預言者にならなければ通ることはなかったでしょう。

「なにゆえにわたしは胎内を出てきて、悩みと悲しみに会い、恥を受けて一生を過ごすのか。」エレミヤ20:18

エレミヤは、世と妥協できず、神様の言葉を真っ直ぐに語る預言者でした。もちろん、当時、そうでない預言者も多数いました。その結果、この言葉のように、塗炭の苦しみを味わったのです。預言者にならなければ通ることはなかったでしょう。パウロもまた然り。私たちもイエス様を信じたばかりに、余分な困難、非難、中傷、疎外を味わうなら、主の召しに従う正真正銘のキリスト者です。(KE)

神様の義を信じて自分をゆだねることです。

6月14日

「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」マタイ5:6

「義」を求めるとは周囲の人々に自分の「義」を押し付けることではありません。ましてや、義侠心や正義感に駆られることでもありません。「まことの義」を求めること、神様の義を信じて自分をゆだねることです。世には義憤を感じさせる事態が山積しています。神様はそれらを放置しているように思われますが、そのとき信仰にたって主の義、裁きに委ねるのです。主は必ず報われる方です。(KE)

主の言葉に触れて自分の姿を知りました。

6月13日

「すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。」マルコ10:22

品行方正、非の打ちどころのない人物。それなりに自己満足している。それでもまだ求めることがあってイエス様のところへ来ましたが、主の言葉に触れて自分の姿を知りました。高く自己評価し、どんなに誇ってみても、主の言葉の前には「顔を曇らせ」「悲しみ」「立ち去る」ほかありません。主の言葉の光に照らされて自分を知り、主の憐みを素直に求めるなら、どんなに幸いでしょうか。(KE)

神様は私たちの後ろ盾、責任者となり、守り、助け、報いてくださいます。

6月12日

「わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。」ヨハネ17:16

イエス様を信じて救われた者は、この世から選び分けられ、神様の側につくもの、神の子となります。その結果、この世の生き方と違ってきて、神様を知らない世の人々から誤解されたり、疎外されたり、変人扱いされたり、時には非難されることもあります。世の多数がイエス様を受け入れないのですから当然のことです。その代わり、神様は私たちの後ろ盾、責任者となり、守り、助け、報いてくださいます。(KE)

私たちに神様の恵みを悟らせる力です。

6月11日

「ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。」第一コリント2:12

世には霊にまつわることが多くあります。悪霊、背後霊、亡霊、霊障など、不気味なものを表す言葉として用いられます。確かにさまざまな霊が存在するでしょうが、「神からの霊」はそれらと異質なものです。人に祟ったり悪しきことを起こすものではなく、私たちに神様の恵みを悟らせる力です。この霊によらなければだれも神様を知ることができません。(KE)

内にある光を消すことのないように

6月10日

「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」マタイ5:14

イエス様はまことの「光」として世に来られました。闇の世に光を照らし、命と望み、喜びと慰めをもたらすためです。主はよみがえって私達のうちに宿り、器に入れられた光となって無数に散らされました。あなたもその一つの光源です。内にある光を消すことのないように、また周囲の闇を照らすために高く掲げようではありませんか。密かな隠れたところに置いておくと光が消えてしまいます。(KE)

 

無力を嘆く必要はありません。神様はできないことのない方です。

6月9日

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13

人の力は小さくて、走ることも、飛ぶこともできませんが、車に乗ると早く走ることが出来ます。また、新幹線や飛行機だともっと早く走り、飛びます。人が突然強くなったのではなく、乗り物に自分を置いた結果です。私達は力弱く小さくても、力あるものの中に自分を置いておくなら、無力を嘆く必要はありません。神様はできないことのない方です。この方が握ってくださるのですから、これほど心強いことはありません。(KE)

イエス様の救いを頂くことは同時に少数者になることです。

6月8日

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」マタイ7:13-14

イエス様に救われ幸いを味わう時、多くの人が救われるようにと願います。しかし、イエス様の救いを頂くことは同時に少数者になることです。この世から聖別され主に従う道は世捨て人ではありませんが、狭く細い道です。日本の社会で少数者になることは厳しい困難を伴います。しかし、そこに命があるのです。(KE)

心を低くして神様を信じて見直す時、驚きと感謝以外にありません。

6月7日

「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24

私達は不平・不満の多いものです。その原因は「自分」の願い、思いにしがみつくからです。そこには神様を思う心がありません。私達は被造物であり、神様は造物主です。神様の手によらないものはありません。しかも、人の知恵・知識を越えたご計画に基づいて創造されたものばかりです。心を低くして神様を信じて見直す時、驚きと感謝以外にありません。(KE)

信仰に生きる生活にも悩みが尽きません。

6月6日

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33b

イエス様を信じて信仰に生きる生活にも悩みが尽きません。信仰は役に立たないように思われますが、そうではありません。なぜなら、イエス様も私たちと同じ、否、それ以上の悩みを経験しましたから、なやみの中で信仰にたっていると、主の力を味わうことが出来、主を知り、主と連帯し、勝利の凱旋に導かれるのです。だから、勇気を出して、勝利者なる主を見上げて前進しましょう。(KE)