12月10日
「御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。」ヨハネ3:36
神様の救いは特定の人々にだけ予定されたものではありません。人種・男女の区別なく、文字通りすべての人々に開かれています。その選択と決断はあなたにゆだねられています。「信じる者」になるのか、「従わない者」になるのか、どちらかです。中途半端なグレーゾーンはありません。これはまた死後のことではなく、今現在、選択の結果を知ることができます。(KE)
12月10日
「御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。」ヨハネ3:36
神様の救いは特定の人々にだけ予定されたものではありません。人種・男女の区別なく、文字通りすべての人々に開かれています。その選択と決断はあなたにゆだねられています。「信じる者」になるのか、「従わない者」になるのか、どちらかです。中途半端なグレーゾーンはありません。これはまた死後のことではなく、今現在、選択の結果を知ることができます。(KE)
12月9日
「それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」伝道1:18
人の悩み、思い煩いは神様を忘れて知恵を求めた結果です。自分がなんでも知っておかなければおさまらないため、神様を押しのけて、知恵や知識を必要以上に持とうとします。しかし、どんなことをしても、神様を越える知恵や知識は得られません。私たちが知らなくても、神様は全てを知って、備え、導いておられることを信じて、ゆだねようではありませんか。知らなければならないことは、その時々に神様が教えてくださいます。(KE)
12月8日
「わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます。わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。」詩篇142:1-2
ダビデがサウル王の手を逃れてほら穴に潜んでいるときの詩篇といわれています。まるで幼子が火のついたように泣き叫んでいる姿が浮んできます。ダビデはただ神様だけに頼るほかなかったのです。また、彼は神様に対して率直に、包み隠さず、心のうちを注ぎ出します。私たちもダビデにならって遠慮なく、幼子になりきって神様に求めようではありませんか。(KE)
「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」エペソ5:10
道徳や倫理は人の生き方、行動の基準をあらわすものです。それは普遍的な原理原則であって、時代や場所によって変るものではありません。その根本はまさにこのみことばにあります。神様の前に人はどのようにあるべきかを問う時、自ずから人の道が決まります。神様を認めなければ道徳や倫理は成り立ちません。私たち個人の行動を律するのも、神様に「よし」とされるかどうかにかかっています。(KE)
12月6日
「神には、なんでもできないことはありません。」ルカ1:37
御使ガブリエルがマリヤに受胎告知をしたとき、驚き、恐れ、不安のなかにあるマリヤに語られた言葉です。神様は全能の神、出来ないことのない方です。この言葉を信じるなら、この世のことはすべて無きに等しいものです。神様のこの力を忘れるから、無きに等しいものが重大なことのように思われて、心を取り乱すことになります。多くの聖徒たちは全能の神の前にひれ伏すことによって勝利を得ました。(KE)
「だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。」マタイ23:3
イエス様の時代、律法学者やパリサイ人は立派なことを言うけれど、行いが伴っていなかったのです。どんなに良いことであっても、実行しなければ「絵に描いた餅」にすぎません。私たちの信仰もそうなってしまわないように、みことばを信じて、それに生き方を賭けようではありませんか。神様からの力と命を受けることができます。(KE)
12月4日
「人の子よ、ぶどうの木、森の木のうちにあるぶどうの枝は、ほかの木になんのまさる所があるか。」エゼキエル15:2
ぶどうの木は他の木々と違って、ぶどうの実を収穫する以外になんの役にも立ちません。建築材にも、家具や建具にも使えません。実らないぶどうの木は切り取られて焼かれてしまうだけです。それと同様に、神様の創造の目的に適わなければ私たちもまたぶどうの木同然です。ぶどうの木であるイエス様につながる枝となって、実を結び、農夫である神様に喜ばれようではありませんか。(KE)
12月3日
「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」イザヤ9:2
今年もアドヴェント(待降節)に入りました。毎年繰り返されることですが、その歳年によって、感じるところが変り、一つとして同じことはありません。現代はいろんなことが行き詰った状況にあります。周囲は闇に包まれたような不安を感じますが、このようなときこそ、救い主がいらっしゃることに目を向けて、光に照らされ、主にあって喜び、望みを持ち、耐え忍んで生きようではありませんか。(KE)
12月2日
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」エレミヤ29:11
わたしたちは明日のことも分からないほど、無知蒙昧です。一方、神様は全知全能なる方、しかも、創造者です。私たちの過去、現在、将来にわたって事を定めなさるのは神様であって、わたしたちではありません。しかも、神様は善き事をすると言われるのです。感謝ではないですか。(KE)
12月1日
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」イザヤ55:8
人は「万物の霊長」と称して、どんなものよりも賢いものだと自負しています。神様よりも有能であるかのように思い上がっていますが、所詮、人は造られたものにすぎません。神様の力、知恵は到底知り尽くせないものです。だから、人の知らないことがあるのは当然のことです。日々の生活にあっても、事の大小を問わず、全てが神様のみ思いにあることを認めようではありませんか。それが人の生き方です。(KE)