神様は大きな力ある方。目を高く上げて神様を見てください。

6月28日

「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」イザヤ40:26a

普段の生活では上を向くより下を見るほうが多いようです。そのため、小さなこと、些細なことに囚われて、大きなものに気がつきません。心のありようも同じです。目先のこと周囲の小さなことに心が支配されて、暗く沈んだものになります。神様は大きな力ある方。目を高く上げて神様を見てください。目の前の悩みも問題も何と小さく、なんとつまらないものかと思われます。心を常に神様へ向けておきましょう。不安も恐れも心配も消えます。(KE)

神様に頼らなければならない者であることを誇り、公言したのです。

6月27日

「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。」詩篇18:2

ダビデ王の歌と表題に書かれていますが、一国の王が何かにすがらなければならないのでは勤まりません。民に信頼されてこそ王です。しかし、ダビデ王は自分の弱さを隠さず、むしろ神様に頼らなければならない者であることを誇り、公言したのです。神様は彼の絶大な信頼に答えてくださいました。私たちは神様をどのような方としているでしょうか。「主はわが○○」と言い得るなら幸いです。(KE)

あなたを料理と譬えたらどんな味でしょうか。

6月26日

「塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい。」マルコ9:50

日本語に「塩梅」がいい、悪いという言葉があります。料理の味加減を表すことばですが、殊に、料理をするとき塩は不可欠です。塩気のない食事ほど不味いものはありません。また、「ぜんざい」などの甘いものでも適度な塩を隠し味とします。それによって深みが出るからです。あなたを料理と譬えたらどんな味でしょうか。(KE)

神様は哀れみのゆえに忍耐しておられます。

6月25日

「そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。」マタイ24:40,41

神様はすべての人が救われるように願って、哀れみのゆえに忍耐しておられます。神様は愛の方ですが、同時に「義」なる方でもあります。世の終りのとき、全てのものが裁かれます。みことばのように、その裁きは曖昧ではなく、過酷で峻厳です。神様のご愛と恵みを軽んじるなら救われる道は失われます。(KE)

神様の言葉は人の知識や理解力を超えたものです。

6月24日

「あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している。」マルコ7:8

世の人の言葉や先祖伝来の言い伝えなどはたやすく信じ込みます。ところが、神様の言葉、聖書の言葉をなかなか信じようとしません。神様の言葉(いましめ)を素直に信じるにはこの世の常識、言い伝え、習慣などを離れなければ信じられないからです。神様の言葉は人の知識や理解力を超えたものです。私達は固定観念に縛られ、そのため狭く限られた選択肢しかありませんが、神様の言葉を信じると無限の可能性が出てきます。(KE)

与えられているものを感謝する心へ変ることが今求められています。

6月23日

「それから人々にむかって言われた、『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである』。」ルカ12:15

日本をはじめ世界の各国々は豊かさを求めて自然を破壊し、地球の温暖化を引き起こしています。その根本は豊かな物質によって命が増し加わると誤解した結果です。「貪欲」は偶像礼拝であって罪だと言われています。必要以上のものを持ちたいと言う欲求から、与えられているものを感謝する心へ変ることが今求められています。(KE)

 

私たちの願いを聞いてくださらないはずはありません。

6月22日

「王は彼女に言った、『王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう』。」エステル5:3

ペルシャ王国の王妃となったエステルは、同胞の危機にあたって大胆に王の前に出ました。必死の覚悟で立つ王妃にかけた王の言葉です。これはまた神様が私たちにかけてくださる呼びかけです。「何を求めるのか。あなたの願いは何か」と。神様は御子イエス様の命をも惜しまない方。まして、私たちの願いを聞いてくださらないはずはありません。ただ王妃のような切なる願いが必要です。(KE)

ただ神様の言葉だけをたよりに作業を進めたのです。

6月21日

「そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。」創世記7:16b

ノアは神様の命によって箱舟を作りました。はじめた時、彼はその全体計画を全く知らず、ただ神様の言葉だけをたよりに作業を進めたのです。命じられたように全ての生き物を箱舟に入れおわったとき、箱舟の戸が閉ざされました。ノアが閉めたのではありません。「主は・・・閉ざされた」のです。もはや内側からも外側からも、それを開くことはできません。箱舟はイエス様の十字架です。今は救いの戸が今や閉ざされようとしている終末です。あなたは大丈夫?(KE)

創造者である神様はあなたのことを内外共にすべて知っています。

6月20日

「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。」詩篇139:1-2

自分のことを誰も知ってくれないと嘆きますが、どんなに身近な家族であっても、その人の思いや心の隅々を知り尽くすことは出来ません。人と人との関係には限界があります。しかし、創造者である神様はあなたのことを内外共にすべて知っています。これはなんと慰められることでしょう。ことごとく知られているのだから、神様の前で飾らず裸になりましょう。(KE)

隠しているつもりでも、神様の目には全て明らかです。

6月19日

「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15

人が悪しきことを思い計る時、誰も知るものがいないと思っています。しかし、「頭隠して尻隠さず」のように、隠しているつもりでも、神様の目には全て明らかです。神様の視線を絶えず感じることができるなら、幸いな生涯を送ることが出来ます。企業は政治家の不公正な行為や虚偽も、その原因は神様に見られている事を忘れるからです。(KE)