人は神様によって生かされ、持ち運ばれているのです。

2月1日

「わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。」ルカ11:3

「主の祈り」の一節ですが、私たちが誰によって養われているかを語っています。人は自分の働きによって日々の糧を得ているように思っています。しかし、人は神様によって生かされ、持ち運ばれているのです。近頃、貧富の差が大きくなり、生活にも事欠くニュースを耳にします。そのような中で、余るほどではなくても、日々、食べることができるのはただ神様の憐みと言うほかありません。感謝です。(KE)

よみがえったイエス様が新しいいのちとなって私たちのうちに宿っています。

1月31日

「それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」ローマ6:4b

イエス様が十字架に死んだのち、墓からよみがえられたのは罪と愆(とが)とに死んでいたものを十字架によって完全に滅ぼして、イエス様と同じようによみがえらせ、生きるようにするためです。よみがえったイエス様が新しいいのちとなって私たちのうちに宿っています。もはや一瞬たりともイエス様抜きに生きることはできません。(KE)

頼るべき相手は人よりはるかに優れたもの、神様以外にありません。

1月30日

「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。」イザヤ2:22

人は愚かなもので、自分のできない事でも他人にはできると過大評価しやすいのです。相手ができないと無能呼ばわりしますが、それは滑稽なことです。まず自分が出来ないことは自分と同類の他人もできないと知るべきです。頼るべき相手は人よりはるかに優れたもの、神様以外にありません。人に対して「裏切られた」「失望した」と言うとき、信頼すべき相手を間違えたあなたが悪いのです。(KE)

空にすれば満ちてきますし、満杯であればそれ以上は入りません。

1月29日

「施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。」箴言11:24

世の中には功利主義なるものがはびこり、与えれば減り、惜しめば増えるものと思っています。しかし、決してそうではありません。空にすれば満ちてきますし、満杯であればそれ以上は入りません。すべてのものの供給者は神様であって、人の計算で測れる方ではなく、計算外の手をつかい溢れるばかりに満たしてくださいます。神様の報いを期待して、手の内を空っぽにする人を求めておられます。(KE)

不思議をおこなわれるゆえに神様です。

1月28日

「わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。」 詩篇40:5a

神様の呼び名は別名“不思議”と言われています。それは人の思いもよらない事態や事をなさるからです。人の僅かな知恵や知識で理解し、納得できる程度の事しかできない方であれば、信じる値打ちがありません。不思議をおこなわれるゆえに神様です。また、私たちに対する愛に満ちたみ思いは親兄弟以上です。この方以外に信頼に足るべき方がほかにいるでしょうか。(KE)

自由を得たゆえにこそ神様に応答する責任があります。

1月27日

「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。」第一コリント10:23

イエス様の十字架によって、肉なるものの力、サタンの支配から解放され、自由を得たのです。しかし、それゆえにこそ神様に応答する責任があります。求められる基準が変ります。自由を与えられたのは、自らの意思によって「益」となる道、「徳」を高める道を選択するためです。(KE)

神様は知恵を与え、知識を増し加えることのできる方です。

1月26日

「彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。」使徒6:10

ステパノは迫害をうけ殉教しましたが、その原因は海外から帰国したユダヤ人たちと論争して、彼らを論破したことです。彼の力は神様から与えられた霊の知恵を頂いていました。自分の持てるものを見ると、失望するしかありませんが、神様は知恵を与え、知識を増し加えることのできる方です。神様は知恵の無い者を選び、ご自身のわざを現されます。御霊に満たされて、神様の力を味わい体験してください。(KE)

人は自分の「本心」がどこにあるのかわからずにいます。

1月25日

「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。」使徒3:19

人は地位や名誉、仕事や学歴、家柄や才能、自尊心や優越感などなど、さまざまな衣装を十重二十重(とえはたえ)に着込んでいるため、自分の「本心」がどこにあるのかわからずにいます。人の「罪」は神様に対するものであって、着ているものとは関係なく、脱ぎ捨てて裸になった自分のありようです。とかく、外側のものに邪魔されて自分を見失ってしまいます。赤裸々な自分を知って、悔改め、許しの恵みを受けてください。(KE)

神様はあなたが喜ぶのを楽しみにしています。求めてください。

1月24日

「今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。」ヨハネ16:24

私たちの祈りを神様が聴いて答えてくださるのは、イエス様の名によって祈るからです。父なる神様は御子のとりなしによる祈りに答えないはずはありません。また、それゆえに確信をもって祈ることができます。私たちの状態や功績に関係なく、ただ御子によるのですから。神様はあなたが喜ぶのを楽しみにしています。求めてください。(KE)

信じるのか、信じないのか、これはすべての人の決断にかかっています

1月23日

「御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。」ヨハネ3:36

神様の救いは例外なくすべての人に開かれたものです。問題は私たちの側にあります。御子イエス・キリストを信じるのか、信じないのか、これはすべての人の決断にかかっています。信じるなら救われます。信じないなら、それ自体で滅びの生涯、裁きの下にあるのです。神様は決してご自分から私たちを滅ぼす方ではなく、人が自ら滅びの道を選んでいるだけです。(KE)