無感動な心を砕いて、喜びを新しくしましょう。

5月18日

「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示2:4

「喉もと過ぎれば熱さ忘る」と言われるように、何事でも最初の感動や恐怖など、時が過ぎると忘れてしまうものです。それもまた幸いなことでもありますが、忘れてはならないことがあります。殊に、神様のご愛を知り、救われた喜びと感謝は決して忘れてはなりません。花嫁のときの新鮮で初々しい思いを主に対して持ち続けたいものです。焼き冷ましの餅のような、固く、無感動な心を砕いて、喜びを新しくしましょう。(KE)

必要なときに神様の絶大な力が注がれれば出来ないことはないのです。

5月17日

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13

聖徒パウロは肉体的な弱さを持っていました。そのため、神様に強くして欲しいと願っていました。やがて、自分の弱さを通して神様の力があらわれることを知りました。弱くて知恵も無く、小さな私たちにも、必要なときに神様の絶大な力が注がれれば出来ないことはないのです。どのような高級車であっても、ガソリンがなければ走りません。日々、神様からの力を与えられて生きようではありませんか。(KE)

絶えず、自分を顧みて、取り除くべきものが何かを自覚しましょう

5月16日

「銀から、かなくそを除け、そうすれば、銀細工人が器を造る材料となる。」箴言25:4

鉱石から金属を取り出しただけでは不純物が多くて役に立ちません。それをさらに丹念に精錬して「かなくそ」(不純物)を取り除くと、素晴らしい材料となります。神様は私たちを神の作品に造ろうとしておられます。素材が良くないと良い結果が得られません。そのため、私たちを精錬し、鍛え、神様の意に適ったものとしようと、さまざまな事の中を通しておられます。絶えず、自分を顧みて、取り除くべきものが何かを自覚しましょう。(KE)

主の愛を信じて、安らかに、喜んで、くつろいで、愛の手に任せましょう。

5月15日

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。」ヨハネ15:9

 

神様はひとり子のいのちをも惜しまないほどに、私たちを愛しておられます。そのような神様は私たちに悪しきことをなさるはずがありません。それどころか、「愛のうちに」いなさいと言われます。幼子が母の胸に安らいでいるように、主の愛を信じて、安らかに、喜んで、くつろいで、愛の手に任せましょう。(KE)

心が弱るとき何によって力を得るでしょうか。

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」イザヤ40:31

 

人は元気でいたいと願いますが、残念ながらスーパーマンではありません。必ず、弱り元気を失います。肉体的な疲れは休養すれば回復するでしょうが、心が弱るとき何によって力を得るでしょうか。それは神様の力によらなければ回復できません。神様を信頼して待ち望むとき、神様の力が弱った心を持ち上げ、聖霊の風によって持ち運んでくださいます。(KE)

神様については知識として知っても役に立ちません。

5月13日

「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される。」ホセア6:3

 

何事でも知ろうと求めなければ得られません。神様を知るにも積極的に求めなければ知ることが出来ません。また、知識として頭で知ることと、体験的に知る方法とがあります。しかし、神様については知識として知っても役に立ちません。毎日の出来事をとおして、神様に手で触れ、交わり、味わうことで深く主を知りたいものです。(KE)

悪い知らせを聞いても、神様にはできない事がありませんと信じ続けることが大切です。

「すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。」ローマ4:19

 

信仰の父と言われるアブラハムについて語られた言葉ですが、彼の信仰の真骨頂は、「認めながらも」の姿勢です。とかく人は「見ざる」「聞かざる」で盲目的に信じようとしますが、それでは真の信仰といえません。悪い知らせを聞いても、状態を見ても、神様にはできない事がありませんと信じ続けることが大切です。(KE)

神様にゆだねて、今あることを心から感謝しようではありませんか。

5月11日

「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」詩篇118:1

 

今年もはや五月となりました。この間にもいろいろなことがありましたし、今もその中で悩んでいるでしょう。しかし、どのような事情・境遇にあってもすべてのことをつかさどり、持ち運ばれる神様は、「恵みふかく、そのいつくしみ」豊かな方です。その方の手にゆだねて、今あることを心から感謝しようではありませんか。(KE)

柔をもって剛を制すること。イエス様の生涯はそのような生き方です。

5月10日

「柔らかい答は憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす。」箴言15:1

 

人と人との争いは、ごく些細な口論から始まります。「売り言葉に買い言葉」というように、相手の態度に振り回される結果です。問題は相手にあるのではなく、自分にあるのです。相手の激しい言葉に支配され影響されるとき、こちらも一層激しくなります。そうである限り、相手の土俵に引き込まれているのです。それを断ち切るには柔をもって剛を制すること。イエス様の生涯はそのような生き方です。まず、平和をつくる者となってください。(KE)

現実の問題や困難をさけるのではなく、その只中に生きる力こそ信仰です。

5月9日

「翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。」ルカ9:37

 

これは不思議な体験をした「変貌山」の記事に続いた言葉です。イエス様と弟子達は神様の栄光に包まれ、天国の体験をしました。いつまでもそこに留まることを願いましたが、現実の世界へともどってきました。信仰生活は浮世離れした世界で生きるのではなく、苦しみと悩み、病気や貧困などの満ちた人々の中で生きることです。現実の問題や困難をさけるのではなく、その只中に生きる力こそイエス様を信じる信仰です。(KE)