私たちの仕えるべき夫はイエス様です。

2月12日

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」ヨハネ4:14

イエス様はスカルの町で一人の女に出会います。彼女は五人もの夫に仕えた人でした。それは彼女の心に渇くものがあって、次々と求めた結果でした。それを満たすにはイエス様による以外にありません。私たちの仕えるべき夫はイエス様です。あなたが主の花嫁となり、花婿の言葉に従うとき、永遠の命をいただくのです。(KE)

神様は私たちの信仰が成長し、堅固になるよう願っています。

2月11日

「それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。」マルコ1:12

主はバプテスマを受けられた後、荒野で試みに遭いました。それは神様の深いご計画で、御霊に導かれた結果です。神様は私たちの信仰が成長し、堅固になるよう願っています。それゆえ、救われた者は期待が大きいだけに、試練も多くなります。しかし、イエス様が試みられているときも、御使いが仕えていたとあります。試練のとき、無力さと孤独を感じますが、御使いがあなたと共にいることを覚えていてください。(KE)

恥ずかしくなく、主のみ前に立てるように生きること

2月10日

「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」マタイ24:42

終末の時、イエス様が再び世に来てくださるとの約束を信じて、今の時を生きています。再臨の時がいつであるか、誰にもわかりません。その時がいつであっても、喜んで、恥ずかしくなく、主のみ前に立てるように生きることが、私たちの日々の目標です。毎日の行動規範、世間で言う「倫理」は、私たちにとって「今、主が来られても恥じることなくみ前に立てるか」を問うことです。(KE)

私たちは神様を忘れやすいものです。

2月9日

「見よ、わたしは、たなごごろにあなたを彫り刻んだ。あなたの石がきは常にわが前にある。」イザヤ49:16

忘れてはならないことを書き留めるに、手近なものとして手のひらに記すことがあります。神様はあなたをご自分の手のひらに「彫り刻んだ」と言われます。刻印したものはどんなことをしても消えません。神様はそのような堅固な思いで私たちを覚えておられますが、私たちは神様を忘れやすいものです。自分では小さな目に留まらない存在と思っても、神様には「石がき」のように見えているのです。(KE)

小さく、無きに等しい者にこそ主は目を向けて、あなたを捜しておられます。

2月8日

「もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい。迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。」マタイ18:13

どんなに多くの人がいようと、神様が心を向けておられるのはたった一人のあなたに対してです。ともすると、集団の中の一人になろうとします。神様の目にとまらない存在だと不満に思いますが、小さく、無きに等しい者にこそ主は目を向けて、あなたを捜しておられます。他の人はどうであれ、まず主とあなたとの愛による信頼を堅くしてください。(KE)

主の愛に感動した彼の生活態度は全く変りました。

2月7日

「そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。」ルカ19:6

ザアカイは強欲のゆえに多くの人から嫌われていました。彼の町に来られたイエス様が、思いがけず彼の家に泊まったのです。愛されたことのない彼にとって、これは彼の心の琴線に触れる事態でした。主は一言も言いませんが、主の愛に感動した彼の生活態度は全く変りました。イエス様は人の心の奥深くに届いて、心を造り変える方です。心が変われば生活が変ります。私たちも「よろこんで」主を迎えましょう。(KE)

信仰は金銀に勝る大きな資産です。

2月6日

「ペテロが言った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』。」使徒3:6

生まれながらに足のきかない物乞いする人に語ったペテロの言葉です。何かをもらいたいと期待しましたが、ペテロにはなにも与えるものがありません。しかし、彼にはイエス様を信じる信仰がありました。これは金銀に勝る大きな資産です。彼自身がイエスによる信仰に生きていたからそのように言えたのです。私たちも朽ちゆく金銀によらず、信仰に立って力を得ようではありませんか(KE)

神様の言葉、みことばをえり好みせず素直に受け入れましょう。

2月5日

「この民に行って言え、あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。」使徒28:26

「見ても見ず、聞いても聞かず」と世間でも言いますが、人は勝手なもので自分に都合の良いことだけしか見ようとも、聞こうともしません。耳に痛い言葉を避け、かかわりを避けて目をそむけます。そうである限り、人は変ることが出来ず、新しくなることもできません。神様の言葉、みことばをえり好みせず素直に受け入れましょう。痛い言葉にこそ神様のみこころが語られているからです。(KE)

神様に仕えることこそ人の存在理由だからです。

2月4日

「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、…」エペソ6:6

「救われる」とは「キリストの僕」になることです。どうしてそのようなことが「救い」だろうかと思われますが、神様に仕えることこそ人の存在理由だからです。「キリストの僕」となりきるとき、あなたは真の人として生きることが出来ます。しもべは主人の意図を忠実に実行します。これが人であることの価値です。今日も、人にではなく、主に仕える一日を送ってください。人として生きるために。(KE)

あなたの「内なる人」は命に溢れていますか。

2月3日

「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」第二コリント4:16

肉体とそれを取り巻く環境だけで人は生きているのではなく、それは内にやどる命の入れ物に過ぎません。命とは魂に注がれる神様の霊、力です。「外なる人」は年齢や時代と共に古び衰えます。しかし、「内なる人」は神様から与えられる命を日々注がれリフレッシュされます。あなたの「内なる人」は命に溢れていますか。みことばと祈りによって霊の力が与えらますように。(KE)