目標がはっきりしていれば、今日の生き方も自ずから決まってきます

5月22日

「そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。」第一コリント9:26

スポーツ選手は日ごろ激しいトレーニングを繰り返して、生活を自制し、全国大会だとか国際試合に優秀な成績を残そうと目標を目指します。明確な目標や目的があると、どんな困難にも耐えることが出来ます。それはスポーツだけでなく、どんなことにも言えます。人生の目標がはっきりしていれば、今日の生き方も自ずから決まってきます。その目標は天の御国へ帰り、神様の報いを頂くことです。(KE)

その器を通して、神様は豊かな栄光をあらわそうとしておられます。

5月21日

「かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。」ローマ9:23

陶器師は自由自在に自分の思い通りの器を造ります。神様もご自分を陶器師に譬えておられますが、捨てられるべき私たちを「あわれみの器」として選んでくださったのです。その器を通して、神様は豊かな栄光をあらわそうとしておられます。それはイエス様が神様の備えられた栄光の生涯を生きたように、私たちも生きるためです。(KE)

どれをとっても神様によらないものはありません。

5月20日

「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」詩篇103:1-2

神様をほめたたえ、感謝することは私たちの力であり、喜びです。命も健康も、日々の生活も仕事も家族も、どれをとっても神様によらないものはありません。しかし、人は自分勝手に事の良し悪しを決めて、神様を忘れ、感謝なく、不平不満、つぶやき憤りに心奪われて過ごしています。小さなことから大きな事まで、神様のめぐみばかりです。「主よ、感謝します」と叫んでください。(KE)

思い悩む時、無力を感じる時、当惑する時、失望することはいりません。

5月19日

「神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。」ダニエル2:21

神様は万物を力ある腕で支配し、生殺与奪の権をもつ全能者です。神様にできないことはありません。私たちもこの方のみ手によって生かされているのです。必要に応じて、神様は自在に事を備え、持ち運び、結末を決められます。思い悩む時、無力を感じる時、当惑する時、失望することはいりません。神様は間髪を入れず救ってくださいます。神様のわざを待ち望みましょう。(KE)

まず神様に対する姿勢を整えること、これが求められていることです

5月18日

「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ』。」イザヤ40:3

「荒野」、「さばく」などは、人の住まない地、慰めも潤いも喜びも無い地です。時に、そのような索漠とした事態や状況におかれます。そこには絶望しかないでしょう。しかし、そのような中で、まず神様に対する姿勢を整えること、これが求められていることです。今、荒野やさばくのような中にあるなら、絶望して投げ出す前に、神様をどのように信頼し、どこに置いているか、点検しようではありませんか。(KE)

人生を考えると、その大半は苦しみの中で過ごしているように思われます。

5月17日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

苦しみに遭うのは不幸だとか、人生を無駄にしたと嘆きます。だから、だれでも苦しみに遭いたくないと願っています。しかし、人生を考えると、その大半は苦しみの中で過ごしているように思われます。それは神様が備えたことであり、苦しみを通してしか味わえないもの、得られないものがあるからです。このみことばのように、神様のこころを知ることが出来ればどんなに幸いでしょうか。(KE)

戦いの場は自分のうちに働くサタンの力との戦いです。

5月16日

「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」第一テモテ6:12a

信仰生活には困難や苦しみは無いと思われがちですが、むしろ逆です。信仰のゆえに戦いや困難があります。また、その戦いを勝利しなければ信仰の結果なる永遠のいのちに至る救を得ることができません。ただし、戦いの場は事情や境遇など外的環境ではなく、自分のうちに働くサタンの力との戦いです。信仰に立とうとすると、同時に神様から引き離そうとする力が働くのです。この戦いは生涯続きます。今日も永遠のいのちを目指してサタンに勝利してください。(KE)

その始まりは神様への憤りです。

5月15日

「十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」エペソ2:16

十字架は平和と和解をもたらす源です。人の心には「敵意」という積乱雲が常にわきあがってきます。その始まりは神様への憤りです。受けいれられない現実、納得できない事態や状況など、人は常に不平不満の塊になります。そのような神様との対立を解きほぐして、神様の御心に添い、それを喜ぶ者へと変えるのは十字架による以外にありません。(KE)

神様は真実な方ですから、救を全うされます。

5月14日

「主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。」第一コリント1:8

自分の力で救を達成しようとしても、これは不可能です。力も知恵も無い、弱い私たちはただ神様の哀れみにすがるほかありません。神様は真実な方ですから、救を全うされます。途中で投げ出したり、いい加減にしません。だから心強いのです。神様は日夜休むことなく、私たちを清め、造り替え、主の標準にまで引き上げてくださいます。み手のわざを信じて委ねましょう。(KE)

私たちを「神の子」にすることが神様の救です

5月13日

「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。」ローマ8:14

人はすべて神のかたちに象られて造られたものだから、本来神の子であったのです。だから、私たちを「神の子」にすることが神様の救です。神の子の資格は「御霊に導かれる」ことだけです。その模範となったのがイエス様です。イエス様は私たちの長兄となり、どのように生きることが「神の子」であるかを実践してくださいました。主は徹底して自分を捨てて、父なる神様の御心に従われました。そのように、私たちも御霊の声に全く従うとき、神の子となります。(KE)