神様は人をどれほど愛しておられるかを語っています。

10月27日

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」創世記1:27

神様の創造のわざのなかで、唯一「人」を造られたとき、神のかたちに造られたのです。これは人がそれ自身で尊い存在であることを表すものです。また他の被造物と違って、神様は人をどれほど愛しておられるかを語っています。「親に似ぬ子は鬼の子」などと言いますが、「神のかたち」を失った私たちを創造の原型に従って再創造するためにイエス様はこの世に来てくださったのです。(KE)

御霊によって信じる心が与えられるのです。

10月26日

「わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。」ガラテヤ1:12

パウロはイエス様の直弟子ではなく、そのため使徒と呼ばれる人達から軽んじられ、信頼されない時期がありました。しかし、それゆえに、彼の信仰は聖霊によって教えられ、また、直接よみがえったイエス様に触れて不動のものとなりました。信仰は人から説得されたり、高名な指導者に導かれて得られるのではありません。御霊によって信じる心が与えられるのです。それは神様の恵みです。(KE)

神様がなさるならどんなことでも出来ます。あなたはそれを信じますか。

10月25日

「神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信じられないことと思えるのでしょうか。」使徒26:8

日本人は神様も得意・不得意があるものと思うようで、家内安全無事息災、家業繁栄交通安全学業優秀など専門領域があります。しかし、真の神様はできないことのない、何でもできる方です。そうでなければ神様といえません。死人を生かすなど、人には決して出来ませんが、神様にできないはずがない。神様がなさるならどんなことでも出来ます。あなたはそれを信じますか。(KE)

イエス様の救いは主を信じる者たちを「神の子」にしてくださることです。

10月24日

「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネ1:12

イエス様の救いは主を信じる者たちを「神の子」にしてくださることです。私たちは到底神の子などになれるわけがありません。しかし、処女マリヤに聖霊が臨み御子イエス様が神の子として生まれたように、聖霊が私たちを神の子として生んでくださるからです。イエス様を信じる私たちは神様の家族、神様を「お父さん」と呼ぶ関係に入れられています。(KE)

この新しい契約は今も信じるすべての人々に有効なものです。

10月23日

「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」マタイ26:28

十字架の死を目前にして、イエス様は弟子達と食事をしました。そのとき、杯をとって語られたのがこの言葉です。主はご自分の死によって、すべての人々の罪を許し、無罪放免の契約に血判を押してくださいました。なんと大きな喜びでしょうか。この新しい契約は今も信じるすべての人々に有効なものです。あなたも神様に罰せられない保証をいただいたのです。この言葉を信じて感謝しようではありませんか。(KE)

聖書をとおして語られる神様は、今も生き働いておられる方です。

10月22日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

聖書をとおして語られる神様は木や石で作った神ではなく、また木偶の坊でもありません。今も生き働いておられる方です。しかも人を創造し不変の秩序で治めています。私たちの一挙手一投足から口の言葉、心の思いまで知り尽くして必ず報われます。人からの賞賛や報いを得なくても、神様の賞与を期待しつつみこころに従いましょう。(KE)

「言葉を守らず」「主に問うこと」をしなかったことです。

10月21日

「こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、主に問うことをしなかった。」歴代上10:13-14a

サウル王は神様から立てられた王でありましたが、民衆を恐れて神様に従わなかったために、王位から退けられました。その後の彼の生涯はまことに惨めで、悲劇のうちに終わりました。決定的な失敗はなんと言っても(KE)

私たちは福音のゆえに少しでも痛い思いをすると、すぐに逃げ出します。

10月20日

「しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいる間に、彼は起きあがって町にはいって行った。」使徒14:20a

パウロがルステラの町で伝道しているとき、反対する者達が押しかけてきて、彼を石で打ち、町の外へ捨てました。弟子達が見守っていると、やわら起き上がり、また再び町に入っていくのです。なんと驚くべきパウロの信仰でしょうか。私たちは福音のゆえに少しでも痛い思いをすると、すぐに逃げ出します。まことに恥ずかしいかぎりです。パウロは弱いところに働くキリストの力が与えられたのです。(KE)

神様が「よし」と言われることを、言い逆らうなど許されません。

10月19日

「すると、二度目に天から声がかかってきた、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。」使徒11:9

ペテロが空腹で夢うつつになっているとき、生き物が入った布の入れ物が吊り下げられ、これらを食べなさいと声が聞こえました。彼は律法に立って、それを拒みました。しかし、神様が「よし」と言われることを「それはだめです」と言い逆らうなど許されません。案外、私たちも同じことをしているのではないでしょうか。人の知識・知恵・考えで、神様のみこころを損なう事のないよう謙虚な心で従いましょう。(KE)

罪と咎とに死んでいた私たちは主の復活の力、御霊に満たされて今日も生きるものとされています。

10月18日

「主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。」エゼキエル37:5

預言者エゼキエルは枯れた骨が満ちている谷へ導かれてきました。そのとき神様は骨に預言して語られたのです。すると四方から息が吹いて来て骨に筋ができ、肉が覆い、生きたものとなりました。これはまさに神様の息、聖霊に生かされる私たちの姿です。罪と咎とに死んでいた私たちは主の復活の力、御霊に満たされて今日も生きるものとされています。(KE)