11月29日
「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20
「義」とは正しいことですが、絶対的に正しい方は神様以外にありません。人はとかく「自分は正しい」と「己の義」を主張しますが、それは神様の義にくらべると無に等しいものです。「怒り」は自分の義を貫こうとするものです。そこには神様を畏れる心はありません。むしろ、神様に取って代わり、自分が裁き、報復しようとしているのです。どんなことも、全てを知り、また報われる神様に委ねようではありませんか。(KE)
11月29日
「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20
「義」とは正しいことですが、絶対的に正しい方は神様以外にありません。人はとかく「自分は正しい」と「己の義」を主張しますが、それは神様の義にくらべると無に等しいものです。「怒り」は自分の義を貫こうとするものです。そこには神様を畏れる心はありません。むしろ、神様に取って代わり、自分が裁き、報復しようとしているのです。どんなことも、全てを知り、また報われる神様に委ねようではありませんか。(KE)
11月28日
「しかし、その聞いた御言(みことば)は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」ヘブル4:2b
どんなに素晴らしい約束であっても、具体的な結果を手にするには約束を信じて行動しなければ得られません。カナンの地へはいる約束を信じないで滅びた人々がいました。そうならないように、聖書のことばを信じて、実際の生活に当てはめ、従いましょう。時にはみことばを疑わせるような現実があります。それに負けないで、み言葉の結果を獲得しましょう。(KE)
「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」第二テモテ2:8
「イエス・キリストを、いつも思う」ことが福音だと言われています。それはどんなとき、どんなことにでも、イエス様だったらどうするだろうかと問いかけることです。心のなかでイエス様と対話するのです。そうすると、気づかないうちに、自分の行動、言葉遣いが変化してきます。思いがけないときに、忘れていたみことばを思い出させて、知恵や力を与えられます。(KE)
11月26日
「そして、希望は失望に終ることはない。」ローマ5:5a
日常体験している「希望」は例外なく失望に終わっています。ところが、ここにそうではないと語られています。何と大きな慰めではないでしょうか。ただ一つ条件があります。それは神様の愛を信じることです。神様はひとり子を世に遣わし、それによってあなたへの愛をあかしされました。あなたが神様に愛され、神様は、また、あなたのために愛のわざをしてくださっていると信じるとき、今抱いている希望は決して失望に終わりません。(KE)
11月25日
「善人は良い心の倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。」ルカ6:45
口が語るものも勿論ですが、そのほか行動や表情、すべて表に出てくるものは見えない心から取り出されます。そうなると、倫理や道徳、規則や法律で厳しく規制しても、それは「現れた」事象に対処するものであって、「みえない」心には及びません。なんといっても、大切なのは「みえないもの」、心です。心をきれいにするには、自分の力ではなく、神様の力による以外にありません。(KE)
11月24日
「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』。」ルカ24:32
エマオへ行く道すがら、よみがえった主が二人の弟子達と一緒に歩いて行きました。その道中、主はふたりに聖書のことばから語ってくださいました。そのとき、彼らの心が燃えるように感じたのです。まさにこれが聖霊、すなわち御霊の働きです。今も、みことばを読みますと、心に力を感じ、喜びを味わい、柔らかな温かい心に変ります。まさに御霊が働いているのです。(KE)
11月23日
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。」ルカ20:38
今生きているあなたが信じる神様が「神」であって、過去にどれ程信仰深い人がいようと、その人の神様を借用するわけにはいきません。また、あなたが信じなければ、あなたにとって神様は存在しないのと同様です。さらに、神様を信じなければ、その人は「生きている」とは言えません。神様に造られた人間は、神様なしでは生きられないからです。あなたは本当に生きていますか。(KE)
11月22日
「ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。」サムエル上21:10
ダビデは神様を信頼しているとき、どんなことをも恐れません。しかし、神様を離れると、心に「恐れ」が忍び込んできます。そのため、ダビデは敵であったペリシテ人の王に助けを求めました。人が恐れに囚われると、思いがけない行動に出ます。ついに、彼は気が変になったふりをするはめになりました。「恐れ」に打ち勝つには、十字架を仰いで、神様の限りない愛を信じることです。(KE)
11月21日
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」 詩篇141:3
「口は災いの元」とも言われます。言い足りなくて失敗することは余りありませんが、言い過ぎて大火事になることが多いのです。しかし、人は口を制することが難しく、みことばのように、神様に守っていただく以外にありません。また、「物言わぬは腹膨れるわざ」とも言います。言いたいことを言わないでおくとフラストレーションが溜まります。そのとき、人に言わず、神様に心の全てを注ぎ出すのです。これは実に爽快です。(KE)
11月20日
「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」エゼキエル18:20
神様の裁きはどこにも曖昧さのない、きっちりしたものです。罪を犯すとき、神様との交わりが絶たれ、「魂」は死にます。また、人はそれぞれのしわざに応じて報われ、誰もそれに加えることも、引くことも出来ません。たとえ、親子、肉親同士であっても。そのような神様が御子を世に降し、贖いの犠牲としたのです。神様はあなたが救われるのを待って忍耐しておられます。(KE)