざ」はごく身近な日々の出来事です。あなたが今日生きていること、食べることができて、動き回ることができる。何をとっても、「みわざ」以外にありません。「主のわざです」と感謝し、語ろうではありませんか。(KE)

私達のことを全て知っている方は造物主である神様です。

8月6日

「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。」詩篇139:23

「自分のことは自分が知っている」と思っているようですが、「灯台もと暗し」のごとく、案外知らないことが多いのです。私達のことを全て知っている方は造物主である神様です。また、人は「自分のことを誰も知らない」と言って孤独を感じ、不安を覚えます。そのため、人に知ってもらおうと願いますが、他人の思いや心を知ることは出来ません。しかし、神様が知っていることを自覚するとき、安心です。(KE)

自分の力でできませんから、神様に守ってもらうほかありません。

8月5日

「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」詩篇141:3

これは私達の日々の祈りでもあります。「口は災いのもと」と言われるように、僅かな言葉の行き違いで争いが始まり、反目の原因ともなります。しかし、人は口を制することができません。感情に任せ、正義感に駆られて言わなくてもいいことを言って後悔するのです。そうならないために、自分の力でできませんから、神様に守ってもらうほかありません。今日も、柔らかい、人の徳を高める言葉を使うことが出来るように祈りましょう。(KE)

どんなことにも神様の導きを確信するなら、平安ですし、感謝できます。

8月4日

「ラバンとベトエルは答えて言った、『この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません』。」創世記24:50

イサクのお嫁さんを探しにきたアブラハムのしもべに、リベカの父と兄が答えた言葉です。娘の一生がかかった結婚相手の選択のみならず、どんなことにも神様の導きを確信するなら、平安ですし、感謝できます。私たちも、選択と決断にあたって、主の導きをもとめてせつに祈り、その結果についてはつべこべ言わず、いさぎよく受けようではありませんか。それが信仰に生きることです。(KE)

自分を小犬にまで低くして、なお主の哀れみを求めました。

8月3日

「すると、女は答えて言った、『主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます』。」マルコ7:28

イエス様に助けを求めた女の人は、イエス様から断られました。「子供のパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」と。あなたは小犬のようなものだと言われた女の人は、「まさにその通りです」と、自分を小犬にまで低くして、なお主の哀れみを求めました。私たちに彼女ほどの真剣さがあるでしょうか。主の力を求めてもっと熱心に心を低くしようではありませんか。(KE)

イエス様を心に受けるとは、まさにその言葉を丸ごと信じることです。

8月2日

「よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう。」ヨハネ8:51

言葉とそれを語った人との関係は密接です。その人の性質、思想、価値観など、本質的なものが言葉の中に潜んでいます。イエス様の言葉(聖書の言葉)はまぎれもなくイエス様ご自身を現していると言えます。だから、イエス様を心に受けるとは、まさにその言葉を丸ごと信じることです。みことばを通して、イエス様の全てが注がれるのです。永遠の命もそこにとどまります。(KE)

神様の力、知恵、わざに期待して踏み出すことです。

8月1日

「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』。」ヨハネ5:8

どうしても出来ない、このほかに道がないなどと諦めていることがあります。そうであるかぎりいつまでも新しい事態は起りません。神様を信じて生きる道は人の常識、知恵、計画で事を限るのではなく、神様の力、知恵、わざに期待して踏み出すことです。38年も病気であった人は自分の考えに固執していましたが、イエス様の言葉に従ったとき、驚くべき結果が得られました。あなたも主の言葉を信じて、今あるところから踏み出しましょう。(KE)

「サタン」とは、神様に敵対し、人の心を神様から遠ざける力です。

7月31日

「イエスは振り向いて、ペテロに言われた、『サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている』。」マタイ16:23

「サタン」とは、神様に敵対し、人の心を神様から遠ざける力です。考えてみると、そのような力が私達の心をいつも攻めてきます。神様の思いを知りながら、それを拒むのです。サタンは見るからに怖そうな容貌をしていません。「そうだ、そうだ、お前の言うとおりだ」と、親しげに近づいてきます。そのとき、「サタンよ、引き下がれ」とキッパリ言い切って、神様の側に立ちましょう。(KE)

あなたに力がなければ、共に居られる主を信じてください。

7月30日

「主はまたギデオンに言われた、『民はまだ多い。彼らを導いて水ぎわに下りなさい』。」士師7:4a

神様は勇士ギデオンにミデアン人を撃つよう命じました。しかし、彼には軍隊もなく、戦にも慣れていません。神様の「わたしがあなたとともに行く」という言葉を信じました。義勇兵が3万人集まりましたが、神様は多すぎると言われ、300人にまで減らされました。それは人の力や数によるのではなく、神様の力によることがはっきり証しされるためです。あなたに力がなければ、共に居られる主を信じてください。そこに主の力が現れるからです。(KE)

人は強情で、頑なですから、なかなか神様に頼ろうとしません。

7月29日

「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない。」詩篇62:1-2

「苦しいときの神頼み」などと言いますが、「苦しい時」神様を頼れるなら、まだ幸いです。しかし、人は強情で、頑なですから、なかなか神様に頼ろうとしません。神様は私たちを救おう、助けようと構えておられるのですが、とことん行き詰るまで、そのことに気がつかないのです。はやく心安らかに過ごせるように、無駄な抵抗をやめて、神様を求めてください。(KE)