明確に告白することができれば、何があっても揺れ動きません。

4月24日

「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、…」ガラテヤ1:1

これは強烈な自己意識です。自分の今が何によって存在しているかをこれほど明確に告白することができれば、何があっても揺れ動きません。私たちは自意識過剰でありながら、揺るがない確信がないために、世間の小さな物音で右往左往してしまいます。すべての第一原因である神様がはっきりした目的に従って自分自身を存在させていると確信して生きるものとなりましょう。(KE)

蒔いた種の数だけ収穫しますが、それ以上でも以下でもありません

4月23日

「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」ガラテヤ6:7

神様は目に見えませんが、確かに存在しておられる方です。また、必ず報われる方でもあります。神様を大切にして御心に従うなら、そのように報われますが、軽んじたり侮ったりするなら、必ずそのように報われます。種を蒔いて作物を育てるとき、蒔いた種の数だけ収穫しますが、それ以上でも以下でもありません。また、稲を植えて麦を得ることも決してありません。主の報いはそれほど確実なのです。(KE)

だから、それに報いてくださるのは人ではなく、神様です。

4月22日

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。」コロサイ3:23

これはイエス様の救を受けた者の基本原則です。私たちは主に召された僕です。私たちのすることはすべて主のためにしている事です。生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。日々の生活、家庭でも職場でも、どこにあっても、誰かのためにしているようですが、人のためではなく、主のためにするわざです。だから、それに報いてくださるのは人ではなく、神様です。エジプトへ売られたヨセフを見てください。彼の生涯は神様の手に委ねたものです。(KE)

「聖霊」に従うほうが大切です。

4月21日

「それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。」使徒16:6

パウロは地中海沿岸の町々に福音を述べ伝えていました。これは彼の野望や功名心によることではなく、聖霊に導かれたわざでした。御言を語ることが彼の使命ですが、「聖霊に禁じられた」とき、それに全く従いました。人が考えて「良い」と思うことであっても、「聖霊」に従うほうが大切です。聖霊は常識や良識をこえて、変幻自在に人や事を導かれます。このとき、パウロは思いがけずマケドニヤへ渡ることになります。(KE)

恵みに慣れて、彼は神様を侮りました。

4月20日

「ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。」歴代下26:16

ウジヤ王は若くして王位につき、神様を畏れて敬虔に従いました。その結果、神様は大いに祝福して国を栄えさせたのです。しかし、豊かに強くなり、恵みに慣れて、彼は祭司だけに許された務めを自分勝手にして神様を侮りました。神様の恵みと慈愛に感謝し、いつも心低くして謙遜でありたいものです。(KE)

私たちは神のものです。私たちのものはありません。

4月19日

「そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。」第一コリント3:23

そうです、私たちは神のものです。私たちのものはありません。今日も、神様から預かった時間、仕事、お金、家族、自分ですから、自分勝手に使うことはできません。所有者である神様の意向を伺いつつ、用いてください。
また、壊れやすく、傷つきやすい預かりものですから、大切に扱わなければなりません。間もなく、ご主人の前で精算する時が来ます。(KE)

この確かさこそ力です。

4月18日

「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25

生まれつき目の見えない人がイエス様の言葉に従ったとき、見えるようになりました。彼はどうしてそうなったのか説明できませんが、見えるようになった事実は体験したことですから、少しの疑いもありません。この確かさこそ力です。イエス様を体験することがない信仰は砂上の楼閣です。みことばに従って主を手でさわろうではありませんか。(KE)

主が求められたのは神様のわざを語ることです。

4月17日

「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい。」ルカ8:39a

「神様を褒め称える」「主の栄光をあらわす」などと言いますが、具体的に何をすることでしょうか。その答えがこのみことばです。悪霊につかれていた人がイエス様によって正気に戻りました。彼はイエス様にどのように感謝すべきか、なすすべがありません。主が求められたのは神様のわざを語ることです。私たちも主がしてくださったわざを大胆に語ろうではありませんか。日々、主のみわざによって生かされているのですから。(KE)

神様をどのような方と信じるか、これは信仰の姿勢を決定することです

4月16日

「この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。」使徒17:24

神様をどのような方と信じるか、これは信仰の姿勢を決定することです。日本人の神観は分業化したもののようです。商売の神、学問の神、病気治癒の神、安産の神、交通安全の神など専門化されています。神様がそのようなものであったら、とうてい付き合いきれません。本来、神様はオールマイティで、例外なくすべてのものを造り、すべてを御心のままに支配する方ではないでしょうか。(KE)

キリストを着るとはキリストに似るものとなることです。

4月15日

「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。」ローマ13:14

キリストを着るとはキリストに似るものとなることです。そのためには、常時、「キリストならどうなさるか」「キリストなら何と言うだろうか」を問わなければなりません。尊敬する人、愛する人と常に一緒に行動すると、立ち居振る舞い、言葉遣い、考え方や価値観に至るまで似てきます。みことばをくりかえし心に味わいかみしめていると、気づかないうちにキリストを着る者となります。(KE)