6月7日
「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24
私達は不平・不満の多いものです。その原因は「自分」の願い、思いにしがみつくからです。そこには神様を思う心がありません。私達は被造物であり、神様は造物主です。神様の手によらないものはありません。しかも、人の知恵・知識を越えたご計画に基づいて創造されたものばかりです。心を低くして神様を信じて見直す時、驚きと感謝以外にありません。(KE)
6月7日
「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24
私達は不平・不満の多いものです。その原因は「自分」の願い、思いにしがみつくからです。そこには神様を思う心がありません。私達は被造物であり、神様は造物主です。神様の手によらないものはありません。しかも、人の知恵・知識を越えたご計画に基づいて創造されたものばかりです。心を低くして神様を信じて見直す時、驚きと感謝以外にありません。(KE)
6月6日
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33b
イエス様を信じて信仰に生きる生活にも悩みが尽きません。信仰は役に立たないように思われますが、そうではありません。なぜなら、イエス様も私たちと同じ、否、それ以上の悩みを経験しましたから、なやみの中で信仰にたっていると、主の力を味わうことが出来、主を知り、主と連帯し、勝利の凱旋に導かれるのです。だから、勇気を出して、勝利者なる主を見上げて前進しましょう。(KE)
6月5日
「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」ローマ14:8
現代は死を恐れて、生きることばかりに精力を傾けます。死は敗者であって、長く生きつづけることが正義であり、勝利者であるかのように。しかし、生きることも死ぬことも実は同じです。私たちが「主のもの」となりきるとき、生きることも死ぬことも超越したものとなります。生死にこだわり続けるかぎり、あなたの存在の価値が失われます。(KE)
6月4日
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ11:28
人生にはさまざまな重荷があり、途切れることがありません。一つ二つならば、なんとか耐えられますが、絶え間なく負わされると息切れがします。重荷を肩代わりしてくれる人がおればどんなに楽でしょうか。イエス様は「わたしのもとにきなさい」と言われます。あなたの心を重くしているものがあるなら、遠慮せずに、みことばを信じて委ねてください。イエス様は重荷を取ってくださいます。(KE)
6月3日
「信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。」ヘブル11:27
信仰はある種の「賭け」です。宝くじを買う時、僅かでも当るかもしれないと、その期待に賭けます。ただ、信仰は限られた金額を賭けるのではなく、命を賭けるのです。モーセは様々な問題・困難のなかで、「見えないかた」に全身全霊を賭けて決断し、忍耐し続けました。「忍びとおす」とは結果を考えないで、命の尽きるまで忍ぶのです。「見えないかた」を見ていますか。(KE)
6月2日
「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか。」ルカ17:17-18
イエス様によって病を癒された十人のうち、サマリヤ人がひとり主のもとに感謝を奉げました。私達は神様からどんな大きな恵みをいただいていることか考えると、どんなに感謝しても足りません。イエス様が願っておられることは、私たちが神様を褒め称え、感謝することです。それによって神様の栄光があらわされるのです。(KE)
6月1日
「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。」ルカ6:32
神様が私たちに求めておられることは、「自分」という殻を出ることです。「愛してくれる者を愛する」世界にとどまる限り、神様の力、恵み、愛を知ることができません。その境界線を一歩でも、半歩でも越えるとき、神様の世界に入ることができます。自分の力では出来ませんが、死からよみがえった主の力にすがる時、あなたも未知の世界に入れます。勇気を出して、踏み出してください。(KE)
5月31日
「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。」マタイ7:24
地震や大雨による被害が伝えられています。思いがけないときにとんでもない災害が起ります。しかし、そのとき、いろんなものの真価が問われます。人生においても同じです。事もなく順調なときには皆同じに見えますが、ひとたび問題にぶつかると、揺さぶられ崩れます。何を拠り所にしているか、その土台が何であるかによって結果が出ます。あなたの土台は大丈夫ですか。(KE)
5月30日
「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」マタイ6:3
左右の手は最も近い関係にあるものでしょう。双子のような関係でしょうか、いろんなことを共有します。そのような密接な関係であっても、「知らせるな」と言われます。それは目に見えない神様を信頼するためです。人に知られて、賞賛され、褒められると、神様からの報いをいただけません。信仰に生きる生活は神様の報いを体験することです。人間的な関係を捨てて、神様と私の関係に生きようではありませんか。(KE)
5月29日
「主の使は彼に言った、『わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか』。」士師13:18
神様の名は「不思議」です。まさに、その名のごとく、人が感嘆の声をあげて、「不思議だ!」と言うほかないことをされます。浅はかな知恵しかもたない私たちが想像できることしかできないなら、神様とは言えません。人の意表をつき予測しがたいことこそ「神様らしい」のです。神様が事を起し、わざをなさるのですから、身近な自分を含め、理解しがたいのは当然です。(KE)