ただ、羊飼いの導かれるままに従う事が命を保つ秘訣です。

10月30日

「主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。」詩篇95:7

羊を飼う習慣が日本にはありませんが、羊は飼う者がいなければ自分の力で生き延びることができないそうです。牙も、角も、爪も、速い足も、戦うためのものはなにもありません。ただ、羊飼いの導かれるままに従う事が命を保つ秘訣です。それは私たちと神様との関係でもあります。神様に守られ養われる羊であることを自覚して、心の耳をひらき、その声を聞き、従いましょう。(KE)

神様は失われたものを取りもどすためイエス様を世に遣わしてくださいました。

10月29日

「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。」詩篇24:1

人は神様に造られ、神様の所有でした。ところが、神様の位を奪い、自分を神とするようになり、人は神様のものを盗み取ったのです。その結果、世界は暗黒に覆われ、無秩序と混沌がはびこり、情欲によって穢されたものとなりました。神様は失われたものを取りもどすためイエス様を世に遣わしてくださいました。すべてのものを「主のもの」とするためです。イエス様の命を代価に買われたあなたは神様のものです。(KE)

 

幾分かでも自分以外の貧しい人々のために使う心のゆとりを持っているでしょうか。

10月28日

「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。」レビ19:9

これは神様が命じられる掟ですが、それは弱い者、貧しい人々など、社会の底辺にある人々を忘れないようにとのことです。彼らが落ち穂を拾うことで生活できるようにするためです。現代では刈入れをしませんが、収入の全てを自分のためにだけ使い尽くすのではなく、幾分かでも自分以外の貧しい人々のために使う心のゆとりを持っているでしょうか。(KE)

神様は人をどれほど愛しておられるかを語っています。

10月27日

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」創世記1:27

神様の創造のわざのなかで、唯一「人」を造られたとき、神のかたちに造られたのです。これは人がそれ自身で尊い存在であることを表すものです。また他の被造物と違って、神様は人をどれほど愛しておられるかを語っています。「親に似ぬ子は鬼の子」などと言いますが、「神のかたち」を失った私たちを創造の原型に従って再創造するためにイエス様はこの世に来てくださったのです。(KE)

御霊によって信じる心が与えられるのです。

10月26日

「わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。」ガラテヤ1:12

パウロはイエス様の直弟子ではなく、そのため使徒と呼ばれる人達から軽んじられ、信頼されない時期がありました。しかし、それゆえに、彼の信仰は聖霊によって教えられ、また、直接よみがえったイエス様に触れて不動のものとなりました。信仰は人から説得されたり、高名な指導者に導かれて得られるのではありません。御霊によって信じる心が与えられるのです。それは神様の恵みです。(KE)

神様がなさるならどんなことでも出来ます。あなたはそれを信じますか。

10月25日

「神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信じられないことと思えるのでしょうか。」使徒26:8

日本人は神様も得意・不得意があるものと思うようで、家内安全無事息災、家業繁栄交通安全学業優秀など専門領域があります。しかし、真の神様はできないことのない、何でもできる方です。そうでなければ神様といえません。死人を生かすなど、人には決して出来ませんが、神様にできないはずがない。神様がなさるならどんなことでも出来ます。あなたはそれを信じますか。(KE)

イエス様の救いは主を信じる者たちを「神の子」にしてくださることです。

10月24日

「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネ1:12

イエス様の救いは主を信じる者たちを「神の子」にしてくださることです。私たちは到底神の子などになれるわけがありません。しかし、処女マリヤに聖霊が臨み御子イエス様が神の子として生まれたように、聖霊が私たちを神の子として生んでくださるからです。イエス様を信じる私たちは神様の家族、神様を「お父さん」と呼ぶ関係に入れられています。(KE)

この新しい契約は今も信じるすべての人々に有効なものです。

10月23日

「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」マタイ26:28

十字架の死を目前にして、イエス様は弟子達と食事をしました。そのとき、杯をとって語られたのがこの言葉です。主はご自分の死によって、すべての人々の罪を許し、無罪放免の契約に血判を押してくださいました。なんと大きな喜びでしょうか。この新しい契約は今も信じるすべての人々に有効なものです。あなたも神様に罰せられない保証をいただいたのです。この言葉を信じて感謝しようではありませんか。(KE)

聖書をとおして語られる神様は、今も生き働いておられる方です。

10月22日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

聖書をとおして語られる神様は木や石で作った神ではなく、また木偶の坊でもありません。今も生き働いておられる方です。しかも人を創造し不変の秩序で治めています。私たちの一挙手一投足から口の言葉、心の思いまで知り尽くして必ず報われます。人からの賞賛や報いを得なくても、神様の賞与を期待しつつみこころに従いましょう。(KE)

「言葉を守らず」「主に問うこと」をしなかったことです。

10月21日

「こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、主に問うことをしなかった。」歴代上10:13-14a

サウル王は神様から立てられた王でありましたが、民衆を恐れて神様に従わなかったために、王位から退けられました。その後の彼の生涯はまことに惨めで、悲劇のうちに終わりました。決定的な失敗はなんと言っても(KE)