「できない」と言わずに、み言葉を信じて踏み出してください

5月8日

「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」第一ヨハネ3:18

 

言葉だけであったり、口先だけの話なら、絵に書いた餅にすぎません。信仰はそのようなものではなく、実態を伴うものです。イエス様の自分を捨てた犠牲的愛を信じるなら、そのように体験しなければ信仰の完成はありません。また、信じたこと、聞いたことを、身をもって経験するとき、それらがはじめて自分のものとなります。「できない」と言わずに、み言葉を信じて踏み出してください。(KE)

シモンは自分の経験や知識を捨ててイエス様の言葉を信じました。

5月7日

「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』。」ルカ5:5

 

ゲネサレ湖畔で群衆に教えられたのち、イエス様はシモンに沖へこぎ出し漁をするよう言いました。シモンは代々漁師の子で、漁の専門家、イエス様は大工の子、どちらが正確な知識があるでしょうか。シモンは自分の経験や知識を捨ててイエス様の言葉を信じました。そして、その通りに行動したのです。主の言葉に従うとき、あなたも神の業を体験します。(KE)

神様はあなたに心を注いでおられるのです。そのあかしがイエス様の十字架です。

5月6日

「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう。」ルカ15:10

 

世間では数が多ければ勢いを誇示できると思いがちです。しかし、神様が求めておられるのはただあなた一人です。ひとりの悔い改めが天での大きな喜びを引き起こします。それほどに、神様はあなたに心を注いでおられるのです。そのあかしがイエス様の十字架です。どんな境遇にあっても、今日、主のご愛と顧みを感じつつ生きてください。(KE)

園丁であるイエス様は今日も十字架の血を携えてとりなしておられます。

5月5日

「すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから』。」ルカ13:8

 

ぶどう園の主人はイチジクの木を植えていました。しかし、実が実らないので切り倒すように命じました。イチジクの木は私たちのことです。いつまでも、神様のみこころに従わないで、自分勝手な生き方をしているゆえに、切り倒そうとしています。園丁であるイエス様は今日も十字架の血を携えてとりなしておられます。悔改めて、主のみこころに従い、実を結ぶ者となりましょう。(KE)

共に喜び泣くことの出来る方はイエス様以外にありません。

5月4日

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」ローマ12:15

 

美しい言葉です。名筆の書にして、飾っておくには最適ではないでしょうか。しかし、これを実行せよと言われると、不可能です。一見、出来そうに思われますが、「喜ぶ者と共に喜ぶ」ことすら、本当にそれが出来るか問われるなら、喜ぶ者を妬み、うらやむことしか出来ません。一方、「泣く者」と共に泣くことも困難です。共に喜び泣くことの出来る方はイエス様以外にありません。一歩でも、半歩でも、主に倣う者となるために、祈りつつ力をいただきましょう。(KE)

神様の恵みをいただく秘訣は全て私たちの態度にかかっています。

5月3日

「主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。」哀歌3:25

 

神様は真実な方ですから、私たちが神様をどのように信頼するかによって答えてくださるのです。「あなただけです」と、一心になって信頼するならばそのように報いてくださいますが、軽くあしらい、他に頼るものがあれば、そのように応答されます。神様の恵みをいただく秘訣は全て私たちの態度にかかっています。心と思いを清めて真実に信頼し、神様の恵みと救いを体験しましょう。(KE)

 

主はあなたのすべてを分かち合うことができます。

5月2日

「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18

 

イエス様はよみがえって、わたしたちとともにいてくださいます。それは私たちを慰め、励まし、導き、守ってくださるためです。主は私たちと同じ試練を受け、同じ目線で同じ場所に立ってくださいます。家族であってもお互いの気持を理解することは困難ですが、主はあなたのすべてを分かち合うことができます。この方に信頼し、打ち明け、求め、従うなら、どんなに幸いなことでしょうか。(KE)

神様が喜ばれることは主を恐れ、そのご愛と恵みを信頼する人です。

5月1日

「主は馬の力を喜ばれず、人の足をよみせられない。主はおのれを恐れる者と、そのいつくしみを望む者とをよみせられる。」詩篇147:10-11

 

誰でも力のあるものを頼ろうとします。その結果、知力、経済力、政治力、軍事力など、「馬」や「足」の力を求めますが、それらは必ず失望に終わります。神様が喜ばれることは主を恐れ、そのご愛と恵みを信頼する人です。今日も、主の恵みを信じて信頼してください。(KE)

神様は心を探り、思いを知り尽くしています。

4月30日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

 

人は外見やうわべの様子で他人を知る以外に方法がありません。まして、その人の心がどんなであるかは分かりません。しかし、神様は心を探り、思いを知り尽くしています。ただ知っているだけでなく、その心と思いの結果について報われるのです。その意味で、神様は怖い方であり、侮るべきものではありません。神様の賞賛と報いを期待する歩みをしましょう。(KE)

恥も外聞もかなぐり捨てて主に感謝せずにいられなかったのです。

4月29日

「ダビデはミカルに言った、『あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう』。」サムエル下6:21

 

ダビデ王は久しく奪われていた神の箱(契約の箱)をダビデの町に迎えました。彼は嬉しくて王の立場も忘れて箱の前で踊りました。今あるのは神様のただ恵みと憐れみによることを思って、恥も外聞もかなぐり捨てて主に感謝せずにいられなかったのです。私達はこれほどの感謝を主に奉げているでしょうか。(KE)